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読書感想 『あの新入社員はなぜ歓迎会に参加しないのか : Z世代を読み解く』   「世代への適切な距離感」

 気がついたら、自分や、自分たちに、生まれた年によって、「世代」というくくりができていて、多くの場合は年上の「世代」から、自分たちの「世代」に名前がつけられている。

 それは、自分たちが、まだ若いと言われる頃が多く、そして、その名前が気に入ることはほとんどなく、多くの場合は、あまり納得がいかない特徴を被せられている。そのうちに、自分たちよりも、若い世代に名前がつけられる頃は、自分たちの世代の名前は、あまり言われなくなる。

 そんな繰り返しを、この何十年もずっとしてきたような気がするのだけど、最近は「Z世代」が広く言われるようになってきて、もうアルファベットの最後の「Z」なのだから、「世代の名前」をつけるのは、これまでは悪口の前提みたいになってきたのだから、もうやめればいいと思うけれど、同時にもう少し冷静な「世代論」を、自分が読んだ経験が少なかったことにも気がついた。


世代論

 時々聞いているラジオ番組で著者が話しているのを初めて聞いた。

 失礼ながら、名前も知らなかった。ただ、その柔らかい語り口と、自分が話をしているとき、その話題に対して、なんだか楽しそうだったので、気になった。だから名前を覚えて、プロフィールを探した。

廣瀨 涼

ニッセイ基礎研究所・生活研究部研究員
 1989年生まれ、静岡県出身。2019年、大学院博士課程在学中にニッセイ基礎研究所に研究員として入社。専門は現代消費文化論。「オタクの消費」を主なテーマとし、10年以上、彼らの消費欲求の源泉を研究。若者(Z世代)の消費文化についても講演や各種メディアで発表を行っている。NHK「BS1スペシャル-『“Z世代”と“コロナ”』」、テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」、TBS「マツコの知らない世界」などで製作協力。本人は生粋のディズニーオタク。

(毎日新聞「経済プレミア」より)

 もちろん若さは相対的なものだから、人によって感じ方は違うとしても、私は、こうした「世代論」を語る人としては若いと思った。これまでの個人的な経験で、かなり偏った見方なのかもしれないが、「世代」が離れているほど、そして、かなり年上の「世代」が若い「世代」を論じると、どうも批判的になりすぎるように思えてきたし、それに「世代」が離れすぎていると、理解も届きにくいように感じてきたから、この廣瀬氏の「Z世代」との年齢的な距離は、有利ではないか、と思った。

 それに、これも自分が無知だから、かなり外れた見立てなのかもしれないが、民間とはいえ、こうした研究機関であれば、もちろん外側からはわからないような実績を出さないといけないプレッシャーはあるかもしれないけれど、たとえばマスメディアの中の言葉のように、「まず人目を引く」ということよりも、正確な分析が大事にされている印象がある。そうした中で、廣瀬氏が自身が若い頃から、自分よりも若い世代を研究してきた実績は、確かなのではないかと思ってしまった。

 さらには、1989年生まれ、ということは、元号がかわった年にたまたま生まれただけで、「世代」というくくりにさらされてきた経験が、もしかしたら他の「世代」よりも多かったかもしれず、そのことが、「世代論」を語るときには有利に働く可能性もあるのでは、とも感じた。

 前置きが長くなってしまったが、そうした要素で、自分としては珍しく「世代論」的なことに興味が持てた。

『あの新入社員はなぜ歓迎会に参加しないのか : Z世代を読み解く』 廣瀨 涼


 2022年4月、Twitter(ツイッター)上にある投稿がされるや否や広く拡散され、若者を中心に深い共感を得た。今からここにその内容を記すので、読者の皆さんには直観でそのツイートに対する感想を思い浮かべてもらいたい。

 新入社員の歓迎会
 新入社員全員欠席希望で課長が激怒している
 新卒よくやった🙂

(「あの新入社員はなぜ歓迎会に参加しないのか」より)

 たぶん、企業という組織にいた期間が短いせいもあって、こうして「全員欠席希望」は、健全だと思えたし、同時に、こうしてはっきり意思表示できることと、全員の意思が一致するところに、うらやましさを感じた。

 自分自身は、この激怒した「課長」の世代の方に近いし、もし、企業にずっと勤めていたら、この「課長」の気持ちの方に共感できたかもしれないけれど、このTwitterの投稿が事実だとすれば、やっと時代が変わってきた、という証かもしれず、それは、ちょっとうれしかった。

