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コロナ禍の美術館

 電車は空いている。
 隣の駅で、同じようなグレーのマスクをしている二人の男性サラリーマンが降りた。それから、女子トイレに入っていって、間違えたのがわかって、笑って、あわてて出てきて、多目的トイレに行こうとして、またあたふたして、引き返して、やっと男子トイレに入って行った時に、電車はまた出発した。

 窓は、半分くらい開いている。

 けっこう肌寒いと思っていたのだけど、ノーネクタイでスーツを着て、小さい扇風機を使っている男性がいる。薄い青い色のマスクをしている。

 電車を乗り換えて、地下鉄に乗り換えるために久しぶりにわりと長く地下通路を歩いて、そこは、人がすごく少なかった。地下鉄に乗って、竹橋の駅で降りたら、ずっと曇っていたのだけど、少し太陽の光がさしてきた。

 皇居の近くの美術館で、堀があって、そこには白いサギがいた。あんなに白いんだ、と思う。

美術館の入り口

 東京国立近代美術館。「ピーター・ドイグ展」。

 午後12時前。当日券の売り場があり、そこに数人だけの利用者がいる。
 
 私は、予約制を利用した。その方が「確実」だと思ったからだった。今日の12時から、ということで、前もってチケットを買っていて、だから、入り口で、チケットのことを聞かれたけれど、「あります」と言って、中に入る。

 黒と白のスーツを着た二人の女性が並んで立っていて、検温いたします、ということを言われ、額かと思って近づいたら、手首です、と言われて、右手を出して、ピッという音で、大丈夫です、と言われた。

 妻も、隣で測ってもらっていたが、具体的な温度まで見せてくれたらしい。ちょっと、うらやましいような気持ちにもなった。

 そのあと、さらに少し奥に入って、窓際の机にあるアルコールのボトルを押して、消毒をして、それから、展示室へ行く。

 みんなマスクをしていて、カウンターなどは、アクリル板が設置されている。

 そのチケットの「もぎり」をするスタッフも、マスクをしていて、もちろんアクリル板の向こうにいる。

展示室での注意事項

 ピーター・ドイグの作品が並ぶ。
 
 絵が強く、色が強い。今の、映像の刺激がふんだんにある時代なのに、これだけ、まだ強い表現としての絵画があることに、凄みを感じる。

 入って、午後12時20分頃。
 館内放送が入る。

 新型コロナウイルスの感染拡大予防のために、といった言葉から、アナウンスが始まる。

 距離をとってください。
 マスクをしてください。
 会話を控えてください。

 そんなことを言われた。

 壁には、注意事項が書いてあるチラシなども貼ってある。
 展示室での撮影は、フラッシュを焚かない、という条件などはあるが、「シェアしよう」という言葉とともに、SNSに拡散すること前提の注意事項が並ぶ。

 さらに、「感染拡大防止」のためのお願い。というチラシもある。
 マスクをしてください。
 距離(2メートル)とってください。
 会話を控えてください。
 壁やケースや作品には、さわらないでください。

 最後の、作品などにさわらないのは、いつもと同じにも感じるが、壁に寄りかかったり、ということは、普段はしていたので、それを防ぐためかと思う。

 展示室の中にベンチはあり、座っている人も、みんな、距離を保つようにしているのは、分かる。座っている女性のそばに、男性が座ろうとしていたら、それは、コロナ以前であれば、普通の距離だったのだけど、今では、かなり近いせいもあって、座っていた女性は、すぐに立ち上がって、絵の前に戻って行った。

変わらないこと

 今日は、平日のわりには、コロナ以前を思い出して比較しても、混んでいたほうだと思う。それぞれ区切られた展示室には、20人くらいの観客がいて、みんなマスクをしているし、それぞれきちんと距離を意識して、バラバラな感じにも見えるが、絵画の前の滞在時間は長いようだった。展示室は静かで、ゆっくり作品を見ることができた。

 コロナ禍でも、美術館が閉まった時は見られなかったが、こうして開いて、予約制でもあったり、微妙な不便さはあったにしても、作品を見ることができるのは、これまでと変わらず、とてもありがたかった。改めて、自分にとってはアートは、不要不急ではなく、ずっと必要だったと思った。

美術館の変化

 当たり前だけど、入場者全員に検温をすることは「異常」な事態であることに変わりはない。アルコール消毒を、1日のうちに何度もおこない、その毎日が続くのも、生まれて初めてだけど、それは、異常な事態への正常な対応といっていいものだと思う。

 展示を見終わり、ショップに行き、展覧会がよかったので図録などを買って、並ぶ時の距離をとるための足跡のマークに立つ。そのマークは、もう古くなりつつあって、ところどころ、はげかかっていたりもする。

 カウンターには、他の美術館などの展示のお知らせや、様々な美術に関するチラシなどが置いてある。それは、いつもと同じなのだけど、「一度手にとったパンフレットはお持ち帰りください」とあって、それも感染拡大予防のためだと、コロナ禍の中で、何ヶ月か暮らしてきた今の自分だったら、すぐに分かる。

 出入り口には、「再入場の際には、再度、検温が必要になります」という表示があった。

 そして、展示室以外にも、コロナ以前には、館内には、あちこちにベンチやイスがあった。庭に面した外にもイスが並んでいて、天気がいい日は、そこに座って、道路に流れるクルマを見たり、空を見たりできたのだけど、そうした座る場所が一切なくなっていた。イスがなかったことで、妻はくたびれたと言っていた。
 それもコロナ感染予防対策だったはずだ。

「ピーター・ドイグ展」について

 美術館には、いろいろな変化はあるにしても、作品を見る時の気持ちは、変わらなかった。

 ピーター・ドイグの作品は、今の時代の絵だと思ったし、見ていて、気持ちがよかった。
 以前、書いた記事の中で、今の時代の風景写真は、すべて「風景の人物写真化」になっていくのではないか、という表現をしている人(大山顕氏)がいると紹介したことがあったが、ピーター・ドイグの作品は「風景の人物写真化」のようなインパクトの強さがあったし、少なくとも観賞している時は、体験しているような気持ちでいられた。

 スマートフォンのサイズは風景写真にまったく向いていない。おそらく今後、「風景の人物写真化」とでも呼べるスタイルが風景写真のメインになっていくだろう。極端に抽象化され、見るポイントをわかりやすくひとつに絞った風景作品がすでに台頭し始めている。

 ピーター・ドイグの作品は、絵画だけど、たとえば、現代の写真と並べたり、比べて考えるような作品だとも思った。
 
 この展覧会は、今年(2020年)の2月の末に始まったが、コロナ感染拡大防止や、緊急事態宣言などで、いったんは美術館が閉まったが、6月から再開し、会期も10月11日まで延長している展覧会、という意味では、これまでにないコロナ禍中の展覧会でもある。




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