-1と数学デーとホワイトボードとクリッカー

はじめに

この記事は、数学デー Advent Calendar 2019 の第1¬日目(※0)の記事です。
〈注意〉
以下の文章は、私が今年の高校文化祭で、所属していた部活である数学研究会の「青春と数学」というタイトルの展示に向けて寄稿した文章をほぼそのまま書き写したものです。この点にご留意のうえ、読み進めていただければ幸いです。なお、※1~※4には注釈があります。

本編

本日は第68回筑駒文化祭「暁」(※1)にお越しくださりありがとうございます。数学科学研究会副部長および編集担当を務めます、こばると(※2)です。部員たちの渾身の作であるTMOやJTMO(※3)、パズルの数々は楽しんでいただけているでしょうか。
中には、数学に苦手意識があったり、問題にさっぱり手がつかず面白くないという方もいらっしゃると思います。副部長の私が言うのも変かもしれませんが、私も具体的な問題を解くのは苦手で、今年のTMOを編集していても、部員たちが送ってきてくれた問題をどう解くのかほとんど分からないまま、訳も分からず問題を打ち込んでいました。
この文章はそんな方々に向けた、いわば閑話休題、箸休めのようなコラムです。使われている数学のレベルは、小学校の算数と中学1年生の「正負の数」の単元だけ。「絶対値」とか聞いたことあるなぁ、ぐらいの記憶がある中高生以上の方々や、「マイナス」って知ってるよ!という小学生以下の背伸びしたちびっこたちにもお楽しみいただける内容かと思います。数学という分野のつながりや、考える楽しさが少しでも伝われば幸いです。

2019年5月17日、千代田区・御茶ノ水。
学校を終えた私はいつものように、N高等学校・御茶ノ水キャンパスに向かっていました。全日制高校に通う私が、近年「ニコニコ動画」の会社が設立したことで有名になった通信制高校の建物に出入りして何をしているかといえば、そこでは毎週金曜日に「数学デー」というイベントが開催されているのでした。

――数学デーは、毎週水曜日には神田の一角にあるオフィスを、毎週金曜日にはN高の教室をスペースとして借りて行われている、年齢や性別を問わず様々な数学好きが集まるイベントです。集まって何をするかといえば、誰かが持ち込んだ問題をみんなで考えたり、数学書をみんなで開いて勉強会をしたり。でも、そうしたまじめな「お勉強」だけが数学デー(あるいは数学)の側面ではありません。ときには特に脈絡もない話題に花を咲かせたり、かと思ったら突然数学のワードが飛び出したり…数学にまつわるゲームをすることもあれば、全く数学とは関係なさそうなへんてこりんなゲームで大笑いしていることもあります。参加者の誰かが「数学をする場所が数学デーなのではなくて、数学デーで行われていることが数学なのだ」とふざけ交じりで言っていた覚えがありますが、私は数学デーのこの独特の「ゆるい」雰囲気が大好きでほぼ毎週通っています。
数学デーのTwitter公式アカウントには、数学デーとは「数学好きまたは数学好きでない人がなんとなく集まる部室みたいなやつ」「数学好きが集まってわいわいと楽しむ場」と書かれています。「部室」というのはあのゆるい雰囲気を表すとてもいい表現だと個人的には思っていて、本校の数研でもよくそういったゆるい活動光景が見られます。筑駒数研は、決してみんなで同じ方を向いて一斉に勉強をする「授業」のような空間ではなく(もちろん、気が向いた時にはそういった活動をすることもありますが)、各人がめいめいに自分たちの好きな「数学」を追い求めて、時には勉強、時には遊び、そうして作り上げられるゆるい雰囲気にその本質があると思っています(このデコ(※4)の運用形態にも若干そのゆるさが出すぎてしまっているきらいがあり、そこは必ずしも長所とは言えませんが)――

