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「甘えるな!」と、つい思ってしまう理由を考える。

 最初は、ご近所同士で、料理をつくりたい女性と、料理を食べたい女性の交流の中で、レシピのようなものを紹介するのがメインかも、などと思っていたドラマが、もう少し人との関係を描くドラマに変わっていった。


作りたい女と食べたい女

 きちんと見たのは、このシーズン2からで、その女性同士が好意を寄せ合っているのがお互いにわかり、付き合い始めるという展開にもなる。それは、原作を知っていれば当然の前提なのだろうけれど、最初は、そうした話の進み方をするとは思っていなかったので、少し意外だった。

 だけど、自分自身も、どこまで理解できているかは分からないし、ファンの人から見たら未熟な視点なのは自覚はしているけれど、ただ女性同士の同性カップルのストーリーという粗い括りではなく、人と人とが思い合うとはどういうことか。人間同士が仲良くなっていくのは、どんな過程を通っていくのか。そういう状況まで丁寧に描かれているように思えた。

 登場人物は、その女性二人だけではなく、同じマンションの住民で、会食恐怖症(診断されたという)のより若い女性も住んでいて、食べることを強制しないその二人と一緒なら、その食卓にも参加できるようになる。

 ずっと静かで、繊細な時間が流れていたように感じる。

 それは、主人公の女性の父親がとても暴力的で野蛮で、(とはいっても身体的な暴力があからさまに表現されるのではないし、声だけでの出演になるが)無意識の女性蔑視をベースとしている「常識」と無神経を振りかざしてくるような言葉を押し付けてくるから、その対比によって、そのドラマの柔らかい気配が強調されているせいかもしれない。

 同時に、難しいかもしれないけれど、自分自身も含めて、こうして多くの人たちが、自分だけではなく、少なくとも自分が関わる周囲の人たちに対して、自然に尊重できるようになっていけばいいな、と思っていた。

 ただ、心のどこかで、昔の自分だったら、同じドラマを見て、もしかしたら、全く違うことを考えていたのではないか、とも感じていた。

 例えば、ドラマに登場する、人と一緒に食事ができないで苦しんでいる人に対しても、暴力的な対応はしないまでも、「甘えているのではないか。もっと厳しくすれば、できるようになるのではないか」みたいなことを思っていたかもしれない。

「甘えている」という言葉

 何かができないとき、かなり頑張っても達成できないとき、そのことをついグチってしまったりすると、よく言われた。

 「甘えるな」

 それは昭和の時代のことだったけれど、そんなことを言われて、反発したくても、戦争を知っている世代から「今の子どもたちは恵まれている」といった話をされると、どこか黙らされてしまっていたと思う。

 そして、自分が成長する中でも、そんな言葉をいろいろな人から言われていたし、言葉遣い自体は「甘えてないで」とか「それは甘えじゃないかな」と柔らかくなったとしても、やはり多く使われてきた。

 自分自身も使ってしまっていたと思う。

 それでも、時代が経っていく中で、この「甘えるな」という言葉はあまり使われなくなっていくのではないか、といった気持ちもあった。それは、豊かになっていけば、社会から、例えば教育の場面などでも、やたらと暴力的に押し付けるようなことがなくなっていくような予感もしていたからだった。

「甘え」の構造

 「甘え」をテーマにした心理学者の書籍があり、それこそ、どこまで理解しているか分からないものの、読んでいくと、「甘え」というものは一般的に考えられているものと違い、人間にとって根本的に大事なものだということは少しわかるような気がしてくる。

 本書で著者は「甘えるな」というありきたりの処世訓を説いたのではなく、日本社会において人々の心性の基本にある「甘え」「甘えさせる」人間関係が潤滑油となって集団としてのまとまりが保たれ、発展が支えられてきたことを分析して見せたのです。
 しかしその後日本の社会と文化は大きく変質し、油断ならない、ぎすぎすした関係を当然とする社会風土が形成されてきました。それはすなわち、良き「甘え」が消失し、一方的な「甘やかし」や独りよがりの「甘ったれ」が目立つ世の中になったことも意味するのです。
いまこそ、本書を通じて、なぜかくも生きづらい世になってしまったのか、日本社会はどうあるべきなのかをじっくり考えてみましょう。

(「Amazon」書籍紹介より)

 これはAmazonの書籍紹介の文章だが、確かにこの通りのことだと思う。さらに、この書籍が出版されたのが1971年だから、すでに50年以上前のことになるのだけど、内容的には決して易しいものでもないはずなのに、出版当時はベストセラーにもなった。

