北朝鮮政治修論執筆大反省大会
2023年12月8日に修士論文を提出した。この記事では修士論文の提出に曲がりなりにも成功した大学院生の「お気持ち」に依拠しながら、修論執筆を振り返ることにする。
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私は2021年4月に大学院に入学した。しかし研究室に北朝鮮の内政を研究する学生がいないことを知った。困ったものだと思いながら、履修登録を済ませた。
修士一年は授業を中心とせざるを得ず、労働をする必要もあったため、自らの研究に目立った成果はなかった。ただ研究に進捗が生まれない大きな要因は卒業論文で取り組んだテーマから離れようとしたことが大きい。
今思えば新たなテーマに取り組もうとすることは傲慢であった。修士論文の執筆には限られた時間しかない。自分自身の能力もまだまだである。時間の制約が強い。しかし私はそのことを理解していなかった。
2022年3月に大学院を休学した。そこには「原理的に休学は学生時代にしかできない」といった信念があった。これは本音かどうかわからない。研究から逃げたかったといった要素もきっとあるはずである。
新たなテーマで進捗が生まれないことに対する焦りも研究への取り組みを遠ざけた。北朝鮮の文章は同じ内容が繰り返される特徴を持つ。北朝鮮独特のレトリックも存在する。虚偽やプロパガンダも散りばめられている。
それらを読み解き、その政治や社会を理解するためには、ある種の職人芸が求められる。もちろん私にはそのような技能などない。理想と現実のギャップに悶え、この時期は研究対象に真摯に向き合えなかった。
このことは、生まれてこの方ずっと日本にいる自分が、外国としての北朝鮮を理解することの意味や実現可能性を疑うことにつながった。
なぜ「私」が北朝鮮を理解する必要があるのか。北朝鮮のことは朝鮮半島に暮らす人々にしかわからぬのではないか。そんな疑問が頭をもたげた。
しかし私はこの問題について考えることを打ち切った。筋の悪さを感じたからだ。大きな文脈に自分という小舟を浮かべることは往々にして進むべき方向感覚を失わせる。
悩むことと考えることは違う。時に小さな目標の達成が大きな問いへ取り組む勇気を与えてくれる。私は修士論文を締め切り期限までに出すことだけを考えることにした。
そのおかげもあって2023年1月からは気持ちが切り替えることができた。2023年最大の目標を修士論文の提出とし、少しずつリサーチを進めていった。やると決めたことをそれなりに逃げずにコツコツ継続することができるのは自分の好きなところだ。
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休学期間を終え、2023年7月からは本格的な執筆期間となった。ただ7月の時点で研究の進捗はほぼゼロのように見えた。中間報告を誤魔化し誤魔化しで終わらせたあたりから自らの口癖は「なんとかする」になった。
それは偽らざる本音であった。研究のことを気軽に相談する人は正直いなかった。自らの立ち位置がどこにあるのか。今何合目まで来ているのか。まさに暗中模索といった感覚を抱え、文字数を気にする日々が続いた。
研究上の壁を乗り越えるにもまた割り切りが必要であった。どうせ修士課程で大したものは書けないよ。しかも研究対象は北朝鮮だぞ。形式を揃えてとにかく早めに書き切ることが大事だ。そんな開き直りは私をいくぶんか楽にした。
テーマと結論は少しづつ明確になっていったものの、あと一歩のオリジナリティが欲しかった。その時、私が依拠したのは自らの卒業論文であった。そこにはコロナ下で孤軍奮闘した微かな成果があった。
その論文を読み返してみたとき、私は原点に帰ったような気分になった。そうだ、自分は北朝鮮政治体制の普遍性と特殊性を解明することに関心があったのだと。
北朝鮮の政治体制には独特な側面もあれば、他の国にも観察できる側面もある。卒業論文の中にはそれらを総体的に捉えたいといった自分の思いが未熟も未熟な形でしたためられていた。
私は卒業論文の内容だけでなく、そこに向かった私自身の姿勢すらも完全に忘却していたのである。締め切りに心を奪われ、なぜ私が大学院にいるのかについては無頓着であった。これは恥ずべきことであった。
