akisan

大学院で北朝鮮の政治を研究しています。趣味はディスカッションを作ることです。

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最近の記事

悲しくても「これも勉強」と開き直るのだ

生きていれば悲しいことがそれなりにある。具体的な出来事に反応した悲しみもあれば、なんとなく抽象的な悲しさもある。 さまざまな種類の悲しみを私は「これも勉強」と開き直ることで乗り越えてきた。その開き直りは悲しみの中に前向きな要素を見つけ出そうとする必死のあがきである。虚勢マシマシである。滑稽だ。滑稽だ。今回の文章もだいたい冗談である。 今週の月曜日から木曜日にかけて韓国の一人旅に出かける予定であった。その前の水曜日にはルンルンで銀座のニューエラに入店し、耳までモフモフの暖か

    • 【超短編】アジア国に魅せられて 1/1

      就活は気の進まない儀式であった。梅雨の湿気でジメジメした大手町にリクルートスーツで歩く行為そのものをなるべく避けたかった。 人事担当者の「やりたいことは何ですか」といった問いかけに対し、私を含む学生陣は貧弱な応答しか持ち合わせないことを見抜いていた。 しかし私が私の中にあるはずの「やりたいこと」を的確にえぐりだす手段や資源を持ち合わせぬことも確かであった。 シニカルな自分である。就活を通じて、このことに正面から向き合わねばならぬことは想像以上のストレスであった。 当然

      • 新年の辞

        明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。さっそく震災と航空機事故が立て続けに発生し、少なからぬ衝撃を受けました。自分の人生とそれらがどのように関連するのかもわからぬまま、情報獲得に躍起になり、精神衛生を乱しました。難しいものです。 一年の計は元旦にあり。多くの人が目標や計画を立てるお正月にこのような震災が起こることの皮肉さも痛感しました。自分ではどうしようもない偶然性に左右されながら形成される精神性こそ、この日本の<伝統>なのではないか。そんな

        • 北朝鮮政治修論執筆大反省大会

          2023年12月8日に修士論文を提出した。この記事では修士論文の提出に曲がりなりにも成功した大学院生の「お気持ち」に依拠しながら、修論執筆を振り返ることにする。 *** 私は2021年4月に大学院に入学した。しかし研究室に北朝鮮の内政を研究する学生がいないことを知った。困ったものだと思いながら、履修登録を済ませた。 修士一年は授業を中心とせざるを得ず、労働をする必要もあったため、自らの研究に目立った成果はなかった。ただ研究に進捗が生まれない大きな要因は卒業論文で取り組ん

        悲しくても「これも勉強」と開き直るのだ

          論文と気ままな備忘録の狭間より

          現在は来月提出の修士論文の作成に追われている。しかしこのプラットフォームの運営は「11月30日までに記事を書け」とお構いなく急かしてくる。 11月30日までに記事を投稿すると18ヶ月連続となるらしい。何であれ続けることは素晴らしいことだ。そんな私の信念に漬け込んだ素晴らしいリマインドである。 そのリマインドは気ままに文章を書く感覚を思い出させた。日々の経験に反応しながら書くことを楽しみたい、と思う。 学術的な研究をしていると偶発性や内発性をしばしば忘れてしまうことがある

          論文と気ままな備忘録の狭間より

          友だちとの「深い話」はどうすればできる?

          ある友人と代官山の蔦屋書店でおしゃべりをしていた。私にも代官山に入れる権利くらいはあるようだ。 その友人は「友だちとの『深い話』ってどうすればできるんですかね」と言った。 なるほど。「深い話」ができるほどの友人関係は自分の生を輝かせる偉大な人間関係に違いない。 彼は「『深い』話を通じて、友人と『深く』つながりたい」と願った。これは私のようなシニカルな人間すら抱く、ごく自然な感情であると思う。 では友だちとの「深い話」はどのようにすればできるのだろうか。 *** 「

          友だちとの「深い話」はどうすればできる?

          私たちは「合理的」になぜ魅了されるのか?

          合理的であることに対して批判的な文化人が増えてきたように思う。人間は弱い存在でしばしば感情に基づいて行動する。だから過度な合理性の追求には意味がない。そんな批判だ。 またそこではしばしば「つながり」や「アート」といったものが称揚される。それらは「合理的」へのアンチツールとなっている。「一見無駄に見えるけど実は大切なこと」が文化人の心の拠り所になっているのだ。 それでもやはり私たちは合理的であることから離れることができない。しばしば何か自分と意図しない行動や目的に合致しない

          私たちは「合理的」になぜ魅了されるのか?

