「言葉る」記録#07〜セラピーだったり鏑矢だったり〜

2022年春学期まで続いていた東大の自由選択科目(主題科目)に「コラムランド」というものがあった。

続いていた、というが、わたしは今年入学してたまたまシラバスで目についたその授業を取ったので、運良く初めてのコラムランドとの出会いが、授業として開講される最後の東大コラムランドだったことになる。

「コラムランド」とは何か。

簡単に言えば、毎週与えられるお題に沿ったA4用紙1枚分の文章作品(コラム)を提出し、匿名で批評・議論する、というワークショップ形式の講義である。文字(活字)を中心とする表現であれば、コラムの内容は小説・詩・エッセイ・評論など特定の形式を問わない。

お題も「鍵」「ひらく」「ピラミッド」「海」「K」など、抽象的なキーワードがほとんどで、作品にそのキーワードが直接含まれている必要すらない。あくまで発想のスタート地点、といった程度のものだ。

もともとは東工大で始まった講義を、当時の受講者だった先生が大まかな形式を引き継いで東大教養学部で開講したものだという。

講義とは言うものの、教員やTAが何か学生全体に向けてアドバイスやレクチャーをすることはなく、あくまで同じ参加者・ファシリテーターという立場なのも特徴的だ。たまに受講者に紛れて普通に作品を投稿していたりもする。

そんなゆるい創作投稿・批評のプラットフォームとして機能していたコラムランドだが、やってみると案外「数十人の作り手が毎週いっせいに、共通のお題と締め切りをもって作品を仕上げてくる」という場であるというだけでかなり刺激的で負荷も大きい創作の場であるということがわかってくる。そもそも学生の身分ではそんなに「定期的に締め切りを課されたうえで好きなものを書く」という立場には置かれないので、それ自体が新鮮だったのかもしれない。

この辺の連作短歌は、このコラムランドできっかけを与えられて詠んだものだ。短歌じたい、人のは読むが自分で作る機会がなかなかないので、こういうお題が与えられるとやりやすかったりする。

どうでもいいが、短歌ブームを特集しためざましテレビでインタビューを受けたとき、このとき作った「悲観的な象は体が短いと見るのだろうか ぱおーんと鳴く」がそこそこ尺を取って紹介されてしまった。自分でも好きな歌ではあるが、ふだんは歌詠みではないのでちょっと気恥ずかしい。


コラムランドに限らず、意欲的な書き手が集まる場所ではある程度慣れてくると「評価」を気にするようになる。基本的に指導する側の一元的な評価・フィードバックはない仕組みだったが、授業では互いの作品を匿名でグループワーク的に評価しあい、そのグループごとによかったと思う作品を「おすすめ」として授業の最後に指名する仕組みになっていた。

面白い作品を書く人間たちがこれだけ集まっているなかで、自分の作品を読ませたい。あわよくば「おっ」とかちょっと思わせたい。なんか自分でもよくわかってないけどこうしたな〜みたいなところに含蓄汲み取ってほしい。そういうエゴが湧いてこなければ創作者じゃあない、とかたまに思いながら言い訳して、ちょっと自分のスケベ心を隠している。

いや、隠す必要などないのかもしれない。今や何とはない「つぶやき」「コメント」だけでも右も左も評論気取りで、これだけの書き手があふれているネット空間において、自分の言葉を読んでもらう・読ませるという行為は、精神的な露出行為であり野性的な示威行動であり威嚇である。

そう思いながら「読ませてやる」と言葉を紡ぐときのわれわれには、なにか特殊な脳内物質が流れているに違いない、と思わせるエネルギーがある。

傷つけない笑いも創作もあるものか。自分が見るためではなく他人に見せるために書くとき、言葉を電波や紙面に乗せて対外に発信するとき、人はみな、誰かの心に小さな小さな切り傷・擦り傷を残すために言葉を紡いでいる。覚えていてもらうために、あなたの心が沈んだとき、その小さな傷が開いてしくしくと沁みわたってくるように。あなたを決して許さず、離さないために。


