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『「初心を忘れない」は才能なのか、努力なのか』。(後編)

 前編(リンクあり)では、長く仕事をしても慣れたり擦れたりしない「初心を忘れない人」を見て、驚きとともに、それは才能なのではないか、と思ったことから話を始めさせてもらいました。そして、それは才能なのかもしれないけれど、実は、何かしらの努力や工夫で、すくなくとも「初心を取り戻すこと」はできるかもしれない、というテーマで、さらに話を続けたいと思います。

全く別の視点から見ること

 毎日、仕事に続け、年月もたって、飽きてきて、だから面倒臭いことは避けたくて、それより、何しろ働く時間が長すぎて、疲れてどうしようもない場合には、何か別のことをする気力もなくなっているはずなのだけど、それでも、もう一度「初心を忘れない」ようにするには、まったく別の視点から見てみることも、もしかしたら有効かもしれません。


 実在の人に会える機会があるのが一番いいのだけど、それが無理なら、映像メディアでもいいし、本でもいいし、自分とはまったく縁がないジャンルの、それも本当に一流といわれる人たちの言動に触れてみる。

 それは、少し元気でないと理解力自体が磨耗しているから難しいけれど、それでも、時々、その人たちの言うことが、ただ分からないのではなく、新鮮に思える瞬間もあるかもしれない。

 たとえば、個人的には、いつかのテレビで、メジャーリーグベースボールの本当にレジェンドになったイチロー選手が、しゃべっていたのを見たことがあった。そういう光景は、たとえばいまに生きる人だったら、違う番組であっても、誰もが一度は接したことがあると思う。

 その中で、話しているイチローの言葉を聞いていて、少し驚いたのは、この人は、バットにボールがあたることを前提にしゃべっていて、そのあとの打球がどこに、どのように飛ぶか、みたいなことばかりを話しているような気がした。それは、もしかしたら、勘違いかもしれないし、自分がすぐに真似できることでもないのだけど、何かに取り組む時の思考の一つとして、すごいと思った。

 たぶん、他の一流のバッターでも、通常は、どうやってボールに当てるか、そのために次の球種をどう読むか、といった話は、いろいろな場所で聞いてきたように思うが、当たること前提の話を(勘違いかもしれないが)耳にしたのは初めてだった。

 そうであれば、自分がやろうとしていることの目の前の課題ができなくて悩んでいたとしても、それがクリアできたと仮定して、その次のことを考えることで、実は、その目の前の課題が解決できる視点を獲得できる可能性もあるかもしれない、などと思えた。


 それは、たとえば、どこかで読んだだけだけで、どこに書いてあったのか覚えていないのだけど、世界の大富豪といわれるような人たちが、現代アートの作品を高額で購入するのは、表現の最先端を手元に置いておくことにより、次のビジネスの発想が浮かぶから、億でも安い、みたいなことを言う、みたいなことかもしれないが、それも別の視点から見る環境を作る、ということかもしれない。

 

 さらに、少し違うことでいえば、仕事にすれてきたり、あきてきたり、慣れすぎたりした時は、社会からの違う視点に触れることで、自分のやっていること、やってきたことなどを見返すことができて、自分の仕事の価値を再確認したりしても、初心は少し蘇るような気もする。

 最近でいえば、社会の中で、それほど重要視されていなかった仕事が、「エッセンシャルワーク」などといわれて、その重要性が、コロナ禍のなかで再認識された。

 それは、リモートワークではできない社会を支える仕事、といった評価もされたが、それを、実際の当事者はどう思っているのかは分からない。さらには、その一方で、体を張るしかないことで、コロナ禍の時には、宅配便のスタッフが、いわれのない差別を受けることもあったといわれているので、勝手に注目をするならば、差別をしないでほしい、というところなのかもしれない。そうした安直な推測も失礼だと思うけれど、もしかしたら、放っておいてほしいし、そんなに大事だというのなら給料を増やして欲しい、ということなのかもしれない。

 ただ、そのことで、自分の仕事への見方が変わり、初心を取り戻した人もいたのかもしれない、とは思う。

向上したいと思うこと

 これも、個人的な記憶と印象にすぎないけれど、昔、プロゴルファーを取材していて、ある意味、慣れた感じというか、世馴れた感じがする人たちは、トップ10には、あまりいなかったように思う。

 トップ50とか、100とか、そのあたりの人の方が、世間のプロフェッショナルのイメージに近い感じがしていた。物事に、そんなに動じることもなく、はしゃぐこともなく、淡々として、迫力がある感じだった。

 さらに上のほうのトップ10の、優勝を争うような人たちは、もちろん、いろいろな癖の強さがあって、恐さも迫力もあったけれど、すれていたり、世馴れた感じはしなくて、何より、仕事でもあるゴルフに関しての取り組み方は、慣れている印象はなかった。