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結局、修士論文の提出を2023年12月8日に終えた。それは所属する大学院が指定した提出期間の最終日であった。
意外にも提出後にさほど解放感はなかった。その理由はよくわからなかった。私はやり切ることができなかったのだろうか。
学問には終わりがない。だから論文は常に不完全な形で提出される。常に消化不良の感を抱えることになる。学問の雄大さに身を任せれば、小さな目標を達成することは難しくなるのだろうと悟った。割り切りが必要だった。
ただやはり自分自身が2023年12月にいることは信じられなかった。学問の世界が持つ時間軸はどこか夢想的だ。それは現実感なき現実とセットである。私は学問という小宇宙に絡め取られた小市民にすぎなかった。
2023年7月から12月までの記憶はほとんどない。ただポケモンスリープでカビゴンにご飯を作ってあげた記憶がかろうじて残っている。
ポケモンスリープは株式会社ポケモンにより2023年7月にリリースされた睡眠管理アプリである。自分はいたくこのアプリが気に入ったようで、たびたびSNS等で同アプリを活用している旨を公表している。
論文作成は一般にかなりのエネルギーを使う作業である。自分の生活を大切にしながら心と体を折れないようにする必要がある。
日々の暮らしは人生と生活の接点で成り立つ。しっかりとした生活が人生に立ち向かう気力を与えてくれる。人生に立ち向かう活気が生活にハリを与える。
しかし私は「自分にはメシを作らないのにカビゴンには作ってあげる心優しい20代男性」といった自己認識を示している。
おまけに「ポケモンスリープのおかげで朝起きるのが楽しみになった。病まずに修士論文書けたら株式会社ポケモンのおかげ」とまで持ち上げた。
端的に言って、終わっている。
自分は毎朝カビゴンの周りにやってくるポケモンによって自らの学問的な孤立を慰撫していた。やはり自分はポケモン世代なのだなと胸を張った。
その姿は滑稽である。その滑稽さの中に人間らしさを見る、といった表現は凡庸すぎるか。ただ永遠に生きるかのように学ぶためには、日常をかろうじて彩るアクセントも必要なことは確かだ。
だから私は毎朝カビゴンの元にやってきたポケモンたちに最大の感謝を捧げたいと思う。これは良質な修士論文を執筆できなかった自らへの贖罪行為に他ならない。課金はしない。
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ともかく修士論文は提出した。ただ修士課程を修了できるかどうかはわからない。来年2月には口頭試問が控えている。現時点で私は文字通り修士論文を提出しただけの人間である。
私は今後も学問に何らかの形で関わることを目指すらしい。それはどのような形態になるのかわからない。博士課程の出願は済ませたが、合格する自信ははっきり言ってない。
私はこれまでもたびたび「今の時点で職業研究者になるつもりはない」といった発言を繰り返してきた。
その真意は定かでない。それは私なりの謙虚さなのかもしれない。またそれは学術界の現実に自らの命を賭すことへの恐怖なのかもしれない。
そのような人間が博士課程に行ってよいのか。よくわからない。私の目の前にはミサイル発射を繰り返す北朝鮮だけがある。
結局、私は学問に対して何らかの覚悟を持っているようで持っていない曖昧な態度に終始している。
その裏側ではまた大きな問いを考えてしまう。自分が学問をやることで現実の日朝関係に何をもたらせるのだろうか。この類の巨大な問いは方向感覚を失わせる可能性と隣り合わせだ。怖い。
ただ修士課程を通じて学問の深淵さを少しばかりのぞくことができた。その懐の深さは私のような曖昧な態度に終始する仔羊も受け入れてくれるかもしれない。そんな淡い期待だけは持っておこう。
寒くなってきた。空気も乾いている。
毎年この時期は胃がつかまれるような感覚を覚える。
完。
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