見出し画像

『「ジャーナリズム信頼回復」について、元・新聞読者として、考える』(中編)。

(前回↑を読んでいただいた方には、次で終わるような書き方をしてしまいましたが、今回を中編として、次回を後編の3回で終わるような分量になってしまいました。すみませんが、よろしくお願いします。また、この回では「新聞のシステム」について考えます、と予告したのですが、その前に「記者と権力との距離」をもう少し具体的に考える必要があると思いましたので、続けます。ご了承ください)。

権力との距離

 もう一度、この「提言」を振り返れば、この文中に、「指摘したい問題点」が5点あり、その筆頭に、権力との距離について、こんな言葉がある。

●権力との癒着・同質化:水面下の情報を得ようとするあまり、権力と同質化し、ジャーナリズムの健全な権力監視機能を後退させ、民主主義の基盤を揺るがしていないか。

 そして、「6つの提言」でも、その筆頭に、この「提言」がある。

●報道機関は権力と一線を画し、一丸となって、あらゆる公的機関にさらなる情報公開の徹底を求める。具体的には、市民の知る権利の保障の一環として開かれている記者会見など、公の場で責任ある発言をするよう求め、公文書の保存と公開の徹底化を図るよう要請する。市民やフリーランス記者に開かれ、外部によって検証可能な報道を増やすべく、組織の壁を超えて改善を目指す。

 最初の「問題点」の「権力と同質化」というのは、取材対象との距離、という意味で、かなり普遍的なものに感じ、ここは、「同質化」しないで、どのような距離をとっていくのかについて、もっと具体的な話が欲しかった、と思う。

 それは、取材は近づかないとできない。だけど、近づきすぎると、同質化する。この矛盾をどうするのだろうか。そのことと、提言にある「権力と一線を画し」を実現させることについては、十分な言葉がないようにも感じる。

 まずは、私のようなただの外部の人間には、もちろん限界はあるものの、これまでの「政治部の記者と権力者との距離」を、もう一度、振り返ることから考えていこうと思う。

政治部記者と権力者との距離感

 どんな記者であっても、おそらくは取材対象者と同質化しないと、「いい取材」はできないのかもしれない。だけど、もしかしたら、その根本的な方法論から考え直す必要があるように思える。ただ、これまでの政治部の記者と権力者との距離は、同質化してしまった場合は、自分では、よく分からなくなっているから、冷静な分析ができない可能性もある。

 それでも、時々、外部の優れた観察力を持つ人によって、その「距離感」のことが少し分かることがある。

 TBSの政治部記者として、ワシントン支局長となり、フリージャーナリストになっても「総理」という本を出した山口敬之氏の言葉が記録されている。のちに性暴力を振るったと告発された伊藤詩織氏の著書からであるが、会った当初は、ジャーナリストの成功者としての発言として受け止められていたはずだと思う。

 山口氏は、ワシントンは政治部だけど、君は政治部に興味はあるか、と聞いた。私は正直に、「社会部に興味があり、政治部で自分がやっていけるのかわかりません。政治部はどういう仕事をするのですか」と聞いたところ、社会部は起こった出来事を追いかけるが、政治部はどちらかというとコネクションの世界だから、積み上げていくものなんだよ、という返事だった。合わない人は合わないが、君は社会部と政治部どちらのテイストも持っていると思う、人との向き合い方もいいし、政治に向いているのではないか、と言った。

(この著書↑は、性暴力、日本の男性社会、女性蔑視など、様々な問題の見え方が明確になると思います。そんなふうに安直にまとめるのは失礼なほど、著者は大変な状況で書いた本だと思われますが、実は、出版当時よりも今の方が、正当な評価を得られる作品ではないか、とも考えられます)。

「一線を画する」ということ

 コネクションを作るとは、平たい表現で言えば、仲良くなることであり、そうなったら、批判はしにくいのではないだろうか、と素朴な疑問がわく。

 山口氏も、TBSのワシントン支局長になったのだから、その取材対象と一体化するような方法が、「正しい」とされるし、本人にとっても「成功体験」である世界なのだと思う。

 ただ、「BLACK BOX」に描写されているような、山口氏の動向そのものが、その「政治記者と権力者との距離感」そのものの問い直しが必要ではないか、という根拠の一つだとも思う。

 それは、例えば「提言」にあるように、権力と「一線を画す」という目標は「正しい」し、例えば、山口氏にしても、当事者としては首相とは「距離」が近いのだけど、「一線を画している」と思っていたのかもしれない。