 トーナメントの1日が終わっても、ずっとプレーしていたはずなのに、そのあとに、練習グリーンでパッティングを延々と繰り返しているのを見ていると、惰性ではなく、本気で、検討し、修正し、明日はもう少しちゃんとしよう、というような姿勢に見えた。そうでなければ、疲れもあるはずなのに、あんなに同じようなことを、1日のプレーが終わったあとにできるとは思えなかったけれど、それを毎日、毎日繰り返していて、しかも10年や20年の単位でやっているのに、惰性に見えない(本当のところはわからないが)のは、すごいと思った。

 何が違うんだろう、と思うこともあった。

 もっとうまくなりたい。もっと勝ちたい。

 そんな気持ちが強くて、しかも持続している、ということだろう。それは、力の蓄積になっても、毎日、検討し続けていれば、慣れることはないだろうし、初心が維持されるということかもしれないが、本人たちは、そうした外部の勝手な推測に関しては、ただ笑うような気もする。

面白がれること

 どこか仕事を面白がれたら、仕事そのものが目的となるから、それはやりたいことをやり続けているだけだから、意識しなくても、あきたり、慣れたりは少ないはずだ。だけど、そんなことはあるのだろうか、と思えるくらいの奇跡と思う一方、特にそんなことを言わなくても、なんとなくいつも機嫌のいい大人の中には、意外と大勢いるのではないか、と思ったりもする。

 好きなことを仕事にする、という風に考えると、好きなことを見つけるだけで、時間がたちすぎるから、仕事を始めて、その中に面白さがあればいいのではないか、と思う。そんなことが可能なのかとも思うけれど、でも本当に苦痛だけで仕事のキャリアを重ねてきているとすれば、本当に向いていないので、安直には言えないが、心身の不調をきたす前にやめたほうがいいように思う。

 でも、それだけ苦痛であれば、どの要素が向いてなかったのかが分かりやすい可能性もあるので、それとは違う要素を持った職業を探せば、向いているのが分かるかもしれない。


 ただ、こういう人が、たぶん多数だと思うのだけど、面白いわけでもなく、そこまで苦痛ではない状態で仕事をしていく中で、前編で考えたように、その目的を捉えなおせば(リンクありまた仕事が、新しく見えてきて、やれることが見つかったり、そのことで成果があがったら、面白くなるかもしれない。

 面白がれれば、それはいつもフレッシュだから、初心を忘れない、というよりは、ずっと初心のままでいられるから、慣れるという安心感はないかもしれないけれど、飽きる、という退屈からは遠くいられるはずだ。

 つまりは、誰もが疲れている毎日だとは思うのだけど、仕事を、その周囲をもう一度よく見てみると、意外と「面白さの元」はあるかもしれない。これは、難しいと思うのだけど、人によってはフィットする可能性もあるので、この項目を書きました。

それでも、結局は才能だったり、運だったり、環境だったりするのだろうか。

 自分に向いている仕事かどうかがわかるというのは、自分にある程度以上の偏りがあったほうが、たぶんわかりやすい。でも、それは偏りという名前の「才能」というものだろう。
 得意だったら、面白がれるし、仕事の全体も見えやすくなる。それも、才能といっていいのかもしれない。

 もしくは、どんな厳しい環境でも、初心を忘れずに仕事を楽しめる人がいれば、それは絶好のモデルケースにはなる。一歩間違えれば社会学者・本田由紀氏が指摘した「やりがい搾取」につながりかねないものの、そういうモデルケースが存在する職場にいられるかどうかは、かなり運に左右される。

 そう考えると、いまの自分では想像の外なのだけど、世界的な巨大企業のグーグルなどは、本当に初心を忘れないですむような職場なのだろうか。アップルは、今でもスティーブ・ジョブズのような人が現れる環境なのだろうか。

 やりがいと、初心を忘れないは、かなり近いような気もする。ずっとチャレンジしてれば、初心のままかもしれないけれど、それは不安定でもある。仕事をして慣れて飽きる前に、また新しいことをしていけば、無限に初心の可能性もあるのだけど、それは、そういう選択ができる場合だけになり、やはり職場に恵まれるという運がなければ難しい。

 突き詰めると、仕事で初心を忘れずにいられて、なおかつ、仕事を楽しめるような人は、才能か運か、環境に恵まれた人なのかもしれない。

 それを言ったら、これまで考えてきたことが無になりそうだけど、どちらにしても、いつも新鮮に仕事をしている人は、楽しそうだから、少しでも、そこに近づけるかどうかを、最初から無理といわずに、もう少し考えたいし、その人は才能や運や環境があるから、という前提はあるとしても、それでも、そうした要素に恵まれなくても、なんとかなる可能性も(自分のためにも)わずかだけど、探ってきたつもりでもある。