 だから、「甘え」に対して、ただ「甘えるな」という乱暴な使い方をする人も減る可能性があったし、人間関係の中で大事な「甘え」という要素を、それこそ「甘やかし」や「甘ったれ」というゆがんだ形にならないように気を付ける人が増えてくることも考えられた。

 だけど、21世紀になっても、そんな変化はなく、「甘やかし」や「甘ったれ」という言葉はほとんど使われなくなったのに、「甘えるな」は今もよく目にするし、耳にする。

 どうして、「甘えるな」は、ずっと生き残ってしまったのだろうか。

厳しい環境

 ここからは、やや個人的な考えになるのだけど、自分ではなく、人に対して「甘えている」と思いがちな場合、その人は厳しく育てられてきたのではないか、と思うことがある。

 小さい頃から、何かにがんばった時でも、その過程に対してではなく、その結果の良し悪しに関してだけ評価されてきた人も、少なくないかもしれない。

 だから、あまり粗くまとめてしまうのも失礼だとは思うけれど、「甘えるな」と他人に対して思ってしまいがちな人は、生きていく時間の中で、十分にねぎらわれていないし、正当にほめられていないのではないか、と思ってしまう。

 そして、がんばってきて、成果を上げてきた人ほど、それができない人を見ると、自分が無理をしてもやってきた過去があるほど、「甘えるな」という思いになりがちなのではないだろうか。

 だから、「甘えるな」と強く思ってしまう人ほど、ねぎらわれなかったことや、頑張りを認めてもらえなかったことによって、かなり傷ついてしまっていたのだと思う。もしかしたら、その傷は本当の意味で治っていないから、できない人を見ると、その人が、どうがんばってもできない、という事情を抱えているかどうかまで思いが至りにくいのかもしれない。

 自分だってやってきたのに、どうしてできないんだ。それは「甘え」じゃないか。

 もし、社会がもっと優しくて、生きやすければ、過去に傷ついても、その傷は自然に治っていく可能性が高くなる。そうであれば、うまくいかない他人に対しても、自分も苦しんできた過去がある人ほど、手を差し伸べることが多くなるような気がする。

 だから、「甘えの構造」の書籍紹介の中で触れていたように、社会が油断ならない状態になってしまっていると、潤滑剤としての「甘え」が少なくなってしまうのだから、「甘えるな」と時には暴力的に思ってしまう人が増えたとしても、そのことは、その人だけの責任ではないのだろうと思う。

厳格な親

 そう考えると、私自身は、それほど、「厳しく」育てられなかっただけでも幸運なのだと思う。

 若い時はそれでも、人に対して、何も事情を知らずに「甘えている」などと思ってしまうことがあったけれど、歳を重ねるについて、それが少なくなっていったのは、やはり、どんな人にでもいろいろな事情があることを、嫌でも知っていったからだろう。

 だから、より知ることで、「甘えるな」という暴力的な思いを向けずに済むようになるかもしれない。

 同時に、「厳格な親」というのは、どこか危険な存在ではないかとも思うようになってきたのは、その厳しさで、自然な「甘え」を許さなかったことで、そこで育った子どもたちには困難を抱え込むやすいことも、時間が経つほどに、いろいろなところで目にするようになったせいもある。

 ただ、明治以来は、特に、厳格さが引き継がれている印象があるから、厳格な親の、その親も厳格だったりすると、その度を超えた厳格さも、本人だけの責任ではないのだろうと思う。

 では、どうしたらいいのだろうか。

セルフケア

 ラジオ番組で、「ケア」をテーマに様々な話をしていたことがあった。

 その時、特に男性はセルフケアが足りないのではないか、という話題も印象的だったのだけど、その中で、世界的なグループとなった「BTS」は、メンバー間でかなりケアしあったり、誕生日にプレゼントを贈りあったりしている、ということを初めて知った。

 大勢の注目を集めるということが、場合によってはどれだけの負担になるのか。24時間ずっと監視されているような状態になるかもしれない状況が、信じられないくらいの疲労感につながるのか。

 それを本当に知っているのは、同じグループに属する人たちだから、ケアし合う相手として実は最適で、そうしたことができるグループだからこそ、世界的な存在になれたかもしれない、とも思った。

 そうであれば、もし、誰かに対して「甘えてる!」と攻撃的な思いになった場合は、実は、自分が傷ついているか。もしくは疲れているサインと考え、セルフケアをする。そんな繰り返しをできるだけでもしていけば、「甘えるな!」という責めるような声や言葉が少なくなるのかもしれない。

 それはどこか甘い考えかもしれませんが、できたら、そんな社会になったらいいな、とやっぱり今でも思います。



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