 会社をやめ、フリーランスになってから「総理」を出版したのだから、その筋は通している、と思っていた可能性もある。

 そうしたことも含めて、これまでの、この「伝統的な取材方法」そのものを、特に政治部は考え直す時期がきたのではないか、と思う。

官僚から見た記者の「距離感」

 長く官僚を務め、現在は政治経済評論家古賀茂明氏の著者には、官僚から見た記者が描かれている。

 記者クラブにいる記者たちは、知らず知らずのうちに権力者側の論理に染まる例が多い。その土壌は、記者たちをまるで小学生かと思えるくらいに従順にする。そして、いざというとき政府の論理にだまされてしまうのだ。
 ただ、そうなってしまう原因はもうひとつある。それは、記者たちの勉強不足だ。私が現役の官僚だったときを振り返ってみても、記者クラブの記者は意外と何も知らない人が多かった。

 そして、権力者とマスコミの会食については、その弊害をこう書いている。

 テレ朝経営トップは日頃から総理と飲食を共にし、蜜月ぶりを隠すどころか社内で自慢していると噂されるほど政権寄りの姿勢を打ち出していた。権力者に近づき、いざという時は携帯電話で連絡できる。そのことが、「自分は権力の中枢にいる」という錯覚を呼ぶのだろう。もちろん、それは錯覚であり、単に「権力の中枢に監視され言いなりになって喜んでいる」にすぎない。まったくの愚か者と呼ぶしかないだろう。
 そして困ったことに、日本ではトップが堕落すると現場記者までダイレクトに影響が及ぶという構造がある。それは、経営が報道現場に簡単に介入するということだ。新聞社ではこうしたことはタブー視される文化がまだ残っているが、テレビ局ではトップの意向が直接ニュースに反映されるのが当たり前になっている。もともと、現在のテレビ局幹部が入社した頃は、はっきり言ってテレビ局は二流の職場だった。(中略)だから、総理にチヤホヤされるとうれしくて舞い上がってしまうのだ。

 古賀氏は、テレビ朝日「報道ステーション」に出演し、その際に、様々なトラブルに巻き込まれたと言われており、その当事者であるから、テレビ朝日に対して、より厳しい言い方になることを差し置いても、やはり、権力者との会食、というのは問題が大きいのだと思う。

 権力者との距離感は難しい。
 例えば、想像するしかないのだけど、こうした会食において、権力者側としては、まずはホメにかかると思う。そのことで、距離を縮めてくれて、自分に有利に動いてくれるようにコントロールできれば一番効率がいいからだ。そして、マスコミの関係者としても、権力の側にいるという実感は、想像しにくいけれど、とても気持ちがいいものだとも思う。

 そこにいて、それに抗うのは、職業倫理だけでなく、人として難しいこと。という見極めをしないと、「一線を画する」のは、難しいのではないだろうか。

 個々人の心がけでは解決しないので、システムとして距離を取れるようにしていく時期に来ているのだと思うし、それをしないと、「信頼回復」は不可能だとも思う。

もっとも成功した政治記者

 もう古い話題になるとは思うのだけど、ナベツネといえば、誰もが知っている著名人で権力者でもあった読売新聞社長も務めた渡辺恒雄氏のインタビューがテレビで放映された。それは、戦後政治の内幕という歴史的にも意味があるものだったと思うけれど、「取材対象者との距離感」という視点からも貴重な記録だと思った。
 
 渡辺氏といえば、読売新聞の政治部記者から、社長にまで登りつめているのだから、もっとも成功した「政治記者」として、後のモデルケースともなっている可能性まである。

 この番組の冒頭に、取材対象者との距離、つまり、この場合は、権力者との距離について、こう語っている。それは、取材の原則を守っている、という自信を伴った発言にも聞こえた。権力者との距離をとるべき、という言説を批判した後、こう言葉を続ける。

近寄らなくちゃネタ取れないんだ。
それを全部書いているからね。
本当に「書かんでくれ」と言われたことは書かない。
そんなことしたら2度と会ってくれなくなる。
そうすると、次から次と、もう大丈夫だということで、「王様の耳はロバの耳」みたいな感じで、全部しゃべってくれるようになる。
 池田も、佐藤も、大野も、みんなそうだったよ。
 河野、鳩山、みんなそうだったよ。

(テレビ視聴による書き起こしです。大意はこの通りですが、詳細は違う可能性があります。ご了承ください)。

書くことで、変わったかもしれない未来

 視聴者としては、歴代の首相を、呼び捨てで列挙するのは、歴史的事実だから、という見方もできるが、それだけ権力との距離が近かった、というアピールにも聞こえた。

 近づかないとネタを取れない。だけど、ネタを取るためには、「書かんでくれ」と言われたことは書かないことによって、距離を縮める。

 それは、取材者としては正しいのだろうけど、もしも、権力が国民にとって、非常に間違った方向。国民が犠牲になるような政策を立てた時には、すでに批判することもできなくなるのではないか、という危惧につながる。