          「とにかく行動しろ!」と言う前に

          これまで自分自身の日常の中で自明として受け入れていたことについて、ふと立ち止まって考えてみようとする時がある。それは友人が何気なくつぶやいたことをきっかけとするかもしれない。もしかしたら何かの書籍に問われることによってかもしれない。 そのような時に自分なりの思考を進めることができるか否かはおそらく人生の展開に大きな影響を及ぼす。なぜならば、思考を進めることそれ自体が自らを肯定することにつながるからだ。 しかし、ひとつまみの勇気で思考を進める他者を見て、私たちは「こじらせて

          「とにかく行動しろ!」と言う前に

          排除しないとやさしくできない

          排除のない世界ができるとよいなと、これまでぼんやり考えていた。私はいわゆるマイノリティと呼ばれる出自を持つ。そのため親以上の世代からは自分たちが経験してきた差別や排除の現実をよく聞かされていた。その反動で「排除(差別)のない世界を作る」ことを掲げることは耳ざわりもよく、自分の人生に「宿命」を持たせる上でも悪くないテーゼであった。 ちょうどその時、世の中では「これからの時代は対話が重要」と叫ばれていた。それは対話のない一方的なコミュニケーションは誰かを差別したり排除したりする

          排除しないとやさしくできない

          それでも北朝鮮をケアし続ける

          私は日本と北朝鮮が国交正常化すればよいなと思っている。それは日本がかつての植民地との折り合いをつけ、新しい時代の地域秩序づくりを主導することを期待しているからだ。 戦後の日本は朝鮮戦争を契機の一つとし高度成長を実現し、豊かな社会を作り上げた。曲がりなりにも現在世界3位の経済規模を誇る先進国であるならば、そろそろかつての植民地地域との折り合いをつけてよい頃合いかと思う。 それがたとえ核・ミサイル実験を繰り返し、自国民を理由もなく拉致する閉鎖国家であったとしても。それは国交正

          それでも北朝鮮をケアし続ける

          残すべき記憶とは何か

          新潟県は北朝鮮との関わり合いが非常に深い土地だ。横田めぐみさんをはじめとする複数の拉致事件が発生したのも新潟県。日朝の交流が活発だった時代、新潟と北朝鮮の間には不定期ながら旅客・貨物船(『万景峰号』)も就航していた。 今年5月、私は新潟県を訪れた。今でも新潟県に濃厚に残っているであろう北朝鮮との関わり合いを巡ろうと考えたからだった。結果的に今回の訪問は「残すべき記憶とは何か」という壮大な問いを喚起させるものとなった。どういうことか。今回はそんな話をしたい。 *** 新潟

          残すべき記憶とは何か

          土曜の夜なんてみんなそんなもん

          他の20代男性同様、生活力が皆無のオワコンな暮らしをしている。そろそろ夕飯でもと思い、ヨッコラセと冷蔵庫を開けた。案の定、オイコスとザバスしか入っていない。おかしい。一回閉めてもう一回開けても同じだった。冷蔵庫が人工タンパク質で埋め尽くされている。絶望的。 *** 土曜日の夕飯にUber Eatsを使うのもみじめなので、近くの魚屋に行って1200円のマグロのカタマリを買ってきた。店を出る時に、魚屋のおっちゃんに「はい、どうも」と言われたので「オウヨ」と答えた。買ってきたマ

          土曜の夜なんてみんなそんなもん

          あなたは愛国者ですか

          *** サムネイル画像に映された二つの石の名は「さざれ石」である。日本国歌「君が代」の中で「いわおとなる」と歌われる「あの石」だ。「さざれ石」は、細かな石灰石が長い年月を経て雨水と触れ合い、ひとつの大きな岩の塊になったものである。悠久の時をかけて小石が積み重なり、大きな岩となるさまが日本国が持つ長い歴史の象徴とされている。だからこそ、「さざれ石」が新潟縣護國神社の境内にあることは偶然ではない。新潟縣護國神社のご祭神は、「『国家の大事」に一身を捧げて殉ぜられた方々」とウェブサ

          あなたは愛国者ですか

          社会のきびしさとやさしさに包まれたなら

          自分といふ存在が今ここから突然消滅したとしてもこの社会は回り続けるのだと考える時、本当にこの世界が心安らぐ場所になるような気がする。大切に大切にしてきた自分といふ存在の価値をあへてかなぐり捨てることがセルフケアにつながるとは何とも滑稽である。「心のノート」に頻出した「かけがえのない自分」といふ言葉に出会うたび、自分は自分を他の人間と比べて特別な存在だと確信せざるを得なかった。しかし労働市場あるいは研究機関の中で成果を出すことが求められるようになると、特別なはずの自己をとらえ直

          社会のきびしさとやさしさに包まれたなら

          ChatGPTの時代に人間同士が対話する意味はあるのか

          2023年の年明けより対話型Open AI「ChatGPT」が世界を驚かせている。「Chat GPT」とは何かしらプロンプト(指示文)を打ち込めば、AIがその指示に対して適切な応答を返してくれる対話型のAIソフトのことである。 目新しい技術が利用されているわけではないらしいが、少なくとも私のようなテクノロジー素人でも手軽に無料で使えるようになったことは革命的な出来事だろう。 この技術を日々触っていると仕事や芸術、文化など幅広いジャンルでその生産のあり方に決定的な変容が2-

          ChatGPTの時代に人間同士が対話する意味はあるのか

          あなたは何を書いてこなかったか

          人は何かを書くと同時に何かを書いていません。これは言われてみれば当たり前のことですが、実際に意識する場面は少ないように思います。(事実、note上のハッシュタグにおいて「#書くこと」は2万件以上の投稿があるようですが、「#書かないこと」の投稿はわずか10件です)「何を書いたか」については書いた文章を読み返せば嫌でも目に入ってきます。その一方で、何を書いていないかについては、そこに隠された意図や傾向を見出さない限り、知覚することは難しいはずです。物理的に接触できないことを直感的

          あなたは何を書いてこなかったか