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  • こばるとの「言葉る」記録

    語学、詩、創作についてのエッセイ・勉強記録などをまとめます。

最近の記事

「言葉る」記録#07〜セラピーだったり鏑矢だったり〜

2022年春学期まで続いていた東大の自由選択科目(主題科目)に「コラムランド」というものがあった。 続いていた、というが、わたしは今年入学してたまたまシラバスで目についたその授業を取ったので、運良く初めてのコラムランドとの出会いが、授業として開講される最後の東大コラムランドだったことになる。 「コラムランド」とは何か。 簡単に言えば、毎週与えられるお題に沿ったA4用紙1枚分の文章作品(コラム)を提出し、匿名で批評・議論する、というワークショップ形式の講義である。文字(活

    • 「言葉る」記録#06〜言葉という娯楽〜

      (「ありがとう」を「有難う」と書くのは楽しかった?本当に?) (古典を勉強すると、きみたちが独自に獲得したと信じていた文体がいかに借り物でしかなかったかを学ぶことができる) (ほんとうにきみたちは、自由に言葉を紡げるということをenjoyしているか?)

      • 「言葉る」記録#05〜Refuse to be〜

        「怒れ、怒れ、消えゆく光に」。 映画「インターステラー」でも有名になった、ディラン・トマスの詩の一節だ。ところがこのツイートでは、ある注意書き看板の写真とともにこの一文が投稿されている。 看板には、 REFUSE TO BE STORED IN BLACK PLASTIC SACKS AND PLACED IN THE CONTAINERS PROVIDED と書いてある。一体どういう意味だろうか。 store ~ in black plastic sacks「〜

        • 自選・「月」並句たち

          昨夜(今夜?)は月蝕だったらしい。みなさんがスマホやら自前のカメラやらで月をおさめようとしているのがちらちらSNSに流れてくる。 俳句・和歌の世界では「月」といえば秋だ。それぞれ他の季節の月は「春の月」「夏の月」「冬の月」と呼んで区別する、ことになっている。 だがいくら文学史としての事実がそう言っていても、いま現代に月を見上げるわたしはどこかで「月はなんだろうと月では…?」「春の月だの夏の月だの、単に時期を並べただけの事実じゃないのか」という冷めた目をしてしまっている。

        「言葉る」記録#07〜セラピーだったり鏑矢だったり〜

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        • こばるとの「言葉る」記録
          7本

        記事

          連作20句「原級留置」

          第14回石田波郷新人賞・落選作です。

          連作20句「原級留置」

          「言葉る」記録#04〜それわ短詩ぢやないだらふ〜

          俳句を始めて3年目になる。 「俳句をやっています」と人に自己紹介すると、返ってくる反応はさまざまだ。「渋いね」「古風だね」とか「雅だね」といった、なんというかステレオタイプな反応はまだ多い。それだけ俳句が知られていない、ということなのかもしれない。 世の中で「俳句」と言えば、芭蕉や一茶、蕪村らなどによる句が想像されることだろう。「古池や蛙飛び込む水の音」などの句はあまりに有名で、俳句の代名詞的でもある。 しかし、この時代「俳諧」と呼ばれ現在の俳句のもとになったと言われる

          「言葉る」記録#04〜それわ短詩ぢやないだらふ〜

          「言葉る」記録#03〜「言い回す」ことの怖さ〜

          特定の表現が、元の文脈を外れて「言い回し」として使われることがある。 「シュレディンガーの猫」は良くも悪くも定期的にネットで流行る一例だ。 元々の思考実験が指す内容はこうである。中身が見えない箱の中に放射性原子と猫を閉じ込める。さらに、箱の中の放射性原子が(確率的に、いつか必ず起こる結果として)自然に崩壊したことを観測すると、何かしらの仕組みで必ず中にいる猫を殺してしまうというからくりを箱に取り付けておく。この仮想的な実験設定では、この恐ろしい仕掛けが作動しない限り、中にい

          「言葉る」記録#03〜「言い回す」ことの怖さ〜

          「言葉る」記録#02〜教科書は学生の心強い味方〜

          前回の記事でも書いた通り、わたしは現在東京大学の1年生として、さまざまな科目を学んでいます。東京大学の前期課程(1・2年生)では、必修の語学科目として英・独・仏・西・伊・中・韓・露語などのうち2つの言語を第一・第二外国語として選択し、履修しなければなりません。 多くの学生は、高校などで学んだ英語を第一外国語(既修)、残りの独・仏・西・伊・中・韓・露語のうちのいずれかを第二外国語(初修)として選択します。 わたしは第二外国語(初修)の言語として、中国語を選択しました。 中国

