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読書感想 『世の中と足並みがそろわない』 ふかわりょう  「適性への疑問との葛藤」

 気がつけば、ずいぶんと長い年月、顔を見てきた。

 もちろん芸能人という存在に関しては、主にテレビなどを通して見てきて、一方的に知っているのに過ぎないのに、20年以上見続けていると、なんとなくなじみみたいなものを、感じてきているのかもしれない。

 ふかわりょうという芸人は、最初に「シュールの貴公子」のような現れ方をして、明らかにスターのような扱いをされていて、そのブームが終わったら、気がついたら、ずっとぎこちない顔で「いじられている」人になっていた。

 その一方で、土曜日のJ-waveの深夜に、「ロケットマンショー」として色々な話をしていて、その時は、私は深夜まで起きている生活だったので、比較的、よく聞いていた。思ったよりも頑なな印象を受けることもあった。

 芸能界に、これだけ長くいて、どこか慣れない気配のままの人も珍しいと思っていた。

「世の中と足並みがそろわない」 ふかわりょう

 エッセイ集のつくりになっている。
 だから、どこかの媒体に定期的に連載されている文章をまとめたものだと思っていたのだけど、「おわりに」を読み、書き下ろしだと知った。

「本を書きませんか?」
 と、出版社の方に声を掛けていただいたのが、今年の1月末。文章を書くことは嫌いではないものの、一冊を書きおろせるだろうか。そんな不安を抱きながらも、的確なアドバイスとステイホームが後押しし、スムーズに筆は進み、日に日にエッセイは溜まっていきました。
「これで本を出しましょう」

 今年というのは2020年。
 ふかわ氏にとっても仕事が少なくなっていたから、こうして1冊分の書き下ろしを書けたのかもしれないが、そうした時には、もっと長い文章を書きたくなるような気もするし、あくまでエッセイを書き連ねるという姿勢が不思議に感じたし、「世の中と足並みがそろわない」というタイトルに微妙な違和感もあった。

でも中学の時は違いました。朝、登校したら遠くで女子たちの騒ぐ声。近づいてきたらと思ったら、私の周りに人だかりができています。
「え?この子が新入生の府川くん?可愛い!」
 私の人生のピークでした。あまり信じてもらえませんが、足も速く体育祭では黄色い歓声を浴び、バレンタインなども憂鬱ではありませんでした。どちらかというと、芸能界デビューしてから雲行きが怪しくなってきたのです。それまでちやほやされてきたから、ネガティブな言葉に対する免疫がなく、精神的にも苦労しました。今はすっかり抗体ができていますが。

 こうした文章を読むと、足並みがそろわないのは、何より「芸能界」という意識が本人に強いはずなのに、そのことを明言したくないような思いもあるのかもしれないが、この少し屈折した感じも、ふかわりょうという人ではないかと、この本を読み進めると、思うようになった。

歴史の記憶

 まだバブルの余韻が残る1994年から芸能生活を送っているふかわ氏には、いわゆる昔のテレビ界の(嘘のような)状況も知っている。テレビのオーディションのため、指定された場所に向かった時のことだ。

カーテンを捲ると、屋上のような空間が広がっていました。ゆっくり桟をまたいでみれば、待っていたには「夏」。短パン、アロハにサングラス。灼熱の太陽を浴びる男が、サマーベッドに寝そべっています。
「なにしに来たの?」「彼女いんの?」「サンドイッチ食うか?」
 当時の私は、テレビ局のディレクターは皆、こういう横柄な人ばかりなのだと思っていました。
「じゃあ、どうする?ネタやる?」
 サマーベッドに寝そべるディレクターの横で、大きな室外機たちに見守られながら、私は、ネタを披露しました。
「逆光だからよく見えないな、守屋!守屋!」
 当時、無名芸人同様、番組のADにも人権にもなく、ディレクターにサンドバッグのような扱いを受けます。何をしても叱られる。用意したものには必ず文句をつけられ、殴られていました。他の現場では、陰でプロデューサーに殴られるADも見かけました。見せしめなのか、見えていないと思っているのか、散々人を殴っておいて、「じゃあ、本番行こう!」と切り替える笑顔の恐ろしいこと。 

