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UFO、について思うこと。

 空から音がして、ヘリコプターが飛んでいるのは分かりました。 
 見上げると、全体が真っ赤で、それはおそらく消防のためのものだと思いました。
 自分にとっては珍しいものだったので、デジタルカメラを向けて何枚か撮影しました。
 でも、やっぱり、なんだか分からないような中途半端な結果になってしまいました。

UFOらしさ

 こんなことを考えるのは、真剣に取り組んでいる方には失礼で申し訳ないとは思うのですが、ただ、この写真がどうなれば、UFOらしく見えるのだろう、とつい、思ってしまいました。

 UFOらしさの一つの特徴としては、その信じられない動きがあると思います。空の上なのに、急にスピードをあげたり、急に曲がったり、止まったり、通常の飛行物体であれば不可能なことをしていきます。さらに、光ったり色を変えたりということと同時に、不規則でとんでもないスピードも伴っていれば、おそらくはUFOとして信じてくれそうな気がします。

 だから、元々、今の時代であれば、写真ではなく動画でなければ、信じてくれないような気がしますから、写真でUFOらしく見える、ということは、どんどん難しくなっている感じがします。

   それでも、動画で、ある程度の時間の長さが必要としても、例えば24時間の長さであったら、誰も見てくれないのは、容易に想像がつきます。

 できたら1〜2分。はっきりと形は分からないとしても、明らかに異質感がある物体が、光りながら、その色も変えながら、当然、とんでもないスピードで不規則な動きを上空で繰り広げた上で、最後は、ふっと消える。

 それが、一番、UFOらしく、また動画でも、テレビでも多くの人が見てくれるように思います。やっぱり時間がいちばん大事で、長い動画を見てくれる人は、年を追うごとに減っていっているように思いますので。


 話を戻すと、もし、写真で今の時代に「UFO」と思うようなものがあるとすれば、恐らくは、昔だったら、多少ぼんやりとして写っていても許されたのが、逆に今は写真という静止画の方が、求められるレベルが上がっていると考えられます。

 とても鮮明で、それでいて明らかに異物感があって、地球上のモノとは思えず、今まで誰も考えられなかったようなカタチであれば、信じてもらえそうですから、冒頭の私が撮った写真では、UFOらしさからは、もっとも遠い一枚なのかもしれません、という情けない一応の結論になりました。

 ただ、そのUFOらしさも、古くはアダムスキー型と言われる目撃談も含めて、みんなで作り上げてきたイメージであるのも間違いないと考えると、存在が確定していない物体であっても、「らしさ」が年月をかけて、出来上がってくる、というのは不思議な気もします。

UFOという名前

 最初は「空飛ぶ円盤」という名前でした。
 その名前を知っているだけではなく、その名前を使っていて、馴染み感があるとしたら、たぶん、その人物は、50は超えていると思います。

 それが、変わったのは、今でも覚えているタイトルの「謎の円盤 UF O」だったのですが、この時は、「ユー・エフ・オー」とはっきりと発音されていました。さらには、この番組はドラマであってフィクションだったのですが、子供にとっては、本当のことではないか、と思いました。それは、製作側の意図にまんまと乗ってしまったのだと、今だと分かるのですが、その時は、いよいよ円盤が地球に来たのかもしれない、と微妙に信じてました。(何も起こりませんでしたが)。

 その「ユー・エフ・オー」から「ユーフォー」になったのは、ピンクレディーが「ユーフォー」と歌い続けた1970年代後半以降だと記憶しています。

 今でも、あらゆる場所で目にするのですが、英名で長い表記の場合、頭文字をとって組み合わせた後、さらにそのアルファベットを、英語を日常的に話す人たちのように、単語のように読む、というやり方が定着したのも、その後だと思います。

 一例だけで、申し訳ないのですが、国際サッカー連盟は「FI F A」と記されていますが、「UFO」を「ユー・エフ・オー」と読んでいた時代には、「エフ・アイ・エフ・エー」と呼んでいました。それが「フィーファ」になったのは、やっぱり「ユーフォー」以降だと記憶しています。

UFOの記憶

「謎の円盤UFO」というドラマを、「本当かも」などと、微妙に怖がりながら見ていたくらいなので、「UFO」の存在は、どこかで信じていました。

 科学的でないから信じられないかも、の後に、宇宙という大きさを科学を通して知ることによって、そんなに広大だったら、地球以外に知的生命体がいてもおかしくない、という考えに傾き、それならば、UFOも存在するかも、と微妙に揺れていきました。


 子供の頃、ほぼ唯一、毎月のように読んでいた雑誌が「子供の科学」でした。(子供、というタイトルでは収まりがつかないほどの情報が充実していると思います。金星は1日よりも1年の方が短いことを、近年知ったのも、この雑誌のおかげでした)。

 「UFO」という存在は、子供にとっては、盛り上がりの波に大小はあるとしても、ずっとブームといっていい時代が長かったので、UFOに関しては、前提条件を説明しなくても、みんなで話ができるテーマの一つでした。

 そして、この話は、誰かが本の中で書いていたのですが、(記憶がはっきりしていなくて、すみません)少年関係の雑誌などでアンケートがあったようです。

 それは、「UFOはあると思いますか?」「もし、UFOに乗れる機会があったら、どうしますか?」の2つの質問で、それに対して、「子供の科学」の編集長だった人は、周囲と際立って違うほど、キッパリと答えていたそうです。