          「言葉る」記録#02〜教科書は学生の心強い味方〜

          「言葉る」記録#01〜語学、詩、創作、その他もろもろに生きること〜

          こんばんは。「こばると」と言います。高1の頃からこのアカウント名でほそぼそと活動して、かれこれ5年目になります。現在は東京大学の1年生として、理数系の必修科目以外にフランス語・中国語などを勉強しています。 子どもの頃から、なんとなく語学が好きでした。 みんなが日曜日の朝暴れ回る仮面や5人組のヒーローを見ていたとき、録画してあったNHKの語学講座を見て育ちました。好きなお笑い芸人のネタは、いがわゆり蚊の「チェンバル語講座」でした。 ひらがな、カタカナを覚えて、漢字を覚えるか

          「言葉る」記録#01〜語学、詩、創作、その他もろもろに生きること〜

          2022/8/5「数学デー」レポート in N・S高御茶ノ水キャンパス【1/n】

          数学デーの歴史は思ったより長い。2017年に始まって以来、かれこれ5年半の期間を数えるなか、ほぼ定期的に開催され続けている(らしい)。しかも週1とか2で。 めちゃくちゃ長いわけではないが、オンラインのゆるいつながりを生かしつつリアル開催もされているネット始発系イベントの中では珍しく「濃い」続き方をしている類のイベントだと思う。インターネットのノリ、なんだかんだ流行り廃り激しいし。 そんな偉そうなことを書いているこの私、こばると(@428sk1_guardian)の数学デー参

          2022/8/5「数学デー」レポート in N・S高御茶ノ水キャンパス【1/n】

          【連作短歌】応答せよ 四首

          題「over」で四首。

          【連作短歌】応答せよ 四首

          【連作短歌】エトセトラ 四首

          題「エトセトラ」で四首。

          【連作短歌】エトセトラ 四首

          先生、その俳句の「切れ」はそうじゃありません

          この記事は「言語学な人々 Advent Calendar 2021」の4日目の記事として書かれました。 はじめに俳句を始めた。2020年、高3の夏だった。 高2までは理系の文化部だったけれど、うちの高校にそもそも部活と呼べるほどの活動実態のある文芸の部活はほぼなく、俳句部なんてもってのほか。校内に特に仲間もいない中、ひとりで始めた、ある意味趣味らしい趣味だった。 校内に仲間がいないと書いたけど、本当はその頃、校内にもほとんどいられなかった。少なくとも、当時の僕が期待(依存?

          先生、その俳句の「切れ」はそうじゃありません

          連作20句「いちばん近い青」

          魚氷に上るマンチェスターの工手かな 春の水人を人たらしめて夕 チューリップわたしをひとつ埋めて咲く 永き日やポスト開錠する動作 落ちゆける関数やはらかく椿 朧月聞いておきたいことがある ブラインドうち鳴る裏の甲虫 ほんたうに音がせぬとは夏の空 珈琲濃し旧作のポスタアに南風 夏服のきみはさういへばはじめて じりじりと網戸を登る蟬の腹 墓参こはごは踵履き潰す 銀漢にいちばん近い青を選べ 硬筆のとめとはらひの水の秋 宵闇にある電線のふとさかな 電子ピアノの電池入れ換へ文化の日

          連作20句「いちばん近い青」

          試験問題を問うということ(入試改革と、我々はいかに誤ったか)

          アメリカのSAT、イギリスのAレベル、中国の高考(ガオカオ)――こうした標準化された統一学力試験(standardized testing)は、多くの先進国の教育システムにおいて象徴的な存在となっている。こうした様々なテストは、個人の知性、いわゆる「学力」を一般に測るものさしとして、普遍的に価値を持つものとして用いられてきた。これらのテストが「教育」というもの全体のイメージを支配的に定義してきたといってもいいだろう。 教育と、絶え間ない「試験地獄」のイメージの結びつきはあま

          試験問題を問うということ(入試改革と、我々はいかに誤ったか)

          -1と数学デーとホワイトボードとクリッカー

          はじめにこの記事は、数学デー Advent Calendar 2019 の第1¬日目(※0)の記事です。 〈注意〉 以下の文章は、私が今年の高校文化祭で、所属していた部活である数学研究会の「青春と数学」というタイトルの展示に向けて寄稿した文章をほぼそのまま書き写したものです。この点にご留意のうえ、読み進めていただければ幸いです。なお、※1~※4には注釈があります。 本編本日は第68回筑駒文化祭「暁」(※1)にお越しくださりありがとうございます。数学科学研究会副部長および

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