 それでも、ふかわりょうは、2000人の前でライブをやるような芸能人になった。

現在はその社屋もなく、重たい足取りで歩いた商店街の先には、背の高いマンションが建っています。2000人という景色を見せてくれたディレクターもどうしているのかわかりません。夏の日差しと、室外機の音。サマーベッド’94。

芸人という存在

 デビュー時に脚光を浴び、人気も出たが、その後は、当初のスタイルではなく、ずっとぎこちなく、時々、戸惑っていたり、画面でも、居心地の悪そうな雰囲気が伝わってくることもあった。

私にとっての「不幸」はなんだろう。芸人として悩んでいた私が授かったのは「お笑いに向いていない」という「不幸」でした。「絡みづらい」という不幸。番組共演者の皆さんが授けてくれました。藁にもすがる気持ちでしがみつき、「一言王子」「シュールの貴公子」ともてはやされた男は、声と体を張って、なんとかバラエティーにおける居場所を見つけることができました。「いじられ芸人」「リアクション芸人」、そして「汚れ芸人」までありますが、番組に一人置いて置くだけで便利なのです。MCにとっても気を遣わずにいつでも振れるから安心で。世間では邪魔者扱いされようが、テレビの世界では重宝がられるのです。
 そんな「いじられ芸人」には共通項があります。それは、本人は「いじられたくない」ということ。

 それでも30年近く芸能界にいる。それだけのキャリアを積んで、芸人については、こう考えている。

私がこれまで接してきた人のほとんどが繊細な人たちばかり。いかにもガサツそうに見えても実は繊細。それもそうです、我々は「笑い」を生まないと己の生きる価値がないと思ってしまう人種。些細なことに気を留め、誰よりも傷つきやすく、感動しやすい。

 それは、もちろん誰よりも、ふかわりょう本人のことでもあるのだろう、と思った。

「適性への疑問」との葛藤

 この書籍を読み進めると、話題はあちこちに広がるものの、その印象は、かなり生真面目であるのは共通しているし、エッセイとしても、もっと長く一つのテーマ、例えば『「適性への疑問」との葛藤」』で書き続けていたとしたら、どこまでも自分の中に深く入っていき、もっといろいろなことが明らかになったように思えるような気配もあった。

 だから、あまりにも深入りすることを避けたようにも思えたのは、書籍の終盤になって、自分の深みに触れるような部分まで見せてくれた気がしたからだった。

やはり、おかしくなったのはこの世界に入ってから。自然な笑顔ができなくなりました。学生時代までは順風満帆だったのに。私は心の扉を閉めました。人を信用しなくなり、壁を作りました。(中略)傷つきたくない城の繊細王子。信じていないのは世の中ではなく、自分自身かもしれません。
4歳から陽が当たっていたとしたら、日向が16年、日陰が26年。植物ならとっくに土に還っているのではないでしょうか。比較的高かった自己肯定感は一気に低くなりました。長調から短調ときて、次の楽章はどちらになるのでしょう。
私は不幸ではありません。どちからと言えば、恵まれている方だと思います。しかし、私に「隙」を感じる人と出会えたなら、多大なる幸せを享受できる気がします。仕事においても、プライベートにおいても。私に「隙」を感じる人。私が「隙」を見せられる人。この本を読んで、わがままに育った哀しい男に「隙」を見出してもらえたら幸いです、私が溺れてしまう前に。 

 テレビ画面で見るたびに、ぎこちなさと頑なさと緊張感を、この二十年間、視聴者として感じ続けてきた。それは、この自分の繊細さを守るためのかたさが、表情に現れていたのかもしれない。

 さらに言えば、本人の願いは、すでに叶えられているように思う。

 今も、現場で必要とされているとすれば、ふかわ氏本人が思っている以上に、その「隙」があるためで、そこから漏れ出ている「ピュアさ」のようなものは、あまりにも不器用なので苦笑を伴うとしても、おそらくは周囲の人に伝わっているからではないだろうか。

 それにしても、「適性への疑問」と葛藤する持続力は、本当にすごいと思えた。

おすすめしたい人

 今いる場所に、なんとなく居心地の悪さを感じている人。
 仕事が向いていないかもしれないと、恐れと共に思っている人。
 自分は、理解されないに違いない、と孤立感がある人。

 大げさかもしれませんが、そんな人たちの孤立感は、この書籍で、ほんの少しゆるむかもしれません。



(他にもいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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