 「ない」。

 「ないものには乗れない」。

 大人になるにつれて、この答えがかっこいいと思うようになりました。それは、素人ながら、科学について、もう少し知るようになると、宇宙が広いとはいっても、他の星で、地球のように知的生命体が誕生する確率は、この地球が存在する宇宙(宇宙はいくつもあるらしい、という想像の届かないことも知るようになりました)にあるような星の数から考えると、とんでもなく低い確率だそうです。だから、この宇宙には地球以外には、知的生命体がいないかもしれない、と思うようになりました。

 現在では、個人の意見としては、「宇宙人の乗り物としてのUFOは存在しない」と思ってます。

UFOという存在

 今でも、UFOのことは、年に1度は考える機会があります。

 ビートたけしが司会をする番組で、UFOやUMAについて、その存在について、この1年を振り返るので、その「あり方」が毎年のようにアップデートされていることと、新しい目撃情報があることに、ある種の凄みを感じるのですが、それ以上に、毎年のように気になるのが、UFO評論家といった人たちの気持ちです。

 特定の誰か、というのはすぐに分かると思いますが、その人に対して責める気もないですし、嘘ではないか、とその番組の教授のように言い募る気もありません(この番組で拝見するたびに、UFO研究家の方も、教授の方も、その健在を確認できますし、この番組の作り自体が、昭和のプロレスのような気配が強くて、懐かしさもあります)。

 時々、気になるのは、こうしたUFO評論家といった人たちは、本当に心の底からUFOの存在を信じているのだろうか、ということです。

 アマチュアの人であれば、まだ本気なのだろうと思いやすいのですが、プロとして、仕事になってしまうと、見たくないものも見てしまう機会も増え、「業界の裏側」を知ってしまうことも多く、だけど、信じる姿勢を見せることで「仕事」が成立しているのだから、その姿勢は崩さない、といったところかもしれない。

 と思いながらも、そういうことを確かめること自体が、野暮という感じもします。

 だけど、これだけ長年、UFO評論家を名乗り、その姿勢を崩さないのを見ていると、本当に本気なのかもしれない、と思うこともあります。

 その「グレーゾーン」に存在し続ける「ありかた」そのものが、長い年月がたったため、すでにUFOと重なり合うような存在の仕方になっていることに、年末になるたびに、なんとも言えない気持ちになることがあります。

UFOの目撃

 UFOを見た、という話を直接聞く機会は、個人的には少なかったのですが、一人だけ、すごくリアルにしてくれた人がいました。

 それまで、そこそこ長い年月知っている方で、いろいろと話はしてきて、だけど、UFOのことは一切話したことがなかったので、期待もしないで、何かの拍子に「UFO、見たことありますか?」と聞いたら、とても自然な口調で「ある」ことを話してくれました。

 あるときに、窓を開けたら、そこにUFOが浮かんでいた。ああ、あるんだと思って、だけど乗せてもらったり、誰かがいたわけでもなく、宇宙人を見た、ということでもなくて、しばらく、そこにしっかりといて、それから、いなくなった、という話でした。

 そんな話をしたのは、後にも先にもその時だけで、近所の銭湯の電気風呂の良さを語るときと、全く一緒の口調だったので、本当ですか?と聞けるような気配もないままでした。


 私は、UFOかもしれない、といった存在を目撃することもなく、これからもなさそうだと思いながらも、その時の話は、不思議な実在感とともに記憶に残っています。

UFOという呼び名

 UFOが話題になるようなテレビ番組で気になることは、もう一つあって、その方が、UFO評論家のことよりも、最近は、自分の中では、その気になり方が、少し大きくなっています。
 
 時々、UFOが呼べる、という人をテレビ画面で見ることがあります。

 その呼び方に関しても、実はいろいろと種類があることは、最近になって知ったのですが、ウインウイン、みたいな音を真似て、みんなで唱えて呼びます、というのは、そんなに抵抗感はないのですが、それより、たまに「UFOさん、来てください」と呼びかけるやり方の方が、引っかかります。

 UFOという言い方は、おそらくもう誰もが知っているほど浸透していると思うのですが、改めて確認すれば、日本語だと「未確認飛行物体」を英語にして、頭文字を並べて「U F O」となって、それを「ユーフォー」と呼んでいることになります。

 だから、もしUFOを本当に呼び寄せたいのであれば、「未確認飛行物体」さん、と呼びかけるよりも、昔の呼び名である「空飛ぶ円盤」さん、と呼んだ方が、なんとなく来てくれる確率が高くなると思うのですが、どうでしょうか。

 もし自分が高度な文明を持つ地球以外の「宇宙人」であったとして、「未確認飛行物体」と呼ばれるよりは「空飛ぶ円盤」さんと言われた方が、なんとなく可愛さを感じ、姿をちょっと見せてみるか、と思うような気もするので、そんなことを考えました。


 信じている人には失礼だと思うのですが、そんなに強く関心がなく、存在を信じていない人間にも、これだけ考えさせるほどの力があるので、UFOに関する歴史は、これからも続くのは、間違いないようにも感じています。




(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。



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