さて、その日の数学デーではいったいどんな「数学」が展開されているかしら…そんなことを考えながら扉をくぐると、すでにその新しい「世界」は開けていました。
「ああこばるとさん、ちょうど今こんなことを考えていたんですよ」
そのテーブルに広げられたホワイトボードシートを見ると、そこには「¬,0,1,2,3,4,5,6,7,8」とか「20-1=19,10-1=9,0-1=-1←??」「10-1=1¬」「¬+¬=¬8」などと、いつものごとくぱっと見では意味不明な、そして一部はこれまで見たこともないような式たちが書かれていました。
とはいえ数学デーでは、誰かのふとした思いつきでこれまで考えたこともなかった「新しい概念」が考え出されることもよくあります。これもそんなもののひとつだろうと思い、詳しく話を聞いてみると、だいたいこんな具合でした。

「なるほど、いつも通り意味が分かりませんがこれは?」
「ほら、0より大きい数で考えたときって、『0』のひとつ前はいつでも『9』じゃないですか。100-1は99だし、20-1は19だし、10-1は9」
「なるほど。でもそれが、0より小さいマイナスの世界に入ると事情が変わってしまう、と」
「そうなんですよ。0-1は-1、-10-1は-11と、いきなり『0』の前が『1』になっちゃう。一の位の並び方が急に変わるんです」
「確かに揃ってないのは気持ち悪いですね」

――数学好きというのは、なぜかわかりませんが「そろっていない」「共通していない」「例外がある」というのを嫌う傾向があるのです(個人的な偏見)。最初は意味が分からないと普通の人ぶっていた私も、なんだかんだすぐに理解してしまいました。

「だからこれをどうしても揃えたくて、10進法に『1足りない(0より1小さい)』を表す1桁の数を新しく組み込んでみたんです」
「いまの僕たちの書き方だと、その数は『-1』、つまり2文字使って『0より1小さい数』という説明くさい書き方をするけど、この書き方だと1文字でこの数そのものを直接表せるんですね。で、それを表す新しい『数字』がこの、なんか…『7』みたいな」
「『¬』ですね。読み方は『フ』です」
「負の数の『負』からの連想ですか、安直ですがわかりやすい。一見、論理学で使う『否定』の記号にも見えますけど」
「最初はそのものズバリ『フ』ってカタカナで書いてたんですけど、おっしゃったとおり7と見間違えるのでちょっと短くしました」
「あ、案外適当なんですね」
「そういえば、いちいち『この書き方』とかいうのめんどくさいので、このフを使った数の書き方を『フ記法』って呼ぶことにしませんか」
「あんがい宇宙のどこかにフ記法を使ってる生物がいてもおかしくなさそうですね」
「じゃあその世界はさしずめ『フ界』ですね」

――その続きは、こんな具合です。この新しい数字を使って考えると、10より1小さい数、つまり「9」は、十の位が1で一の位が¬(-1)、つまり「10が1個と1が-1個」とも考えられるので、「1¬」(じゅうフ)と書けば表せることになります。「¬」が「1足りない」を表す数と考えて、「1¬」をそのまま「10より1足りない数」と読んでもいいですね。同じ数を表す数字の書き方が2通りあっても困るので、ここで「9」には引退してもらって、「¬,0,1,2,3,4,5,6,7,8」の10個の数字を使ってすべての数を表すのです。
これを使えば、さっき考えていた「一の位の並び」の問題は解決されます。100-1は「10¬」,20-1は「2¬」と表せるうえ、0-1はそのまま「¬」で済みますから、「0」の一つ前はいつでも「¬」で統一できます。

さらにこの書き方を応用すれば、¬よりも小さい数、つまり「-2」以下の数もマイナス記号を使わずに表すことができます。簡単にわかりやすくいってしまえば、マイナスの数を人生ゲームの「借金」(約束手形)と同じように扱うのです。
人生ゲームでは、1000ドル単位で1000ドル、5000ドル、10000ドル、20000ドル、50000ドル、…の「紙幣」があるほかに、ペナルティを所持金から払いきれず「負債」に陥ったプレイヤーの借金額を表すための、1枚でマイナス20000ドルに相当する「約束手形」が存在します。そうなると負債は20000ドル単位でしか発生しないのかというと、そんなことはありません。では1000ドル単位、たとえば3000ドルのマイナスに陥ったプレイヤーはどうすればいいのでしょう?
そういうときは、約束手形と紙幣をいっしょに使います。つまり、マイナス20000ドルの約束手形1枚と、紙幣で別に17000ドルを銀行からもらえば、17000-20000でマイナス3000ドルの所持金を表すことができます。こうして、約束手形は20000ドル単位でも、細かい負債額を表すことができるのです。

