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もう一度、信じることを闘ってみる

夏休みの不在から、自分が住む場所に戻って来て感じたことがありました。

“わたしはこの場所で、護られていたんだ”

という事です。

ずっともう長い長い間、ここに居ることが不満でした。

夫だったDと普通に暮らしていた時も、賑やかな家庭を築いてるその心の片隅ではいつも不満が居座っていました。

例えていうならそれは、
「旅の途中のあまり気に入らない中継地に居る様な感じ」

でもそこは中継地などではなく、紛れもなく自分が家族と暮らす場所なのに。
その頃の私には、時間や何か大切なものがサラサラと掌から零れていく感覚が常にありました。流れ落ちるものを止めることが出来ない焦りに苛まれていました。

そんな嫌な予感が的中するかの如く、4年前からは逆境の渦に投げ込まれた様な時間が始まりました。

Dの不倫が再度発覚した2019年から別居が始まり、すぐに未曾有のコロナ禍も加わり、私のこの場所に居る不満は、時に憎悪に近い形にもなりました。

わたしがここで、ドイツで暮らすのは夫がドイツ人だからなのに...

半分この国の血を引く子供達を三人も持っても、自分がここに居る違和感は拭えませんでした。

「自分は囚われている
人生が削り取られているようだ」

最善を考えて、ここに残ると決めても、それでも心の何処からかこう囁く声がありました。

「じゃあ...あなたの人生はどうなるのよ?」

子供達のことを、その人生を大切に思うほど、
自分自身の人生は...というと、同じように大切にしていない、出来ない状況にどうしたら良いのか解らない。八方塞がりで、出口のないトンネルを進んでいる様な気持ちでした。

そういう中で、本当に最初は普通の日常生活を送ることを意識して、だんだんと“今は解らなくてもいつか解る日が来る”と思える様になっていきました。

“今は解らなくてもいつか解る日が来る”

今、振り返ってそう思える様になった辺りが自分のターニングポイントだったように感じます。

今回、日本帰省中に、ふっと「自分は護られていたんじゃないか....」と気がつく事がありました。

自分の国じゃない場所で、言葉の不自由も有る、行動の制限も有る、そして、、
Dはとっくに不倫相手と暮らしだしていて、なぜ私だけがここに残っていないといけないのか....と、結局はそういう忌々しい思考になっていました。

“加害を受けた”という気持ちが少しずつ、時間をかけて洗い流されて行って、自分の中でこんがらがっていた思考が少し変わったら、私が暮らす場所は美しく、慈愛に満ちた場所でした。

そこで忸怩たる思いでしか過ごせなかった時期も、そこから少しずつ解放されていった時間も、ずっとこの場所は、私を護っていてくれていた。

そのことが、帰国してハッキリと感じられるのです。

自室から庭を望む
左手の花梨の木に今年もたわわに実がなり始めている


風景が優しい...
包みこむ様な自然の抱擁のエネルギーを感じています。


もう一つ、

人を信じることをもう一度わたしは、自分と闘ってやって行く必要が有るということ。

Dは16歳年上で、人格的にとても頼りがいのある人でした。

時々、12歳と10歳の息子たちが聞いてきます。

「パパのどこを好きになったの?」

この質問の深い意図については、私はあえて触れませんが真摯に応えようと思いました。

私の答えはいつもこうです。

「そうだねぇ...パパは患者さんにとても優しかったのよ。そういう姿をいいなと思ったのよ」

国境なき医師団で出会った当時、リベリアの病院には大変な状況の患者さん達が沢山いました。
その人達、一人一人に彼は丁寧で優しかった。

そういう活動に来ている人なら当然では?
と思われるかもしれませんが、それが案外そうでも無いと、私自身も活動を通して知りました。

アフリカの病院は暑くって、汚くって、臭かったりします。
人間の全てが丸ごとそこに転がっている様で、その理不尽さ、愚かさも含めてが現地での生活で、そんな中で目の前の病める人間に“優しく触れて声をかける”という当たり前のことが忘れられ、流れ作業になっていく。

大体“当たり前”をちゃんと実行していくことの方がずっと難しい事なのでしょう。

私はそういう世界で自分の理想の人に出逢えたと思いました。
でも、その人と家庭を持ち、全く自分にとって未知の国ドイツに暮らし始める事は思っていた以上に大変な事でした。
生活全般の中で唯一全面的に頼れる相手は、アフリカの面影を持ったDという人でした。その面影をずっと引きずってしまい、現実の彼自身をしっかりと見ていなかった。

そういう中で私達は少しずつ、確実にお互いから離れて行きました。だから不倫にも二年間も気が付かなかった。

“彼がそんな事をする訳がない”

と、盲目的に信じていました。
それが崩れた時の打撃というものは、相手が信じるに足る人だと思っていたからこそ強大でした。

2016年に初めてその事実を知った時、私は40歳でした。この問題が終わったと、区切りを持てたのがこの夏でした。

7年かかった。

長い人生の時間だったと思います。

この騒動の一番の害は、別居や離婚といった目に見えるものよりも、
「人を信じる力」というものが弱くなったことなのかも知れません。

⚫︎少しの不安材料や疑念がどんどん膨らむこと
⚫︎無意識に最悪の状況を、丁寧に自分の中にイメージしてしまうこと
⚫︎そんなことを思う自分自身のことも嫌になって信じられなくなること

大きな裏切りにあったのだから当然でしょう?
と言われるかも知れない。
誰か信じられる人を見つけて、少しずつ回復していくのを待てばいいじゃない?

でもそうなのでしょうか?

損なわれた信じる力は、自分の中に在るものだから。わたしはもう一度、自分を知っていこうと思います。
自分自身のことを自分が一番知らないこともあります。そして“自分”と思うものは過去の姿だったりもします。
万物は全て変化するものですから、この“わたし”と思う自分もきっと変わり続けている。
その流動している自分を、その都度捉えて見つめていきたい。
そういう中で信じる心も、もう一度新しい気持ちで受け取っていけるのかも知れない、そう感じています。

それは時に闘いになるかも知れなくて、心の筋トレだと思って、それは自分自身を、そして相手を信じる筋トレだと...そう、感じています。

noteを始めたのが「不倫についてを書きたい」というものでした。
自分が渦中にいた時、この真っ暗な中から出る方法を知りたかった。
だから、いつか同じように苦しんでいる人の道標みちしるべになるものを書きたいと思いました。

自分の中で、逆境の嵐の日々が終わったと感じている今、少しずつ過去の日々と再び向き合ってその世界を知りたいと思っています。
noteを始めた頃はまだそれが難しかったですが、今なら大丈夫だと感じています。

実生活の変化が激しすぎ、さまざまな事に心が捉えられていると、ゆっくり座って文章が書けない時がありました。

私にとってたくさんの出逢いをもたらしてくれたnoteの世界はとても大切なので、ゆっくりでもまた自分のペースで書いていきたいな、と思っています。

心の旅に帆走してくださる仲間が沢山いる、このnoteに出逢えたことを心から感謝しています。

みなさま、これからもよろしくお願いいたします。

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