 例えば、1950年代の自民党総裁選の時、国会議事堂の廊下でも、記者がいるのに現金授受が行われていた、という。

もう公然とね。議事堂の廊下で、総裁選挙の現場でね、僕らの見ているところで、現金の授受をしている。最初はショックだった。えらいもん見ちゃった。隠そうとしない。
科学者が、動物のセックスを見る、それと一緒。
人間が変なことやっている。そんなもんかと。
リアリストにならなきゃ、政治の裏分からない。
裏の金の流れ、分からないから。                (※テレビ視聴による書き起こし)

 この頃、すでに政治部の記者は、「書かない」と思われていたのかもしれない。もしも、この現金授受をどこかの政治部の記者が書いたとしたら、その後のジャーナリズムは変わっていたのだろうか。

 ただ、権力の近くにいる、人との距離を詰めることができる「有能」な記者ほど、政治家と似てくるはずだから、知っていても書かなくなるかもしれない。書いたら、2度と会ってくれなくなるから。そうなったら、政治部の記者として力を発揮することが難しくなってくるはずだから。

「権力」の気持ちよさ

 同時に、渡辺氏は言葉として直接は表現しなかったが、「権力」の気持ち良さもあるのだと思う。

 NHKのキャスターであった磯村尚徳氏は、この番組の中で、政治部に入り、政治家に挨拶をする際に、すでに政治家の横に立っている渡辺氏を見て、それは政治部の記者としての食い込み方がすごい、という畏敬のニュアンスで語っていた。

 同業他社からの人間から、そのような視線を浴びるのは、権力志向がある人ほど、快感があるのではないだろうか。

国を動かす気持ちよさ

 全く別の場面だが、「国を動かす快感」について、明確に語ってくれた人がいる。

 森永卓郎氏は、35年前に官僚として働いていた過去について、この番組内↑で、生き生きと語っていた。給料は当時で手取り13万円。毎日、午前2時、3時までだけど、仕事がめちゃめちゃ面白かったから、働けた。自分が決定に関わった政策で「日本丸」が動く。こんなに面白いことはなかった。30代くらいという、体も動く時期にそれができたから、本当に面白かった、といったように話していた。

 国を動かす。そのことが、確実に気持ちよさにつながることを証言してくれているとも思う。


 話を戻して、NHKのドキュメンタリーの中で語られた、渡辺恒雄氏の場合は、政策立案よりも、もっと直接的に、国の外交まで関わったと言われる過去がある。韓国の情報局にまでマークされるような動向があった。

 その点については、この番組のインタビュアーも、ジャーナリストという立場で、そこまでやっていいのか?といった質問をしていて、それは視聴者としても、最もだとも思ったのだけど、それに関しての渡辺氏の答えは「だって、韓国とは外交がなかったんだから」というもので、それは、その外交に力を尽くしたからいいではないか、という思惑が見えたが、その対話はかみ合っていなかった。

 それはジャーナリストや新聞記者の分を超えているはずだ。すでに政治家の一員になってしまっているのだから、という視点も存在せず、渡辺氏の思う「国益」に敵うかどうかについての答えになってしまっていると思った。

 その、外交にまで関係した時の渡辺氏は、すでに新聞記者ではないように感じた。
 
 そこまで、政治家と一体化して、それで政治家の、他では聞けないネタが、読売新聞でしか読めないような価値を作り出せるとしても、それは、最低限、政治家が暴走しない、という条件があってのことではないだろうか、と視聴者としては思った。

安全弁としての戦争体験

 この番組の最後に、おそらく、このインタビューした記者の見方として、こんな言葉があった。

 政治家も、記者も、共通体験としての戦争体験が、安全弁として機能していた。

 そう考えると、戦争体験がない人間が取材し、戦争体験がない人間が権力者になり、その上で、同質化してしまえば、政治としては「最悪の選択である戦争」に対して、進んでしまう確率が高くなる、ということだと思う。

 とすれば、日本という国は、自衛隊の海外派遣を決めてしまった1991年の後からは、すでに違う段階に進んできてしまった、と言えるのかもしれない。

 当時の首相の宮沢喜一氏は、戦前の生まれであるが、エリートの家系ゆえに、もしかしたら戦地の体験はないのではないか。それが、自衛隊派遣を決めてしまった原因の一つになっているのかもしれない、ということは再検討されてもいいように思う。