この考え方で、フ記法での0より小さい数を表すことができます。数の書き方を、人生ゲームのお金の持ち方で考えてみましょう。ある人生ゲームの銀行には、マイナス1円、10円、100円、…の約束手形があります。それぞれさしずめ「フ円玉」「フ十円玉」「フ百円玉」…とでも呼びましょうか。これらの約束手形は、同じ額のものを複数枚持ったり、同じ位の額の小銭や紙幣といっしょに持っておくことはできないので(ひとつの位に「¬」は一つしか入りません)、できるだけ大きい位の額の約束手形を最初にもらって、あとから紙幣や小銭で帳尻合わせすることにしましょう。
すると、たとえばマイナス2円は、フ十円玉1枚と、あと8円で表せますから、フ記法では「¬8」(フじゅうはち)、マイナス3円は「¬7」(フじゅうなな)、…と表すことができます。また、マイナス10円、マイナス11円はフ十円玉とフ円玉だけを使ってそれぞれ「¬0」(フじゅう)「¬¬」(フじゅうフ)と書けばよいですし、マイナス12円であれば、いったんフ百円玉をもらって、あと88円もらえばよいので「¬88」(フひゃくはちじゅうはち)。

ここで、フ記法で表された整数を、数直線のように小さい順に並べてみましょう。とりあえず、僕たちの世界でいう「-12」から「12」まで書いてみます。

…,¬88,¬¬,¬0,¬1,¬2,¬3,¬4,¬5,¬6,¬7,¬8¬012345678,1¬,10,11,12

こうして並べてみると、やはり一の位の「¬,0,1,2,3,4,5,6,7,8」という規則的な並びが美しいですね。さらに、もっと実用的な側面を考えてみると、フ記法で書かれた数は、いつでも「大きい位から比べていって,同じ位の数字が違っていたらその位の数字が大きい方が大きい」という統一された規則で大小を比べられることがわかります。(つまり、「¬3」と「¬5」なら、「¬5」の方が大きいということです)
マイナスを使った書き方では、「マイナスの数同士を比べるときだけは、絶対値が大きい方が小さい」という例外的な規則を覚えなければいけないことを考えると、画期的ですね。

そうです。小さいころ、あるいは負の数を習ったとき、どうしても「-5」より「-3」の方が大きいことに納得がいかなかったひとたち、悪いのはあなた方ではなかったのです。0より小さい数を「マイナスいくつ」だのと、「0よりいくつだけ小さい」という表し方をする数の書き方そのものがナンセンスだったのです。

さらに、フはマイナス記号と違って、0より小さいことを表すただの記号ではなく、一桁の「数字」として扱えますから、たとえば「¬,0,1,2,3,4,5,6,7,8」の10個の数同士の足し算表や掛け算表を作れば、位にフが入っている数でもそのまま計算することができます。「¬+¬=¬8」(フたすフはフじゅうはち)「¬×¬=1」(フフがいち)といった具合ですね――

