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映画「銀河」から見えた世界 改定版 まとめ感想有ります

ルイス・ブニュエル監督作品です。
ジャンとピエールという男達のロードムービーに観える映画なのですが…普通の映画では無い!

「銀河」遠くから現れた謎の男

ふたりがヒッチハイクをしても車はなかなか止まら無い。

そこへひとりの男がやってくる。

そして男にふたりは物乞いをする。

すると男は
「お前達は、売春婦との間に子供を作りなさい。
長子の名前は『汝、わが民にあらず』」と名付けよ
次子は『もはや慈悲無し』と名付けよ」
と言って去る。
後ろ姿を見るとさっきまではいなかった小人が男の横に居て鳩を出した。(何も知らない人が観るとマジシャン?と思うが最後まで観ると、マジシャンとは違うというのが分かる)

ポカーーンとするジャンとピエール。

ジャンとピエールは巡礼の旅をするつもりだった。
お金は殆ど無い。

何故なのだかよく分からないが、サンチャゴの司教が聖ヤコブの遺骸を地下に隠したので
それを見るためにスペインに行く人達は巡礼をするそうです。
なのでふたりもサンチャゴに向かう。

続いてふたりは一文無しなのですが、小料理店で物乞いをして、その店でパンを貰い食べる。



そこではイエスの『聖体=パン』説について
司祭が警察に説明をしていた。
しかし何となく、意味が分からない警察。
カトリックだとしても詳しくは理解をしていない人は
多いのかもしれない。

それはアルビジョン派やカルヴァン派の意見だ。
それは16世紀の異端パトリエ派の思想と同じになるから
と司祭は説明をするも…
結論は迷走。

「結局聖体はどこに行くのですか?」
と思わずピエールが尋ねると
店から追い出される。(聞かなきゃよかった)

そして司祭も論議をしているうちに興奮をしてきて警察に飲んでいるものを頭からかけて…やがて店に救急車がやってくる。

密教的な宗教団体

次に現れたのは何派なんですか?
最終的に説明があるとおり存在はしているらしいが
可成〇〇そうな感じです。

これは正論っぽい気もするが


ええ?


と言いながら彼らのやる行為は…


高級レストランでは、支配人が従業員にイエス・キリストの二重性や磔(はりつけ)についての説明をしていた


従業員「キリストが神なら何故タヒんだのですか?」
従業員「何故キリストは同時に神でもあるのですか?」
支配人「キリストは人間だったという説もある」
「人間の姿は幻影だったとか」
「キリストは処刑されなかったという説もある」
「シモン身代わり説もある」
等、磔の時の説を言う支配人

だが

その店にジャンとピエールが物乞いにやってくると、この冷たさ…
ジャンは唾を吐く。


ふたりは学園祭にも訪れた
そこでは子ども達の寸劇が始まろうとしていた。


他にも色々…彼等の教義とは違う者には
「呪いあれ」
を何度も何度も言う…寸劇。


と、言ったところで…

16世紀頃の宗教裁判が行われる風景が唐突に挟まれる

「聖書には煉獄なんて書いていなかったぞ」
と言う者に火刑処分…

修道僧が
「あの…疑問があります…」
と声をかける

「異端を焼き◯すのは聖霊の御意に反し無いでしょうか?
彼等の仲間にも同じ事をされますよ。
どちらも正しいと言いますよ」と言う。
(ごもっともな意見)
しかし司祭が「今、重大な事を言ったぞ?」
と怒りを堪えながら言うと…

いきなり怖くなって「自分の疑問を否認」
そして謝る。
火刑にされちゃいそう…
いや、この疑問だけでもう火刑決定かもしれない。


疑問を持つ事も許されない。


場面変わり

ふたりが歩いていてジャンが、何故か奇跡を起こした時に現れたもの…
 

あ、確かに。

ヤンセン修道院

修道女がひとり十字架にはりつけになる
手のひらは勿論、木のくいを打ち付けている。
なので主人公ふたりに「入るな」と言う

と、言っていたのはイエズス会ピリュアール

 出会った時から険悪なふたり


ヤンセン派とイエズス会が
「キリストは何のためにタヒんだのか」
と言い合いながら決闘をする。

そして人間の自由について言う。



ピエールとジャン自由について語る


「自由って何なの?」
と本当は宗教を信じていないジャンが聞く。
ジャンは学園祭でも変な妄想をしたり
無宗教……っぽい。

若い方がジャンです。

はい?じゃあ悪も神の知っている事で
自由は無いのか…


ピエールさんは、これと同じ意見ですか

追記∶人間が自由だと思っていたら大間違いで神は何でも知っている…そして悪を為す時に止めもしないという事ですかね。
ユダがやろうとして、実は躊躇していた時にイエス・キリストが「為すべきことをしなさい」とユダに言った逸話(どの宗派だったかは忘れました)もそれですね。

↓カトリック…の教義ですか?



