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幸福な凡人になりたい

普通に楽しく暮らしてる人たちが、むっちゃ羨ましい
友達とくだらない話して笑ったり、遊びにいったり
そういうことをして毎日楽し〜ってなってる人たちがむちゃくちゃ羨ましい

と思うと同時に、未だに、「何者か」になりたいときがある 凡庸ではない 特出した人間…
割り切れないね〜
それは多分、そういうふうに期待されてきたせいもあるけど
凡庸な人間よりも特別な人間のほうが良い、というね
親が大学関係の人だから、子供の頃からそういう「特別な」人のほうが身近だったし、そういう人のほうが世間一般の人より優れているんだと思っていた

しかし最近はそういう訳でもないかもしれないな、と思うよ
大人になるにつれてね…
運良く権威的な人物になれればいい意味で「特別」扱いされるけど、そうなれなかった場合はただの「異端」だよな、とか思う
リスキーなんだね

メンタルやってしまってから、そういう「特別」な人がうまくいかなかった場合の情報も入るようになってきたんで、ああ、紙一重だな…って実感する
大学教授もエジソンも、下手すればただの社会不適合者だったかもしれん
博打すぎる

そういう人が全てうまいほうにいくんならいいけど、勿論そんなことはない訳で…
だからやっぱり「平凡」はいいな、としみじみ思うよ、この頃は
ストライクゾーンが広いから
あれ思い出した、正規分布

平均 いいな

これの3σになれるかもしれんけど同時に-3σになる可能性もあります
よりか、
よくて1σだけど悪くても-1σです
のほうがいいのでは?
とか思う

しかし冒頭に書いた通り、まだ「特別」幻想を見るときがある
たまに「何者か」になるのを夢想するときがあるよ
普段の生活では劣ってるけどそのかわりに私には特別な才能があるのよ、だから許せ 的な
一発逆転的な
オセロのようにひっくりかえったらいいのになーみたいな
そういう夢想

でも多分、特別じゃなくても「それでいいじゃんか」って、そのままで認めてもらえるなら、それが一番幸せだろうな
だから平凡が羨ましいんだ
平凡でいいと思える人は、平凡でもいいと思える環境にいるってことなんだ
自己肯定感高まりそうでいいな〜

「満足した愚か者であるよりも、満足しないソクラテスであるほうが〜」とか言うけどね、
それもわかるけどね
やっぱり凡人ってそれなりに楽しくてよさそう、と思うな
満足できないって哀しい…哀しくない?
愛と勇気だけが友達なんて寂しいじゃないか
ということ!

でもどちらにも思いきれないので葛藤を抱えています
葛藤してるだけまだ偉いってことにしていいですか?考えなしではないんです
私は誰に言い訳しているんだ

そういうことをうだうだ考えたりしてる
大負けの可能性が視野に入ったから安定志向になった話かな
まあ憧れてなれるものなのかわからないが
鶏と卵、どっちが先なのか みたいに、
特別を目指したから普通から逸脱したのか
普通にはなれないから特別になろうとしたのか
自分でもよくわかんないし
どうしたらいいかわかんない
きっとこれからも悩みながら生きるんだ
こういうことが私の人生の課題なんでしょう、しらんけど

追記
「大学教授は変人」
という言葉、痛感する
あとあのちゃんの「普変」って曲の「ちゃんとしてるのにいつもおかしくて それでもこれしかなかった」って歌詞もむっちゃ痛感するよ
「これしかなかった」先の、人とは違う進路とか、生き方が存在するんだよな と思う
なんかそれに優劣とかないんかもな



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