「…ということは、0より小さい数の計算を考えるとき、僕たちだったら『5+(-3)』を『5-3』と読み替えて計算したり、『(-2)×3』を、絶対値の『2×3』だけ計算してあとから符号を考えたりするけど、フ界ではこういう思考を挟まずにそのまま筆算できたりするってことか?」
「そのまま筆算する?」
「試しに計算してみよう。『5+(-3)』はフ界なら『5+¬7』だから…5+7で12、だから一の位は『2』で、1は繰り上がって十の位のフに加わって、¬+1=0で、十の位は『0』。だから答えは『02』で、きちんと『5+(-3)』の答えになってる!」
「えーっと…そうなのかな?」
「『(-2)×3』はフ界なら『¬8×3』だから…8×3=24、で一の位は『4』で、2は繰り上がって、¬×3=¬7だから」
「フ、フさんフじゅうしち…??」
「繰り上がった2を足すと、¬7+2=¬だから十の位は『¬』」
「¬7+2って…えーと…?」
「だから答えは『¬4』で、『¬4』はマイナス6のことだから、やっぱりきちんと『(-2)×3』の答えになってる!こ、これすごいですよ!画期的ですよ!」
「え、えーっと、ちょっと待ってください」
「あれ、なにか変なこと言いましたか」
「こばるとさんの計算が早すぎて、みんなついてきてないです」
「えっ」
「えっ」

…いつの間にか、フ界に対する順応能力も、情熱も、なぜか先に到着していたみなさんを上回っていました。数学デーで日々生まれる新しい概念は、基本誰からともなく誕生していろいろなひとがめいめいにその概念を発展させたり研究したりしていくのが常なのですが、以来、私は「フ界研究の第一人者」だったり「フ界をやってるひと」だったり、それすら通り越して「フ界に住んでるひと」みたいな扱いを受けることになってしまいました。今では、「-1を新しい1つの数字で表す」という発想を最初にぽろっとこぼした参加者の方よりも私の方が「フ界といえば」みたいな感じで有名になってしまっています。カルダノという16世紀の数学者は、タルタリア(ニコラ・フォンタノ)という別の数学者が秘密裏に発明した三次方程式の解の公式のアイデアをこっそり聞きだし、そのアイデアをもとに自分で公式を研究・改良して発表した結果、いつの間にか発案者のタルタリアより有名になってしまい、今ではその公式は「カルダノの公式」とすら呼ばれている、という逸話がありますが、カルダノもこんな気まずいような気恥ずかしいような、微妙な気持ちになったんでしょうか。

そして、2019年8月24日、港区・虎ノ門。
私は、数学好きたちが自分の数学への愛を語るという講演イベント「ロマンティック数学ナイト」で、とうとうフ界にまつわるスピーチ発表をしてしまいました。
前日まで慣れないスライド準備をし、本番ではクリッカー(スライドを切り替えるときに使うリモコンのようなもの)の扱いに戸惑いながらも、なんとかプレゼンを終えると、「面白い!」と言ってくださる方がたくさんいらっしゃいました。この、自分の考えていることについて「面白い」が共有できる感覚が私は大好きで、私がこういうイベントに参加しているモチベーションのメインの1つでもあったりします。
どうでもいいですが、「『-45』より『-49』のほうが小さいことが僕は許せないんです!人の道を外れている!」とか「フフがいち」とか、ここウケないとあとあと精神的にきついなぁ、と思っていた部分がそこそこウケたことも嬉しかったです。イベントの最後には、有名な数学者や数学の問題に関するネタをちりばめた「数学漫才」という余興があり、それも大いに楽しめたのですが、趣味や知識が共通していると、考えていることの細かい方向性には違いがあっても、いろんな人たちの間でこういったニッチな笑いや楽しみが共有できるというのも、数学に限らずいろんな趣味の楽しいところだったりしますよね。

そして私は同時に、このロマンティック数学ナイトで、いろんな人たちの「面白い」が介在し、時に混ざり合い、そして共有される、ということの楽しさと、そのつながりの強さを思わされました。発表者の中にも、数学の中に精神や哲学的なよりどころを求める人、実際の問題に対して数学が正確な答えを出せたときに感動を覚えた人、数学が発展してきた歴史に思いをはせる人、現代の数学の発展を注視してこれからの数学を作っていこうとする人など、いろいろな人がめいめいに自分の「好き」「面白い」を語っていました。
職業も大学教授やお笑い芸人、トイメーカーの商品開発にただの一介の高校生と、何もかもバラバラなのに、同じ「数学」という営みに対する愛でつながっている――特にこのつながりの強さを実感したのは、私のほかにもう一人いた高校生のプレゼンを聞いたときでした。

