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熱帯雨林の「環境保全」の方法を、人類(自分も含む)のためにも考える。

 とても個人がどうこう出来ることではないのは、知っているつもりです。そして、個人として、そのことを十分に語る能力も、資格がないのも、わかっていると思っています。

 と、ネガティブな始まりではあるのですが、とにかく思ってしまったことなので、伝えることで、読んでくれた人が、少しでもそのことを広げたり高めてくれたら、何十年後かに、少しでも形になれば、と思って、大きいテーマですが、まずは書いておこう、と思いました。とはいっても、もちろん自分のオリジナルな考えから始まるわけでもありません。

「酸素料」の支払い

 以前、橋本治という作家が、こんなことを書いていたのを読んだ記憶があります。(出典が、今、思い出せずに、あいまいですみませんが、大意は、そんなに間違っていないと思います)。

 たとえば、熱帯雨林が地球上の酸素供給に対して、重要な役割を果たしているのであれば、そのことに対して、先進国といわれる国々は、「酸素料」を支払うべきだと思います。それが、無理なのはわかっているけれど。

 このことを知った時には、ちょっと驚いたのと共に、実現すればいいな、と反射的に思えました。

 基本的に、情報や知識が少ないまま、書いてはいるのですが、熱帯雨林などをはじめとして環境保全は、大事なことなのは、おそらく誰もが反論できないことのはずです。ただ、それで、地球上の人類が、その通りなどと納得してくれて、大事にしてくれれば、地球環境が守られ、今のいろいろな問題は、たとえば温暖化も含めて、かなり解消に向かうはずだとも、思っています

 ただ、熱帯雨林の環境保全と言われても、私のように、ほとんど海外に行くこともなく、遠いところの出来事にしか見えないと、そこに熱帯雨林という自然があるようにしか思えませんが、当然、そこには人が住んでいます。そして、たとえば、そこの林を燃やして、畑などを作らないと、生きていけない、といった事情があるらしい、ということも、伝わってきますし、それを知ってしまったら、地球全体のために環境を守るべき、などといったことを単純に主張はできなくなります。

 かといって、それを放置していたら、そのまま環境の破壊は進んで、人類はほろんでしまうとしても、そこに至るまでに、自分たちよりも若い人たちや、これから生まれてくる人たちに対して、あんまりひどい地球を残していくのも、どうかとも思います。(とても素朴すぎる感覚であるのは自覚しています)。

 そう考えると、「酸素料」は、実現の可能性は難しいとしても、熱帯雨林の面積に応じて、料金を、他の(特に先に開発して発展した先進国。G20が、その経済力に応じて、負担するのがいいのでは、とも想いますが)国々が支払うようにする。だから、熱帯雨林があればあるほど、それを保有しているだけで定期収入が入るシステムを作るのは、「環境保全」のための、一つの方法であるようにも思えてきます。

 そこに至るまでのことを少しでも考えただけで、たとえば、そこにいる人たちが、林を焼いて畑にしなくても生活ができるような金額の支払いが本当に可能なのか。その現場にいる人にまできちんとお金が流通するのか。そもそも熱帯雨林の所有権についてはどうなるのか。また正確に面積を計測できるのか。面積と酸素供給の能力は本当に比例しているのか……そういった問題が、想像できないくらいたくさんあって、すぐにそんなことは不可能という答えになりそうです。

 ただ、一方で、「酸素料」という考え方を導入し、実現させることができれば、地球の環境保全には、大きく貢献するのでは、とも思います。

 その後、熱帯雨林が、直接、酸素供給には関係ないが、間接的には影響がある、的なことをどこかで見たような気がしますので、熱帯雨林=酸素供給の元。という単純な数式ではないらしいことも、知りました。

感染症拡大の理由

 今年(2020年)になって、予想もしなかった感染症によって、すっかり世界が変わってしまいました。コロナ禍によって、緊急事態宣言まで発出されるなど、ほとんど初めての事態になり、感染症の恐さを、今も身に染みるように感じ続ける日が続いています。