ものを書いていると、多かれ少なかれこんな自分勝手の、愛と呼ぶには軽薄すぎるエゴに酔うことがある。

そういう鏑矢、宣戦布告として放たれる言葉もあれば、誰かが自分を救われようとして、自己を振り返って紡ぐ言葉もある。言葉にすることで自分の輪郭を定め、掬い上げようとする。言葉はそういう自己決定の側面をもち、うつや暴力でトラウマを抱えたひとびとの療法として、グループでも一対一でも「言葉にする」ことを重視するセッション・セラピーが多用される理由はここにある。

大人数でいっせいに同じ題で創作をしても、スタイルや内容は多種多様でほとんど被ることがない。そんなとき、各作品に表れているのはそれぞれの作り手の個性であり、自らと向き合う内省である。それを作り手どうしが晒け出して互いに見る、いや、晒け出せるということ自体が、ある意味戦いではなくセラピーのような側面を持っていると言えるかもしれない。

この作品はある週に、「娯楽」という題でコラムランドに出したものだ。

その回ではありがたくこの作品がおすすめに指名され、作者が名乗り出る機会があったのだが、あとで「もっと文章に苦しんで常にフラフラしてる文学グロッキーな人が来るのかと思ってた」「苦しみながらも楽しめてるみたいで安心した」というコメントがあって思わず笑ってしまった。

その場では笑ってしまったが、そういうことなのかもしれない、と後になって思う。何とは言いながら、そうやって作品にとどまらない自分のパーソナルな部分を心配され、受け入れられたという事実が、思ったよりずっと嬉しかったのだ。

そのときは自分は何も意識せず、単に「読ませる」つもりで書いていたものが、実は「受け入れられたい」という脆さで動かされていたのかもしれない。そんなことを知ってか知らずか、今日もぼくたちは互いに小さな傷をつけあいながら、それでもどこかで、抱きしめあえることを望んでいる。それはまだまだ愛と呼ぶには幼すぎるけれど、きっとどこかで、また誰かが誰かを覚えていくのだろう。

それがあなたとわたしのことであったなら、きっと嬉しいことだね。


物語という営みそのものは、ほとんどの場合において語り手と受け手の間に生じる力学である。語るべき対象を語り手が言語を媒介として描き、それを受け手が受け取ってまた語られたものを再構成する。この一連の流れのうち、受け手と「脈絡がない」語り手のことばの間で物語は生じていくと内田樹は「物語るという欲望」の中で論じた。しかし語り手が語る対象を言語化するうちにも、語り手のなかで明文化されていない、「脈絡がない」流動的な対象をことばによって明示し確定させていくという営みが潜んでいる。このなかで、語り手は自らより生じたことばを立ち戻って俯瞰し、そのイメージと語るべきものの乖離を微調整しながら語りを続けるという「物語る」行為を断続的に行っていると見ることもできるだろう。
自己物語において特徴的なのは、少なくない場合においてこの「語る対象」「語り手」「受け手」はすべて同じ個人によって成立することだ。というよりも、先ほど述べたふたつの「物語」の構図のうち、語り手と語る対象(もしくは,語り手から生じたことばの収斂させる対象の像)のあいだに生じる力学が語り手と受け手のあいだのそれよりもはるかに重きを置かれるという方が正確かもしれない。ナラティブセラピーやラバーダッキングといった自己物語の形式をとった自己との向き合い方では、自己を振り返り言語化する語り手としての自分を観測する「受け手」の存在を仮定するが、実質的には受け手と語り手のあいだの力学は意図的に捨象され、その場に受け手が存在することは「語り手」が自らの語りを振り返り「物語る」ことを促進するいわばカタリストでしかない。そういった意味では,自己物語の場において「語り手」と真に同質でない個人としての受け手は「観測者」としてそこに存在すると言ってもいいだろう。
「山月記」の中においても、李徴の語りは袁傪に対して彼の知らぬ李徴の半生とその後を口承するという形をとってはいたが、ある意味においてそれは「袁傪に観測されている」という意識のもとに成立する、変化する自己と向き合う内省の儀式でもあった。そしてこの語る対象と語ったことばを通じて物語を生じる営みは、今もこのような形で行われているのである。


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