 これまで、変わらなさに、うんざりしてきたからだった。

 ただ、こうした感想が、全体から見たら、どの程度のパーセンテージになるのかは分からないものの、おそらくは、自分が新入社員の年代だった頃から比べて、かなり多くなっていたらいいな、という希望もある。

前提

 何かを議論するときに「前提」を確認することは、とても大事だと思う。当たり前だけど、それがずれたら、その議論自体の意味が薄くなってしまう。

 Z世代とは、主に欧米で議論されてきた世代論のことであり、1996年から2012年頃の間に生まれた若者のことを指す。

 ジェネレーションX(X世代)= 1965〜1980年頃の生まれ
 ジェネレーションY(Y世代)= 1981〜1995年頃の生まれ
 ジェネレーションZ(Z世代)= 1996〜2012年頃の生まれ

 もちろん、欧米の基準を絶対視して、そこに合うかどうかを重視しすぎるのは無意味だとしても、この定義だけでも、「Z世代」は、かなり広い範囲だから、「とにかく若い奴ら」といった見方は乱暴すぎることや、「ジェネレーションX」が最初であるから、そこからのつながりもある長い間の議論ということはわかる。

 そして、こうした要素を知ると、たとえば「ジェネレーションX」の世代は、日本で言えば「新人類」と言われた世代と、もしかしたら重なるかもしれないし、上の世代から見ての「わからなさ」を全面に出したような表現は共通している可能性もあるかも、と思ったりもする。

次の点を大まかに把握するうえでは、世代論は有効であると筆者は考える。

その世代は、どのような時代を歩いてきたのか。
環境・市場変化によって、どのような生活習慣を身につけているのか。

 当たり前のことかもしれないが、さらに、世代論の前提についても確認されていることに、誠実さを感じる。

① Z世代の特徴的な行動といっても、全員がやっているわけではないことの方が多い。
② 何をいつ頃消費していたかを比較して生まれる差が、その世代の普遍的な特徴である。
③ Z世代は17年にもわたる世代である。

(「あの新入社員はなぜ歓迎会に参加しないのか」より)

 こうした議論をするときに「全員がやっているわけではないことの方が多い」という言葉があるだけで、その信頼性は高まると思う。

Z世代

日本経済の停滞期しか知らない世代

(「あの新入社員はなぜ歓迎会に参加しないのか」より) 

 まず、「Z世代」は、好景気の頃を本当に知らない。それまでの世代は、経済が上がっていくのが体感としても常識だったのだから、その世代からは「停滞期しか知らない」ことに関しては、想像できにくいことを改めて確認できる。

Z世代は、日本の社会に対する「長期的な不安」と「短期的な不安」を抱えているのである。 

 その時代背景をもとにすれば、これらの「不安」についても、少し理解に近づけるように思う。

 Z世代は、教育制度や社会変動により、社会において競争することよりも、共闘や協力することの重要性をそれ以前の世代よりも認識している。その要因を、筆者は「教育制度の変化」「東日本大震災の発生と新型コロナウイルス感染症の流行」が関係していると考える。

 「教育制度」が競争を強調しない社会環境であった上に、成長過程や若いときに、大きな厄災に2度も遭遇していることは、とても大きい影響を与えているのは間違いないし、その影響は、若いほど大きくなるのも想像はつく。

Z世代は人と人とが協力する必要性を身をもって経験している。

(「あの新入社員はなぜ歓迎会に参加しないのか」より) 

 ただ、このことは、とても真っ当な感覚だと感じるし、以前よりも「シェア」という言葉を多く聞くことになった背景のようにも思える。

消費行動

 個人的な周囲の声も、マーケティングのような大きな見方も、「今の若者はモノを買わない」と言われ出してからも、思ったよりも長い時間が経っている。ただ、それも「Z世代」という17年にもわたる世代の特徴だとすれば、その傾向は、まだ続くはずだ。

 その「買わない行動」に関して、その価値観の分析により、著者は理解に近づこうとしている。

Z世代は(中略)、サブスクリプションに対して最も抵抗感が少ない世代であり、モノの「所有」ではなく「利用」を求めているといえる。

 自身の欲求を達成するうえで、それを所有するべきか否か。
 無料で済ますことができるのならば、無料の方法を選択するのか。
 そもそも、自身が消費する必要があるのか。

