「言葉る」記録#01〜語学、詩、創作、その他もろもろに生きること〜

こんばんは。「こばると」と言います。高1の頃からこのアカウント名でほそぼそと活動して、かれこれ5年目になります。現在は東京大学の1年生として、理数系の必修科目以外にフランス語・中国語などを勉強しています。

子どもの頃から、なんとなく語学が好きでした。
みんなが日曜日の朝暴れ回る仮面や5人組のヒーローを見ていたとき、録画してあったNHKの語学講座を見て育ちました。好きなお笑い芸人のネタは、いがわゆり蚊の「チェンバル語講座」でした。

ひらがな、カタカナを覚えて、漢字を覚えるか覚えないかぐらいのころにアルファベットやハングルを読めました。英語やフランス語、イタリア語・スペイン語の「r」の音の違いが発音できたのもその頃です。

へんてこな文字や発音を組み合わせて、いろんな意味の違うことばができるのが不思議でした。当時はやっていた韓国ドラマの台詞を教材にハングルを学ぶテレビ番組を見ていて、唯一覚えたフレーズは「팔이 또 빠졌다 (また、肩が外れた)」でした。そんな意味のない文ばかり覚えて何になったのかは、今でもわかりません。

いえ、意味はどうでもよかったのかもしれません。特に伝えたいことも、読みたいものもなかったのに、わけのわからない言葉を組み合わせて、何かが伝わってしまうということ。それだけが面白くて、たくさんの言葉を覚えました。そんな不思議な、空っぽの情熱だけが、あの頃の記憶です。

小学校の終わり、イギリスはロンドンに移住しました。ロンドンもまた不思議な、魅力的な街でした。目に映るものすべてが英語圏・ロマンス語圏のことばで、2・3ヶ国語を話す人が当たり前。そんな環境に囲まれて、いつの間にか英語やフランス語を当たり前に勉強していれば、伝えたいことを「読み取って」「翻訳する」ことに困らなくなりました。それは、異文化圏をサバイバルするなかで、当たり前の生活の一部でした。

帰国して、日本の高校受験を控える頃には、外国語の「英語」の科目試験でつまづくところはほとんどなくなっていました。語学において、客観式のテストにできることは、読めない方が難しいものを、当たり前に読み取らせるしかありません。
それ以上のスキルが必要ない世界で、ぼくは教室にひとり座って退屈にしていました。

高校に入って、俳句に出会いました。詩を愛することを覚えました。意味の背景に、文化や歴史があることを知りました。その背景を守るために、日々闘っているひとたちがいることも。

あれだけ交わることのなかった、「自分の伝えたい意味を伝える」という営みに、創作という行為に、最も自分の人生が近づいた瞬間でした。

今のわたしにとって、意味もなく、積み木遊びのようにただことばを組み合わせては崩して遊んでいた幼少期の記憶は、ある種の幼年期を振り返る恥であり、それよりももっと深い、人間としての無神経を後悔する恥でもあるような気がします。
あのとき、「ことば」として広く世の中に扱われ、パッケージングされているものではなく、それらが抱える意味や背景を愛でるこころが、わたしに備わっていたならば。今わたしが世界を見る目は、大きく変わっていただろうと思うからです。

一方で、その記憶は、今の自分の知識や経験を導くうえで、代えがたく大きい糧でもありました。そして、新たなことば、新たな文化を日々学ぶということは、そんな、あまりに無神経で幼稚な遊び心を、つねに新しく持ち続けるということでもあるのかもしれません。その幼稚な心がいつか殻を破り、自分のものと言えることばを持つことを祈りながら。

わたしのPCのユーザ辞書には、いつからか、ある一つの「ない動詞」が登録してあります。「言葉る」(ことば・る)がそれです。ことばを切っては貼り、つけかえては外す、そんな無意味な、でも、その後の成長と発達に不可欠な、ことばで遊ぶ行為を指します。
奇しくもそれは、わたしが適当につけたユーザーネーム、「こばると」のアナグラムでもありました。

このnote記事では、わたしがことばに出会い、学び、遊んでいく、その「言葉る」過程を記録していきたいと思います。ふと思いつきで始めてみる記録ですが、連載にできるほど書き続けることができるのか。それはこれからのわたしと、わたしの言葉が語るに委ねましょう。

Avoir une autre langue, c’est posséder une deuxième âme.
もうひとつの言語を持つことは、もうひとつの魂を持つことである

カール大帝

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