 過去にも、何度も、感染症が流行することがありました。もちろんこわさもありましたが、ここまで広く感染拡大することもなく、比較的短い時間に終息することがほとんどでした。どうすれば感染しないのか、といったことを考えたり、必要であれば、未熟であっても少しは学んだりはしますが、だいたいどんなウイルスで、どんな性質で、どんなふうに危険か、くらいはぼんやり分かって、わかったことで、余計に恐くなった頃に、感染拡大が終息してきたので、個人的には、ウイルスについて、それ以上の知識や情報が増えることはありませんでした。


 今回、コロナ禍が長くなり、さらにいつまで続くか分からないような状況になってきたので、そういえば、もともとウイルスが発生して拡大していく、ということがどういうことなのだろう?といったことも考える時間もできました。

 そんなことを考えている時に、この「りくのさかな」さんのnote↑で、「感染症の世界史」のことが、イラストでわかりやく説明されていることもあり、読んでみようと思いました。

 その影響もあって、自分でも、この本↓を読んで、紹介させてもらったりしました。

 こうした本を読んで、それまで見たり聞いたりしていて、本当はどこかで知っていたはずのことを、改めて確認できたような気がしました。

 感染症は人類の歴史の中で、何度も何度も数限りなく流行し、そのたびに大勢の人が犠牲になったこと。だから、感染症の流行は、ある意味で「常態」でもあること。さらには、それまでひっそりと、森林の奥でコウモリなどの内部に存在したウイルスに、開発を進めることによって、人類から接触の機会を増やしたことで、今回のコロナ禍のような感染拡大が、より起こりやすくなっていること。

 もちろん、本を(それも少しだけ)読んだだけで、全部を分かるわけもありません。

 ただ、今回の新しいウイルスのことは、今の時点でも、分からないことが多いのも少し理解できますし、少なくとも、今回のウイルスが人工的に作られた、といったのはデマだということは、納得できるようにはなりました。

「ウイルス感染拡大防止」のための「環境保全」

 このくらいの情報量で、偉そうなことは言えませんが、これから新しくウイルスによって感染症が発生し、拡大することを少しでも防止することを考えたら、たとえば熱帯雨林のような環境を保全し、野生の動物と、人類の生息する場所を、なるべく近づけない、ということも有効な方法の一つではないかと、考えられるようになりました。

 そこで、話が冒頭に戻るのですが、今後、感染症の発生の予防のためにも、森林などの環境保全は、重要になってくると思います。それは、ただ呼びかけても無理なので、やはり、環境保全がお金になることが必要不可欠だと考えられます。

 ですので、「酸素料」は無理かもしれませんが、今後の感染症対策としても、現在の森林などの環境を守っていくためには、「環境保全料」が、他の国々から支払われるような未来になってもいいのでは、と思います。

 そのことによって、森林伐採などの開発による経済的な効果よりも、「環境保全」の方が経済的に有利、ということにまでなれば、「環境保全」の可能性が高まり、「新しい感染症の発生と流行」は、今よりは少なくなる可能性が出てくるように思います。

 もちろん実現には、無限に近いハードルがあるとしても、すでに、そうしたことも考えないと、このままだと、今のコロナ禍が何年後かに収束したとしても、また新しい感染症が発生する、という繰り返しの間隔が、どんどん狭くなってしまうのではないでしょうか。

 コロナ禍が長引く中で、そんなことを思いました。
 現実的な可能性は限りなく、ゼロに近いですが、去年、環境問題のことでスピーチを行ったグレタ・トゥーンベリさんのような若い人がいるということは、日本にも同じようなことを考え、実行する人がいるはずと、思ったので、届くかどうかは分かりませんが、未熟なのは自覚しつつ、ここまでのことを書きました。

 こうしたことを少しでも実現に近づけるとすると、発展だけではなく、地球という環境のメンテナンスを行うことも必要で、そのメンテナンス自体に価値があって、携わる人にも経済的な報酬が十分にある。同時に「環境保全」に必要な森林の存在自体に価値がある、という思考の転換もいるかと思うと、それは、本当に可能性が薄いことだと改めて思いました。だけど、それをしないと、人類が滅びる可能性は、どんどん高まっていきそうです。



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読書感想 『たとえ世界が終わっても その先の日本を生きる君たちへ』    「普遍の人」 橋本治

「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」①2020年3月


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