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読書感想 『ホロコーストからガザへ パレスチナの政治経済学』 サラ・ロイ 「なにも知らない恥ずかしさと怖さ」

 もう、そういう時代ではないのでは、などと、国内の残酷さが増えていくばかりの現状を生きていながら、国際的には突然の一方的な戦争などは起こらないのでは、と無知でぼんやりした楽観性を持っていた自分の愚かさを、2022年に知った。

 そのことにあまりにも無力で、だから、どこかで考えたくないような思いになっていたら、2023年になって、今度はイスラエルとガザとの間で戦争が起こってしまった。それまで、歴史的なことについて書かれたものなどで、触れているはずのガザという名称について、初めて聞いたような気がしていたし、どこまで自分は無知なのだろうと思った、

 そんな気持ちもあったせいか、行ってもいいのだろうか、というためらいを持ちながらも、パレスチナ出身の詩人や画家の作品が展示されている展覧会に行った。

 その会場でこの本を知った。


『ホロコーストからガザへ パレスチナの政治経済学』 サラ・ロイ 

 両親がホロコーストの生き残り、という出自を持つ政治経済学の研究者が書いたホロコーストと、ガザのこと、というだけで、どこか気持ちの構えを勝手に持ってしまうし、同時に、現代においては、こうした人でなければ書けないようなことも多いように思った。

 この書籍は、日本国内では、最初は2009年に出版された。同じ年に行われたサラ・ロイの来日講演をもとに編集されたから、すでに15年前のことになる。

 だけど、どこまで理解したかは分からないのだけど、ここに書かれている状況は今でもほとんど変わらないこと、もしくは悪化したかもしれなくて、それが2023年からの戦闘に結びついているのだろう、といったことだけは少し理解できた気がした。

 サラ・ロイは、ガザ地区の現状を、数字をあげて指摘している。

 ガザ地区では失業率が三五・五パーセントないし四五・三パーセントに、西岸地区では、二四・五パーセントないし二五・七パーセントに達し、貧困レベルはガザが少なくとも七九パーセント、西岸が四六パーセントに達しています。ひとつの民族集団でかつ主権をもった人びととしてのパレスチナ人は、人道上の一問題に変容しつつあり、この変容はまもなく完成しようとしています。(食糧援助)現在はほぼすべての住民がそうした援助に頼っています。

(『ホロコーストからガザへ』より。以下、引用部分は、同著より)

 それは、イスラエルによって、そういう状況に置かれ続けているとサラ・ロイは認識している。

 一二月の攻撃のずっと以前から、ガザ地区の人びとは物乞いへと貶められ、生計を立てる権利も、ガザ地区を自由に出入りする権利も、それどころかガザ地区内部を移動する権利でさえ、否定されてきました。そうして、外部世界から完全に切り離されて、[監獄化したガザ地区]に閉じ込められたのです。

 この文中の12月は、2008年のことになるが、この「監獄化したガザ地区」に閉じ込められている状況は、その後も変わっていないようだし、サラ・ロイによれば、一般的には、パレスチナとイスラエルの二国家共存へのはじまりと見なされている1993年のオスロ合意自体に問題があるという。

 オスロ合意によって、実在する占領の終結は、国際法によって強制されるものではなく、イスラエルとパレスチナが交渉(つまり取引)によって解決されるべき一項目になってしまった。つまり、占領は問題の前提ではなくなり、それを国際社会も了承したというのがオスロ合意であった。イスラエルは占領を不問にすることを国際社会に認めさせることに成功した。 

 そのことから生じる問題にも、国際社会は無関心だったようだ。

 興味深いのは、国際社会(欧米や日本)が、「反開発」によってパレスチナの経済発展が阻害されている状況、または成長不可能になっていてコップの底が抜けている状況でも、全く気に留めないことだ。

 その状況は、さらに悪化しているようだ。

 「対テロ戦争」理論のイスラエル的拡大解釈を国際社会が受け入れたことが、二国家分離を実質的不可能に追い込み、実情を危機的にした。そして「平和を求めて、政策を実行する」イスラエルと、「平和に逆行する〈テロ〉政権」ガザのハマースという位置づけが固定化した。そのなかで不十分ながら「平和への努力を続けている」というのが、西岸地区のファタハ政権に対する国際社会の一般的な見解だ。

 だが、それは間違っていると、著者はさらに提言する。

 まずは、占領を終結させることが必要だ。
 日本を含む国際社会が、オスロ合意以後の過ちをごまかしてきた結果が、いまの状況に繋がったからこそ、まず十六年前に話を戻す。

(『ホロコーストからガザへ』より)