 憲法改正に意欲を見せていた安倍首相は戦後生まれだから、戦争体験は一切ない。新聞記者も、当然、戦後生まれになる。すでに安全弁はないとも言える。もう同質化しては、ただ危険が増すのではないだろうか。

マスメディア政治部の弊害

 研究者の立場から、瀬川至朗教授によって「権力とマスメディアの関係性」について、重要な指摘がされている。加計学園問題からの分析になる。

 取材者と取材対象者の関係が固定化するにつれ、価値観の共有を含む「カップリング」という状態が生まれることも提起した。とくにマスメディアの報道局は政治部、経済部、社会部、外信部、科学部といった部署に分かれており、それぞれの部署が記者クラブを中心に取材対象者を分担して担当している。その結果、政治部記者と政治家、経済部記者と経済界、社会部記者と捜査当局、科学部記者と研究者といった形で、それぞれカップリングがおきやすい構造になっている。

 これは、政治部だけでなく、他の社会部なども含めて、取材と取材対象者に必然的に起きることでもある。それこそ、距離を縮めないとネタが取ってこれないからだ。

 だが、戦争体験という安全弁がなくなり、政治家の暴走もありえる現在では、特に政治部は、その必然的なカップリングの是非を、考え直す時期に来ているのではないだろうか。

 政治記事はフロントページに載ることが多く、そのために政治部が力を持ちやすい構造になっている。
 編集局内の権力構造は報道に反映される。その結果、政治部と社会部の論調が異なる場合、一般的には政治部の意向が紙面や放送に反映されやすい。新聞・テレビの報道に政府記者会見の発表報道の記事が目立ち、あたかも政府の広報機関であるかのようなメディアが出現するのは、そのような内部構造が背景にあるからだといえる。

 元・新聞読者である私も、今も、新聞には本当のことが書いてあると思えたら、購読を続けていた可能性がある。だけど、現在の新聞には、この指摘の通りのことが進んでいて、期待ができないから、購読をやめたのだった。

 そうであれば、これからも新聞が存在を続けるのであれば、信頼を取り戻すことが最も大事になり、そのためには、根本的に変えることが多すぎるのではないだろうか。

「システムそのもの」を変えるということ

   具体的には、市民の知る権利の保障の一環として開かれている記者会見など、公の場で責任ある発言をするよう求め、公文書の保存と公開の徹底化を図るよう要請する。市民やフリーランス記者に開かれ、外部によって検証可能な報道を増やすべく、組織の壁を超えて改善を目指す。

   再び「ジャーナリズムの信頼を回復するための提言」にある内容なのだけど、これは、申し訳ないのだけど、心がけに過ぎないのではないだろうか。

 立派なことなのは間違いないが、この志も組織のシステム自体を根本から変えないかぎり、例えば今のままのシステムで、この「提言」を提案したジャーナリストの中の一人が政治部長になっても、おそらくは時間をかけて、現状維持に飲み込まれていってしまうように思う。

 取材をしていくのが、取材対象者とカップリングが避けられないものであり、それでいて、距離を保つということを、これから真剣にやっていこうとするならば、さらに具体的で、会社の組織自体を変え、システムとして「一線を画し」ながら、記事の質を落とさないことを目指さなければ、生意気かもしれないが、もうジャーリズムの未来はないところまで来ていると思う。


 例えば、この「ジャーナリズムの信頼を回復するための提言」も、権力側に「公の場で責任ある発言をするよう求め」るのではあれば、その要請が通るくらいの事実を持ってくるのが、ジャーナリズムとしての筋だと思う。それは、当然なのだけど、正しいことを言うだけで通るわけもなく、明らかに権力側との戦いなのも間違いないと考えられるからだ。


 今、その戦いを自覚的に行っているのが、週刊文春と赤旗だけ、に見えるのが、現代の「何か」を象徴しているようにも思う。


 こんなことを私のような力のない人間が書いても、何も変わらないという自覚もあるし、大きなお世話だとも思うのですが、それでも、次回は、「信頼回復のためのジャーナリズムの組織の変え方」について、考えてみたいと思います。

 当初は、前後編の2回で終わるはずが、さらに伸びてしまい、すみません。




(他にもいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでくださったら、うれしいです)。


#推薦図書    #新聞   #ジャーナリズム

#新聞記者   #マスコミ   #最近の学び

#ジャーナリズム信頼回復のための6つの提言

#渡辺恒雄    #権力との距離感   #政治部

#政治家 #政治   #戦争体験





この記事が参加している募集

記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。