そして地下の柩を外に出して何事かをする。

柩の中の遺骸に向かって言っているのですが、ひょっとして…聖…誰ですか。
その後にその柩を焼く。
この人はカトリックなんでしょうが…
着る物からして
身分が高そう。

そこに??派がふたり乱入する


言ってる事が違うぞと言う。神はひとつだなどと叫ぶ。カトリックの偉い人に叫ぶという事は○○○○タントですか?(自分はもう、こんがらがっています)
この時代では捕まったら首くくりの刑でした…

聖母マリア信仰について


聖母マリア、イエスが産まれる前も後もだそうです。

他にもこの司祭は
敬虔な聖母マリア信仰の軌跡を言っていた。
修道女がある男にかどわかされ、その男と修道院を出て子供を産み何年も過ごしていたがやがて後悔をして
修道院に帰ってくる。
ところが全くお咎め無し。
なんと聖母マリアがこの修道女の身代わりになってそこにいたから…誰も…気が付かなかったらしい。

しかしマリアの罪も言う
オリゲネス、聖バシレイオス、聖ヨハネス・クリソストモス論聖母の罪
「十字架の下では信仰心が弱まった」
「受胎告知の時は天使の言葉を疑った」
「尊敬を得ようとした虚栄の罪」

他にも宗派それぞれの性的な事柄を説明する。

アダム派やニコライ派は女を共有していた

神学者トマスは夫婦ですら身体の交わりを慎もうと言った。
使徒パウロは男子は夫人に触れない方が良いと言った
などなど…

時々イエス・キリストの仮装をしているのかなと思う人が登場する。

中でも、成る程確かにありますよねと思った言葉(宗派による)


悪魔は神よりも人間に興味があり過ぎる!と言いたいのか…
映画の最後に
全部本当に文書にある言葉を使いましたという説明がありました…。


↓ちなみに、これと同意見の人はいますか?

この世界を神が作ったと言うならば…

なぜなら…滅茶苦茶な世界だから…

「宗教なんて真面目に考える価値も無い」と言う。

これを言っていたのはマルキ・ド・サド侯爵でした。*フランス革命の時の目撃者で作家でもある。



サディストの語源でもある人間で
背徳主義で、やる事も……なので
後年 牢屋に入れられたが、牢獄で小説を書き続け
それが世間で評判になり売れ、
今でもマルキ・ド・サドの「悪徳の栄え」他が読まれている。
一番初めに悪側の正論を書いた人ですかね。

このサド侯爵の言葉の後に高級レストランの支配人が全否定しています…

追記∶まとめ

ここでは書きませんが、ふたりは巡礼の旅、目的地に着いています…正確にはその間際と言った方が良いのか。
その時にジャン(若い方)の目的も分かります…

しかしキリストについて何年も…
いろんな人が考え
話題にして
数えきれないほど、いろんな説があるんだなぁと思いました。

※私はですね、「銀河」は観た事があって
そして大まかなキリスト教の歴史は知っていたのです。
そして2024年オリンピック開催演出騒動の時に

あまりにも日本人の解釈が、??(謎という事です)な人々の言う方向に流れているなと思い
またこの宗教に対して興味を持ちました。

**日本人がと書きましたが、エックスをやっている人達やYouTuberだけで本当は何も思っていない人の方が多いのかもしれませんね…
それに彼等は所属している派閥や、強固たる主張があるのかもしれません(憶測)

ここら辺りでこういう話しは終わりにしたいと思います…が分かりません。

※「神を愛するように隣人を愛しなさい」という派もあります。映画には有りませんでしたが一応…
プロテスタントでしたっけ?

そしてルイス・ブニュエル監督はクリスチャンです。
当然、洗礼も受けているでしょう。

「哀しみのトリスターナ」という映画を観て、その登場人物が発した言葉がブニュエルの本心なんだろうなと思っていましたが、今色々調べたら…わかりません!しかしずっとこだわり続けているので無視出来ない存在ではあるのだろう。

これ以外にもしょっちゅうカトリックから文句を言われているらしい。ちなみに生家はイエズス会だそうです…

哀しみのトリスターナでの登場人物の意見
「神は信じる。だが教会は嫌いだ」←カトリックの事なんでしょう。イエズス会もか…

まとめの結論…
 キリスト教が無ければ、ルイス・ブニュエルの数々のユニークな作品は生まれなかった。その点では神のお導きでしたね。自由は無かった。
注意∶ジャンとピエールの自由についての会話からです。

*加筆修正致しました。

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