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バカな自分を許してこれからもバカのまま

2024年2月から仕事に復帰した。七ヶ月ぶりに働いてみると実感する。人と人のつながりが社会を作り出しているのだと。

ビジネスの現場では、「あの人は大学時代の先輩だった」とか「ゼミで同じだった」とかで情報収集がスイスイ進む場面をよく見かける。

自らの過去は現在の自分の資源となる。会社の中で自分の目標を達成するために、自らのつながりを(常識の範囲内で)動員することは奨励される。だから「シマッタ。大学時代に交友関係を広げておけばよかった」と思わないわけではない。

ただ大学時代の私は、自らの将来の後悔を見越して行動できるほどスマートでなかった。大衆性と貴族性を兼ね備えた慶應義塾大学で、自分のポジションどりは難しいものだった。私は大衆的でも貴族的でもなかった。学内の周辺部にいる自覚はあった。かといって自分で自分の「ノリ」の磁場を作り出せるほど自分がエネルギーに満ちていたわけではなかった。

意思ではなく必然に身を任せることがある。能動性ではなく受動性。大学時代の交友関係はまさしくそのような類の一部であった。「〇〇のためにXXXに行って、△△な人に会いたい」といった類の発想がなかった。結果的に友人関係は偶有性を伴うものになった。

単位獲得でもそうだ。限られた資源の中で周りを利用することができなかった。要領の悪さと引き換えに手に入れたのは融通無碍な「自分でなんとかする」姿勢だった。「周りにテストの過去問をお願いするくらいなら自分で授業に出るほうがマシ」と考えていた。私なりの美学の問題だった。

だからその頃の私には交友関係が狭くなる必然性があった。必然はその中にドップリと使っている間はわからない。むしろ周囲と「ノリ」が合わないこと(これを千葉雅也は「バカになる」と表現した)を抱える必要があった。だから私はそのころの自分を責める、ということはきっとしない。日吉キャンパスで小難しい顔をしながら歩く「バカ」な私を「当時の自分はそうせざるを得なかったよね」と許すだけだ。

新たなことを学んでいく限り、人はずっと周囲と「ノリ」が合わない。だから私はバカのままでいられればそれは素晴らしいことだ、と思う。そのためにもまず大学時代の私を今、許す必要があるのである。

完。


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