「数学という学問が求めるものは、実は科学の中でも異色である」
「科学は、世界の真実や理を探求する学問だけれど、実はその根底となる手段は『仮説を立てて、実験結果からそれが正しいかを推論する』という、論理的には厳密でない手段だ」
「たとえば、『雨が降ったら地面は濡れる』『今地面は濡れている』から『少し前に雨が降ったのだろう』という結論を導き出すことは、科学的にはよくあることだが、論理学的には正確ではない」
「だからといって、数学が、厳密すぎる、実用世界において存在意義のない虚学というわけではない。数学は実用世界に応用できることもあるけれど、実用のためにあるわけではないだけだ」
「数学は、今ある世界やその世界の真実を求めるための道具ではなく、むしろ今ある実在の世界の制約を飛び出して、自由に新しい世界や真実を『作り出す』ことができるものだ」
「科学が現実を1つに決定するものだとしたら、数学はもっと自由である」
「数学とは、自由を希求することによって訪れる境地であり、人間の知的好奇心の結晶そのものなのだ。だから私たちはそれに心惹かれ、感動し、美しいと思い、涙するのである」

小学生の頃に「ユークリッドの完全数を表す式の奇跡に鳥肌が立」ち、中学生で「三角関数のテイラー展開の神秘に涙」したという彼の数学への純粋な愛は本物でした。そしてそれを会場全体が感じ、そして共感したのでしょう、プレゼンの終盤には会場はしんと静まり、数学への愛を紡ぐ彼の言葉の余韻に聞き入っているようでした。

数学はその世界の限るところを知りません。人間が知を追い求める限り、それがどんなに抽象的で役に立たずとも、私たちは数学と向き合い続け、そのたびに世界は広がっていくでしょう。そしてその営みには、老いも若きも、すべてのものが歓迎され、迎え入れられます。知を追い求め、自分が知る世界の殻を破ろうとするとき、人はつい自分の現実を忘れるほどに、幼く無邪気で子どものような純粋さと好奇心を取り戻すのです。夜明けを告げる「暁」のやわらかな光のように、やさしく全てを包み込み、その前には全てのものが童心に帰る、そんな包容力と魅力を持った「数学」こそ、人間がいくら年老いても、「青春」のなかにあり続けられるネバーランドなのかもしれません。

――長くなりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。数学科学研究会がお送りする「青春と数学」、そして第68回筑駒文化祭「暁」を、どうかこの後もごゆるりとお楽しみください。

2019年11月1日

数学科学研究会 副部長
こばると

注釈

※0(第1¬日目) ここまで読んでくださった方には言うに及ぶまいが、フ記法における「第9日目」である。

※1(第68回筑駒文化祭「暁」) 筑駒文化祭には毎年1語程度のタイトルテーマが定められており、本年度は「暁」であった。ちなみに前年度のタイトルは「fluctus」、前々年度は「DICE!」である。「暁」の意味は公式ウェブサイトによると「 "夜が明けるかどうかのころ"を表すとともに、"将来あることが実現したときのこと"を表す言葉です。新元号のもと、そこかしこに夜明けの兆しが見えはじめた今、わたしたち一人ひとりの輝きをあつめ、筑駒の曙光が爽やかにひろがります。」

※2(こばると) さすがに当日の原稿には本名を書いたが、この記事ではHNに差し替えている。

※3(TMOやJTMO) 筑駒数研では毎年恒例でJMO、JTMO(日本数学オリンピック、日本ジュニア数学オリンピック)の形式を踏襲した懸賞問題を「TMO(Tsukukoma Mathematical Olympiad)」「JTMO(Junior Tsukukoma Mathematical Olympiad)」と称して文化祭で展示している。一定の点数をクリアすると景品(例年はクリアファイル)がもらえる。今年の問題と解答はもうすぐ公式サイトで公開される…はず。

※4(デコ) 「デコレーション」の略で、文化祭で各団体が運営する展示の総称。ポスター展示や実験ショーに映画上映、食品販売なども全部ひっくるめてこう呼んでいる。

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