イスの後ろに立つ人たち。
「水曜日のダウンタウン」で、昭和世代の人間が、現代の若い世代に、「昭和はこれだけめちゃくちゃだった」といったうそエピソードを、どれだけ信じさせるか?という企画をやっていた。
昭和のエピソード
この番組の中で、伊集院光が、それはあまりにもむちゃ、といった昭和世代の共演者の「ウソ」に対して、聞き手が、どうすれば信じてくれるか?といった見本のような説得力を見せることになった。
若い世代が、そんなのウソだと思うのは、もっともだと思う。だから、当時でも、そのことに対して反論もあって、だから、妥協的な方法もあった、とか。さらに、恐怖心が湧くエピソードに対しては、さらに怖さを増して、正常な判断力を失わせる、とか。もちろん、ウソのような本当のことも入れていく、といったオーソドックスな方法も駆使し、その「ウソ映像」のことよりも、伊集院光が、どうやってウソを信じさせていくか?という過程の方が面白くなってしまった。
そういえば、エイプリルフールが、「四月バカ」と言われていた、という「事実」に対して、若い世代ほど、それに対して「うそ」だと思う、という光景も、別の番組で見たことがある。
だから元々、こうして「ウソ映像」を制作しなくても、今では、その時生きていた人間でさえ、ちょっと信じられないような光景は、「昭和の時代」には、確かにあったのを思い出した。
百貨店
昭和の時代。それも、バブルの前のことだと思う。
デパートが、百貨店と呼ばれることの方が多く、それは、なんでも揃っている、といったニュアンスで語られていて、休日に、都会の百貨店に出かけること自体が、家族のレジャーとして成立していた頃だった。
だから、買い物だけではなくて、家族で食事をするのも、その中の必須項目でもあった。
百貨店の、多くは最上階に近い場所に、その大食堂があった。そこには、今で言えば、フードコートといっていいようなメニューの豊富さもあったものの、当時でいえば、レストランに近い作りだった。
テーブルが四角、もしくは円形で、そこに4つほどのイスが並べられている。空いている時は、入り口から、誰も座っていないような席に行けばいい。当時、もちろん、デパートにもランクがあったような気もするので、もしかしたらエスコートしてくれるようなデパートもあったかもしれないが、私が家族に連れていかれて、たまに行くような食堂には、誰かが案内してくれた記憶がない。
問題は、混んでいる時だった。
その食堂の外まで、人が並んでいる。だから、その一番後方を探して、やっぱり待つ。そして、食堂の中まで入ってからの方が、実は大変だった。
今だったら、ファミレスでも、混雑の時は名前を書いて、空席ができたら、呼ばれて、そこに案内してくれるシステムになっているはずで、それは、とても理にかなっていて、当然のようになっているが、昭和の時代では、違っていた。
食堂の光景
食堂の内部を見渡して、それぞれの人たちの食事の進行状況を観察し、もうすぐ食事が終わりそうなグループを見つける。
そうしたら、そのテーブルに歩いて行って、たとえば、4人家族であったら、4つのイスの後ろに、それぞれ立って順番を待つ。もちろん、そのイスには、まだ食事をしている人が座っているが、それで、特にあわてることもなく、食事を続け、終わったら、待っている人が、そのイスに座る。
それでも、どこかでもめごとも起きないのは、それが、混んでいる百貨店などでの食堂でのマナーであって、誰もがそれを守っているからだった。だから、自分が食事をしている時も、混雑時は、イスの後ろに立つ人はいたし、今だったら、耐えられないような状況も、その頃は平気とは言わなくても、これも含めての「百貨店に出かけるというレジャー」だったから、受け入れていたのだと思う。
だから、その頃の休日の百貨店(だけではないと思うけれど)の食堂では、食事をしている人たちのイスの後ろには、次の順番を待つ人たちが立っている姿が、広がっていたはずだ。今、思い出しても、時々、そんな光景は実は、自分のつくられた記憶なのではないか、と思うくらいだけど、確かにそんな頃があった。
たぶん、今よりもタフだったはずだし、言葉を変えれば野蛮な時代だったと思う。
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