 何より、すれた大人になって、微妙な腐臭を漂わせないために、初心のことを、考えてきた。改めて、少し落ち着いて、もうちょっとだけ振り返ってみると、初心を忘れないような人たちには、どこか似ている気配もある。無防備というか、無邪気さや、柔らかい明るさがあるようにも思うけれど、それで、いろいろと厳しい社会を生き残っていけるのだろうか、というような懸念もついてくる。

 だけど、そのことを考えると、芸人という特殊なジャンルを見て、思い当たることもある。

楽観的という才能

 オードリー の春日俊彰。バイキングの西村瑞樹。爆笑問題の田中裕二。 ラジオなどで話を聞いていると、この3人の芸人たちは、売れない時代が長かったり、いったんは売れたのに干されたりといった厳しい時代があって、それでも、そうした不遇だったり、下積みだったりする時も、どうやら特に不安を感じていなかったらしい。

 そうした楽観的な人間が一人いて、そして、もう一人が不安を感じながらでもネタを作理、試行錯誤を繰り返しているようなコンビだと、下積みや苦労という重い時間を潜り抜けても、苦労が体に染み付いていないから、改めて笑いを生みやすいのではないか、と思うことがある。(もちろん、本当のところは分からないとしても)。

 初心とは違うのかもしれないけれど、彼らの話を聞いていると、楽観的ということは、未来のことも考えないけど、過去のことも悩まないから、いい意味で蓄積していかないので、いつも軽みと明るさがあり、初心が維持されていて、だから、そういう人間がいるから、面白いことをすると、笑える、ということなのかもしれない。

 苦労が体に染みつき、表情に重みが出るのは、一般社会ではプラスの可能性もあるが、笑いの世界ではマイナスになりやすい。彼らは、その楽観力によって、結果として、厳しい世界を生き残っているように見える。

 笑い、と言う仕事において、素人が専門的な判断はできないものの、もしかしたら、楽観的な力に優れている人物の存在は大事だから、彼らの存在の仕方そのものが「才能」なのかもしれない。どんな状況でも楽観的であることは真似できそうもないが、彼らは、そういう「いま」だけを考え続ける能力も突出していそうなので、もしかしたら、「いま」だけを考えるように意識して、少しでも習慣化すれば、その初心力も身についてくる可能性はある。

まったく新しいことを始める

 個人的な話だし、成功とも安定とも程遠くて、リアルにただの貧乏なので、とてもお勧めはできませんが、仕事をしていても、不安はあるし、ベテランになれない、という恐さもあるけれど、今のところ、かなり初心は維持されている感触があります。それは、転職、それも会社を変えるのではなく、完全に違う職種を始めたからだと思っています。

 初心でやるしかなく、慣れていくのがこれからで、不安もあるのに、年齢だけは進んでいるので、見た目だけベテランという矛盾した、時々後ろめたさを感じる存在になった。それもあって、いまだに仕事そのものも少なく不安定の中にいるから、慣れる暇もない。

 そういえば、いまの仕事を始める前に、資格試験を受けるために学校へ行って、それまではほぼ学んだことがない分野を勉強している頃は、それまで早かった時間の流れが、すごくゆっくりになったこともあった。それは、完全に初心という不安と変化の中にいたせいだと思う。

 もしかすると、それが初心を失わないということだから、私のように追い詰められての選択、という危険性があることではなく、もっと能力も余裕もある状況であれば、思い切って、今までしたことがなかったけれど、やりたかった仕事をしてみる、というのも、不安だけはふくらむが、それが身に付く間は、初心はずっと共にある、と思う。

 そう考えると、先の分からなさと、「初心を忘れない」は親和性があるから、ずっと初心を忘れない人、というのは、常に慣れないところを歩こうとしているか、新しい道を作ることを続けている、ということかもしれない。

 それは、単純にすごいことだと思う。


 一応は長く社会人と呼ばれることを続けてきて、改めて「初心を忘れない」を考えてみたくなったのですが、思ったよりも、話は、あちこちに進んだり、遠くへ行ったりしたのですが、それは、どうすれば充実して生きていけるか、に近いことにも気がつきました。

 なんだか訳のわからない結論になってしまい、申し訳なかったのですが、これで、一応は終了です。読んでいただいた方が、さらに考えを広げたり、深めていただければ、うれしいです。


 働くことに関しては、機会があったら、また違う視点で考えたいと思います。


(他にもいろいろと書いています↓。クリックして読んでいただければ、うれしいです)。

言葉を考える③「亜人」…「世界」をつくるタイトル

熱帯雨林の「環境保全」の方法を、人類(自分も含む)のためにも考える。

とても個人的な「平成史」

いろいろなことを、考えてみました。

「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」① 2020年3月


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