 この16年前というのは、オスロ合意のことだ。その前提から問い直すべきだという言説は、初めて聞いた気がする。

 自分は何も知らない。それだけは分かった。

ホロコーストからイスラエル問題へ 

 サラ・ロイの両親は、ホロコーストの生き残りだった。それは、一言でまとめられるようなことではないのだけは、理解できる気がする。

 父は六人兄弟でした。父の家族でホロコーストを生き延びたのは、父ひとりきりでした。(中略)最近知ったことなのですが、父はナチスの絶滅収容所を脱出することのできた最初の人でした。おそらく父自身の知らなかった事実だと思います。ただ、父の家族については、私はほとんど知りません。自分の家族について語ろうとすると、父は取り乱してしまい、どうしても語ることができなかったためです。彼らのことを思い出すことで父が苦しむ姿を目にするのは、私にとっても辛いことでしたので、私はいつしか、家族について聞かせてと父にせがむのをやめてしまいました。 

 母の家族で戦争を生き延びたのは、母とその妹のフラニアだけでした。(中略:アウシュヴィッツでの)二人が選別の列に並んだときのことです。そこには大勢のユダヤ人が並んでいました。彼らの運命はナチの医師ヨーゼフ・メンゲレに握られていました。ひとり彼だけが生きる者と死ぬ者を決定するのです。おばがメンゲレの前にたちました。メンゲレはおばに右側、つまり労働用の列を示しました。それは束の間の死刑執行延期を意味します。母の番になったとき、メンゲレが示したのは左側、つまりガス室で殺されるグループでした。でも、母は奇跡的に選別ラインにもう一度もぐりこむと、再度メンゲレの前に立ちました。彼は母を労働の列に加えたのでした。

(『ホロコーストからガザへ』より)

 そして、サラ・ロイの現在の姿勢について、母親のこうした言動↓が大きく影響を与えているのは推察ができるが、この母親のような行動を選択するのは、おそらくは少数派だと思われるし、同時に、とても貴重な行為ではあるのは、わかる。

 イスラエルでは暮らさないという母の決断は、戦時中の体験から母が学びとった強い信念に基づいていました。それは、人間が自分と同類の者たちのあいだでしか生きないならば、寛容と共感と正義は決して実践されることもなければ、広がりを見せることもないという信念です。母は言いました。「ユダヤ人しかいない世界でユダヤ人として生きることなど、私にはできませんでした。そんなことは不可能でしたし、そもそも望んでもいませんでした。私は、多元的な社会でユダヤ人として生きたかった。ユダヤ人も自分にとって大切だけれども、ほかの人たちも自分にとって大切である、そのような社会で生きたかったのです。」
 私は、ジュダイズムというものが宗教ではなく、倫理と文化のシステムとして定義され実践される、そのような家庭で成長しました。

 サラ・ロイは、アメリカで生まれ、育った。そして、当然ながらイスラエル人との交流もある。

 私にとってつらかったのは、私のイスラエル人の友人たちの多くがホロコーストや、イスラエル国家ができる前のユダヤ人の生活を冒涜することでした。彼らに言わせると、それらの時代のユダヤ人は、脆弱で、受身で、劣っており、無価値で、尊敬に値せず、蔑すまれて当然の恥ずべき存在なのでした。 

(『ホロコーストからガザへ』より)

ガザと西岸

 そして、サラ・ロイが初めてガザと西岸に訪れたのは、サラ本人が30歳の年だった。

 幼い頃に何度もイスラエルを訪ねていましたが、私が西岸とガザにはじめて足を踏み入れたのは一九八五年の夏でした。(中略)その夏、私の人生が変わりました。イスラエルによる占領を私自身が身をもって体験することになったからです。占領がどのように機能するのか、経済や日常生活にいかなる影響を与えるのか、人びとをいかに押しつぶすのか、私は知りました。人間が自分自身の生を自分でコントロールできないということがいかなることなのか、そして、さらに重要なことは、自分の子どもの生に対して親がほとんど無力であることがいかなることなのか、私は知りました。

 サラ・ロイが目撃したのは、イスラエルで、イスラエル兵によって辱めを受ける年配のパレスチナ人の姿だった。

 私がそのときただちに思い出したのは、両親が私に話してくれた逸話の数々です。一九三〇年代、ユダヤ人がまだゲットーや収容所に入れられる前、ナチスによっていかに扱われていたか。歯ブラシで歩道を磨くよう強制されたこと、公衆の面前であごひげを剃り落とされたことなど。あの老人の身に起きたことは、その原理、意図、衝撃において、それらとまったく等しいものでした。人を辱め、その人間性を剥奪すること。一九八五年の夏のあいだずっと、同じような出来事を私は繰り返し目的しました。パレスチナ人の青年たちがイスラエル兵によって無理やり四つん這いにさせられ、犬のように吠えさせられたり、通りで踊らされたりする姿を。