 モノやサービスの消費に対してこういった慎重な姿勢がある点が、それ以前の世代に「若者は消費をしない」「若者の〇〇離れ」と、捉えられる要因の1つであると筆者は考える。

 それは、経済の停滞期しか知らないのであれば、当然の姿勢でもあるのだろうけれど、「消費行動」自体の意味が変化しているのではないかという指摘にもつながっていく。

EIEEMは、Encounter(遭遇)、inspired(ときめき)、Encourage(勇気づけ)、Event(イベント)、Mimic(真似)からなる。

 こうした「購買行動」に関する専門用語を著者は再解釈し、このイベントを消費行動と捉えている。

消費行動に移るのは、一種の〝イベント〟となるわけである。

 その上で、その動機について、「ウェルビーイング」という価値観が持ち出される。

若者の社会に貢献したいという心理は「ウェルビーイング」という概念が大きく影響していると筆者は考える。   

(「あの新入社員はなぜ歓迎会に参加しないのか」より)


ウェルビーイングは、「ウェルネス」「ハッピネス」を含めた概念で、「心身ともに健康で良好な状態」を指します。

(「HR大学」より)

 

 ただ健康で不安がないだけでなく、「ウェルビーイング」とは、「よりよく生きる」といった、より高次な幸福という印象でもあり、そう考えると、経済的には停滞している中で、そうしたことを目指せるような世代が出てきたのは、それは進化の側面もあるように感じる。

 ウェルビーイングを追求するための共闘として「社会貢献につながるような消費をしたい」という意識がコロナ禍を通して強くなったのではないかと、筆者は考える。

(「あの新入社員はなぜ歓迎会に参加しないのか」より)

 だから、ただ消費行動が盛んでなくなったという単純なことではないようだ。

自己肯定感

 そして、「Z世代」の、さらに内面的なことにも、その分析は及ぶが、決して断定している、ということでもなく、時代の環境も含めての可能性の高さとして描かれているので、かえって説得力は増しているように思う。

「自身を認めてくれない人とは、深い人間関係を築くつもりはない」という自尊心と、「自己肯定感を高めたい」という欲求が強いがために、親密圏から排除されないよう、逆に仲間には過剰なほどに配慮する傾向がみられる。親密圏が狭いために、思考は個人主義的になりやすい。行動の原理が今現在の不安を解消することに偏りがちになる。

 これは、その親密圏にいない人間にとっては、距離があって、拒否もされたような思いにもなり、冷たいと感じる可能性もあるし、もちろんその「世代」のすべての人がそうでないとしても、このことに対して良し悪しを判断するのではなく、こうした場合もあると知っておいた方が、人間関係で誰かが傷つく可能性は減るように感じる。

 Z世代には、自己肯定感が極めて高い側面と自己肯定感が極めて低い側面があると筆者は考えている。「自己肯定感を高めたい」「自分も認められるべき」と考えているのに、自分の考えや意識(多様性)が他人から認めてもらえるかを過剰に心配するという、矛盾した思いを併せ持っているのがZ世代の特徴といえよう。 

(「あの新入社員はなぜ歓迎会に参加しないのか」より) 

 他にもSNSとの関係や、オタクへの意識、イミ消費やトキ消費にとどまらず、筆者が提唱する「ヒト消費」への言及も含めて、それは「Z世代」という世代論だけではなく、結局は、この30年がどんな時代で、今はどんな社会かをなるべく正確に知ろうとする姿勢で、この1冊は出来ているので、少なくとも、これからもこの社会で生きていこうとしている人であれば、最低限必要な情報がここにあると思う。

 そして、冒頭の「新入社員歓迎会に、新入社員全員が欠席」というエピソードには、その後の続きがあって、それを知るとその出来事は、それほど不思議でも変なことでもなく、かなり真っ当なことではないかという気持ちにもなる。

 筆者によれば、こうした歓迎会に、仕事時間以外のことで参加したくない、という人はこれまでの世代にもたくさんいた、ということを前提として、「Z世代」との違いを、こう述べている。

 それまでの世代は、決してそれを口に出さず、嫌々ながらも参加していた。ここがZ世代とそれ以前の世代との大きな違いなのである。

(「あの新入社員はなぜ歓迎会に参加しないのか」より) 

 
 まず、自分の意志を表明できること。「Z世代」には、若い時からそれが身についている人が多いとすれば、それは、希望につながることだとも思える。




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