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読書感想 『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』  「21世紀現在の悲しみ」

 何かの番組で、あまり知らないけれど、話の内容自体が面白くて、つい見てしまった対談があった。その中に一人だけ、メキシコのプロレスラーが被っているようなマスクをしながらしゃべっている人がいる。

 自分のキャラクターのために、おこなっているちょっとふざけた行為かと思ったら、昼職をしていて、執筆活動は本当に秘密なので-----といったことを話して、昼職という言葉が一般的になったことと、そのマスクの人のペンネームが「麻布競馬場」だと知った。

 やっぱりふざけているのかもしれないと思い、確かめたくて、著書を読もうと思えた。


『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』   麻布競馬場

 奥付けには2022年9月に初版が第1刷が発行され、同じ年の12月には5刷とあるから、いわゆる売れた本であるのは間違いないようだった。

Twitterで凄まじい反響を呼んだ、虚無と諦念のショートストーリー集。

14万イイネに達したツイートの改題「3年4組のみんなへ」をはじめ、書き下ろしを含む20の「Twitter文学」を収録。

 こんなふうにAmazonで紹介もされていたけれど、私自身は、Twitterはブックマークをして、自分はログインもしないし、ツイートもしないまま、ただ人のTwitterを眺めていた生活だったし、イーロン・マスクに会社が売却されたあたりから、そうしたふうに、ツイートを見ることもできなくなっていたせいもあって、この作品が、そんなに話題になっているのも知らなかった。

 だから、とても遅れた読者であるのは間違いないのだけど、そこには早稲田や慶應出身者の世界があった。それも、ごく普通に都会に生まれ、幼稚舎からずっと慶應のような、一部の豊かな層が中心ではなく、大学から慶應に入学したような人たちの、それでも一般から見たらエリートたちの話だった。

 小説の中に出てくる固有名詞のおかげで、よりリアリティと身近さが増していたように思えたし、逆に、その具体性のために、年月が経ったら、なんのことか理解されにくくなったり、分かったとしても、そのイメージが明確に結びにくくなるかもしれない、というリスクも感じた。

 そういう意味でも、現代というよりは、現在の作品だった。

地獄

 本文200ページ足らずで、20編の作品がおさめられている。

 それぞれの作品は、10ページほど。だけど、それほど短い感じもしないのは、密度が高いせいかもしれない。

 最初は、「3年4組のみんなへ」という、卒業する生徒へ向かって、生まれ育った地域で教師を務める主人公が、自分のこれまでを、ずっと話す設定の作品だった。

 子どもを育てるというのは大変なことです。質量保存の法則みたいなもので、自分が与えられてきたものしか子どもに与えられないものです。親から少女マンガしか与えられてこなかった母は、子どもを東京の大学に入れる方法なんて知らなかったのです。そこで母が苦し紛れに借りてきたのがビートルズのCDだったのです。

(『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』より)

 それが、主人公の小さい頃のエピソードでもあったのだけど、そのCDが実ったのか、主人公は地元を出て、早稲田に進学し、丸の内に本社のある大手メーカーに就職する。

 研修を一通りやって、先生は本社のグローバルマーケティング部門を希望していました。配属は僻地の工場の総務人事。最悪です。縁もゆかりもない北陸のその街は、ゾッとするほどにこの街と似ていました。イオンとドンキ。パチンコと風俗。どこまでも続くように感じられる、長い長い灰色の国道18号線。

(『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』より)

 そこからだんだん疎外され、下っていくような過程が、すごくリアルに描写されているように思う。

 東京から来た人は先生とあと二人くらいで、残りは地元の人ばかりでした。彼らは最年少の、それも東京ぶってるけどまた別の田舎町出身の早稲田卒が、この田舎町を軽蔑していることを察知しました。先生は甘くて飲めたもんじゃない缶コーヒーを断り、家で淹れてきた清澄白河のカフェのオリジナルブレンドを飲んでいました。

 いじめらしいいじめがあったわけではありません。しかし、嫌われて誰からも話しかけられてもらえないことで、先生の心は徐々に削られてゆきました。先生は定時になると逃げるように退勤して、あてもなくヴィッツを走らせながら、車内で衝動的に大声で叫んだりしていました。誰にも届かない叫び。 

(『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』より)

 そこから、主人公は病み、いろいろあった末に地元に戻ってきて、こうして教師をしている。そうした過程を話した上で、それでも卒業生に向けて、話は切実な願いのようなものになる。

 人を思うことを恐れないでください。自分なんて、と思わないでください。年収何千万とか、フェラーリに乗っているとか、偉そうな人にも必ずその人だけの地獄の苦しみがあります。だからこそ強がっているのです。そんな人たちにも恐れず優しくしてあげてください。もちろん、明らかに弱っている人にも。

 みんなで生きましょう。死なず、死なせないようにしましょう。苦しみの中でこそ、他人の苦しみを思い、助け合いましょう。先生も、これから努力してゆきますから。お話は以上です。卒業おめでとう。

