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悲しくても「これも勉強」と開き直るのだ

生きていれば悲しいことがそれなりにある。具体的な出来事に反応した悲しみもあれば、なんとなく抽象的な悲しさもある。

さまざまな種類の悲しみを私は「これも勉強」と開き直ることで乗り越えてきた。その開き直りは悲しみの中に前向きな要素を見つけ出そうとする必死のあがきである。虚勢マシマシである。滑稽だ。滑稽だ。今回の文章もだいたい冗談である。

今週の月曜日から木曜日にかけて韓国の一人旅に出かける予定であった。その前の水曜日にはルンルンで銀座のニューエラに入店し、耳までモフモフの暖かな帽子をウキウキで購入した。

この帽子をかぶった自分は韓国で自撮りを行い、インスタグラムのストーリーにて「寒国なう」とか「日本政府による強硬な対寒政策」などと戯言を宣う予定であった。

しかし、その直前の週末に喉の痛み。40度の熱。抗原検査をしてみたらくっきりと2本の線が現れた。2度目のコロナ感染である。コロナウイルス。ほとんどの人が脳内記憶から抹消させた悲しき過去の遺物。すべての人がわずか数年前に経験したにも関わらず、マスクを外すとともに忘却の彼方である。

しかし、私にとってコロナウイルスは現実であり、現在であった。遠くから「モデルナ…」「ファイザー…」と大地のいななきが聞こえる。幻覚だろう。恐ろしい疾病である。最後の最後に「スプートニク…」と聞こえた。

韓国行きの飛行機のチケットを払い戻し、ホテルもキャンセル。人生の中で最も悲しい作業であった。幸いにもキャンセル料は一切かからなかった。不幸中の幸いの教科書に掲載される事例である。

今回の韓国一人旅は2月からの仕事復帰前の最後のお出かけ予定であった。最後のチャンスを私はみすみす逃した。悲しみのステイホームである。

自分はこのような悲しみを「これも勉強」と言って割り切ることができるのだろうか。韓国に行けなかっただけだ。また時間を見つけて行けばいい。しょうもない。たしかにそうなのだけれど、悲しいものは悲しい。健康な体があればいい。まさしく大人になって思うことだった。

とっても具体的な悲しみだ。その具体性はリベンジに向かう、はつらつとした意思をくれるはずである。GWあたりの時期にソウル行きのチケットをありったけのふがいなさをこめて予約すべきであった。

しかし体調が回復するまでに直面する灰色の時間は具体的な悲しみを抽象的な悲しみへと変えていく。その過程の中で能動的な姿勢が失われていく。白い壁を見ながら、何を考えるのでもなく、ぼーっとする他ない。極寒の韓国を一人で歩き回るネタの代わりに得たのは空白の時間であった。

26の冬。部屋の中で永遠と思しき時間を過ごしていると、忙しさの中に埋もれていた数々の疑問が視野の中に浮かび上がってくる。家の壁紙はこんなに白かったっけ。家のパソコンのモニターは何インチだっけ。今のiPadは買ってから何年経ったんだっけ。

粗品に「しょうもない人生!」と突っ込まれる程度に灰色の時間に直面していた。コロナウイルスは恐ろしい。明確にこれが学びだと言えるようなインプリケーションは導き出せなかった。せいぜい健康管理には気をつけましょうくらいか。失ったものに対して獲得したものが小さすぎる。また悲しくなってきた。

体調は回復した。と同時に1月が終わった。人生。悲しみを悲しみのまま受け入れることは難しい。だから「これも勉強だ」「これも経験だ」と言って、人は前に進もうとする。それは滑稽な姿だ。

誰かが言っていたように私たちは本来は正しく傷つくべきなのだ。正しく悲しむべきなのだ。しかしその悲しみの受け入れ方は直接的でなくてもいい、と思う。たくさんの冗談の中にそっと悲しかったことを紛れ込ませるのだ。それにたまたま気がついた人と気持ちを分かち合えばいい。だから今回も開き直ろうではないか。

なんだかたいそうな文章になったが、この文章の本質は「コロナで旅行に行けなかった」それだけである。小さなネタを大袈裟に書くことが得意なのだ。体調不良で韓国一人旅に行けなかったこと。それがどのような勉強になると言うのであろう。おそらく勉強にはならないだろう。それでもとりあえず開き直るのだ。今回の悲しみも何かしらよい勉強となって私を強くするであろう。そう思うよりない。多分そんなことないけど。悲しみを悲しみのまま処理することはできるほど私は強くないのだ。

完。

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