 占領されている状態を、これだけむき出しに目撃することは稀なことだと思う。同時に、この状態がそれほど知られていないこと、さらには、あまり問題とされていないことは、やはり、自分も含めて恥ずべきことなのもわかる。占領しているのは、イスラエルだった。

 占領がその核心において目指すのは、パレスチナ人が自分たちの存在を決定する権利、自分自身の家で日常生活を送る権利を否定することで、彼らの人間性をも否定し去ることです。そして、ホロコーストと占領が道徳的に等価でもなく対称的でもないように、占領者と被占領者もまた、道徳的に透過でもなければ対称的でもありません。たとえどんなに私たちユダヤ人が、自分たちのことを犠牲者と見なしたとしても、です。占領はホロコーストとは違うのだからまだ耐えられるなどと言うことは、実際多くの人がそういう発言をしてきましたが、ジャーナリストのロバート・フィスク[英誌インディペンデントの著名な中東特派員]も言うように、魂を失って地獄に向かう行為でしょう。
 そして、恐ろしい忌むべき自爆行為やガザ地区からのロケットがより多くの罪なき者たちの命を奪っているのは、いまや広く忘れ去られていますが、まさにこの剥奪と窒息状態という状況においてなのです。入植地や、破壊された家々や、封鎖用バリケードがもとからそこに存在したわけではないのと同じように、自爆者やロケットもまた最初からそこに存在していたわけではありません。

(『ホロコーストからガザへ』より)

無知である理由

 本当は、関心がないとしても、特に新聞のようなさまざまな情報が載っているメディアに接するときは、こうしたイスラエル問題、パレスチナのこと、ガザ地区の出来事などに関しては目に触れていたはずだ。

 だけど、知ろうとはしてこなかった。

 それは、自分には知ったとしてもどうしようもないから、という無力感だけではなく、自分は不正義や犯罪に匹敵するような状況に対して、無関心であることで、実は、自分自身も加担しているのではないか。
 そういった後ろめたさのような気持ちがあるから、より知ろうとしなくなる。そんな意識しない悪循環の中で、無知なままでいるのかもしれない。と、こうしたサラ・ロイの率直な指摘によって、思うようになった。

 情報は隠されていない、普通に手に入るにもかかわらず、アメリカのユダヤ人組織もイスラエル人も知ろうとしない、ということがあります。彼らはガザ地区や西岸地区で起きていることを知らないのですが、それは知りたがらないからなのです。(中略)自分が抑圧者で加害者であるだなんてことは誰も信じたくはないわけです。とりわけイスラエル内外のユダヤ人は、自身を被害者だと認識していますし、また無垢な民であると肯定したい強い欲求があります。実際、過去から現在にいたるまで自分たちがパレスチナ人に対して何をしてきたのか、それはぞっとするほどの不正義であり犯罪行為なわけですが、それを直視するのはつらく難しいことですし、加害者として被害者のパレスチナ人と向き合うこともなかなかできません。こういったことがユダヤ人の自己認識を支えていると、自分たちが無垢であるという思い込みから抜け出そうという意思も能力も出てこないのです。(中略)私の知っているかぎり、平均的イスラエル人は本当にガザや西岸で何が起きているのか知らないのです。 

(『ホロコーストからガザへ』より)


 国際的に見たら、いわゆる西側諸国に属する人たちは、程度の差はあっても、こうしたアメリカのユダヤ人組織や、イスラエル人の意識と似ているのではないか、と感じる。

 無関心であっても、そのことによって、結果として、その状況に加担していることになり、不正義であり犯罪的であると、自分自身のことを思いたくないはずだからだ。

 そんな、人としては、ごく自然な思いだとしても、でも、そのことで、文字通り「非人道的」な状況が続いていて、その結果として、2023年の戦争につながっているとすれば、やはり知らないことは、恥ずかしいだけではなく、怖いことだと思った。



 かなり重い読後感で、無知だった自分が言う資格もないとは思うのですが、やはり読むべき一冊なのは、間違いないと思います。

 夏休みなどで、少し気持ちに余裕があるとき、いつもとは違う読書体験をしたい、といったときに、手をとってみることをおすすめします。

 少なくとも、世界の見え方が、少し変わると思います。



(こちら↓は2009年版です)




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おちまこと
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