(『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』より)

階級

 誰でも自分がいる世界のことしか知らない。 
 他の世界を知っているつもりでも、身をもって分かっているのは、自分が生まれ育ったところだと思う。

 だから、ここに描かれている世界は知らないはずなのに、でも、そこにあるように感じるのは、そこに登場する固有名詞の選択が、おそらくはとても正確なせいだろう。この世界を知っている人ならば、もっと深く理解ができるはずだとも思う。

 小さい頃からモテには無縁で、でもそのことに特段のコンプレックスは感じませんでした。父は東大、母は専業主婦教育ママ、中学から女子学院というよくある話。モテに依存して自己の価値観を形成するのはダサい、という不思議な風潮があの中学高校には漂っていて、塾で彼氏を作る子を見て内心馬鹿にしていました。

 第一志望の東大は4点足りずに落ちたけど、特に悩まず滑り止めの慶應の法学部政治学科に進学しました。中高の同級生もたくさんいたから寂しくありませんでした。

 彼は攻玉社の出身で、一橋を目指していたけどセンター試験でコケて商学部に入りました。本当は経済も受かってたけど、という謎の「おれは単なるバカ商じゃない」というアピールがかわいらしくて最初聞いた時は笑ってしまいました。P&Gでマーケがやりたいと言って、生協で小難しそうな本を買っては見せびらかして、でもちゃんと読んでいる様子はありませんでした。

(『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』より)

 この短編の主人公の女性は、慶應大学を卒業し、その彼とは疎遠になったのだけど、その彼が別の女性と結婚して新居を構えた場所のために、卒業後も仲良くしていた慶應大学の同期たちと行くことになった。

 東京生まれ東京育ちの同期たちは、彼が住んでいるらしい流山おおたかの森という、ニュースでたまに聞く、しかし得体の知れない千葉の街に下世話な興味を抱いているらしく、その場で彼にLINEして、私を含む4人で視察ツアーを組んでしまいました。

 ある意味では、鼻持ちならない行為でもあるのだけど、そこには、生まれながらの階級の違いがあるように思えてくる。

 奥さんは最近『大豆田とわ子と三人の元夫』にハマって、髪をバッサリ切ったそうです。なぜ今更?とか、渋谷区のクールな場所で繰り広げられるドラマを流山おおたかの森で見て、流山おおたかの森で松たか子みたいな髪型にするのはどんな気持ちですか?とか、ちくちく言葉が無限に湧いてきたけど、黙って笑いました。

(『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』より)

現在の悲しみ

 どの話も、私自身が、そうした見方をしすぎているのかもしれないけれど、ごく一部の生まれながらに恵まれた階級の人間が明らかに存在し、早稲田や慶應に入学したゆえに、そうした人間をそばに見ながら、どれだけ努力しても、そこに届かない人たちの話に思えた。

 入学式の日。いざ大学に行ってみると、高そうなバッグを持っている子も少なくありませんでした。当たり前です。何世代にもわたる遺伝子ロンダリング。三高サラリーマンが美人を娶り、生まれた顔のいい三高サラリーマンがまた美人を娶る。東京の有名な大学には、今どき苦学生なんていないのです。いいとこで育った美人ばかりでした。

(『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』 「お母さん誕生日おめでとう」より)

 やっと本当の自分に戻れるんだな、と変な安心感が湧きます。これまでがおかしかったのです。人に唆されて、自分に期待しちゃったりして、不相応なステージに上がって、そして自分の無能ゆえにそこから転げ落ちてゆく。つまり父の誤りを再生産したわけです。親不孝な息子でしょう。「次は三島です」。でもそれは転落なんかではなく、実のところ、元いた場所に戻るだけなのです。

(『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』 「Wakatteをクローズします」より)

 本物の文化人というか、文化資本に囲まれ、それを吸い込みながら育ってきた人が慶應にはたくさんいました。

(『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』 「うつくしい家」より)

 今は、階級上昇の可能性があるように思えた時代を経て、階級が固定される傾向が強くなってきたからこそ、それがわかるのが以前よりも、早くなっているような印象だった。主人公の多くは30歳で、今の日本では、生まれた場所で、ほとんどのことが決まってしまうのを、嫌でも感じているようだった。

 それは、21世紀現在の悲しみだと思う。

 私自身も、ほとんど身を持って知らない世界だったのだけど、実は、あまり書かれることのない階級の、そこにいる人にとっては当たり前と思えることを、(しかも今しかないかもしれないいろいろな事を)きちんと残してくれたと思うので、とても貴重な作品ではないかと、読み終えて思った。

 
 おそらく、出版されて2年経とうとしているから、いまさらの感想なのでしょうし、人によって相性の悪さもあるかもしれませんが、それでも、今からでも、読んでほしい作品だと思います。



(こちら↓は、電子書籍版です)



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