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読書感想  『超空気支配社会』 辻田真佐憲  「中間と総合の重要性」

 著者の辻田氏に対して、最初は、軍歌マニア、といった捉え方をしていた。

 それは大きく外れていなかったかもしれないが、著作を重ねるごとに、そんな見方がとても浅いことに気がつき、ラジオなどでの辻田氏の、「現在の出来事」についての「発言」が、とても明快で、生意気な言い方を使えば、「とてもよく見えている人」だと思うようになった。

 それが、どうして可能なのか?
 そのことが、この著作で、少し分かったように思えた。

『超空気支配社会』  辻田真佐憲  

 空気が支配するというのは、それは「同調圧力」ということなのか。それとも、単純に教育の問題で、「自分が思うことを率直に表明する」という習慣がないと出来ないということなのか。そういう原因はいろいろと考えられるだろうし、そういう原因究明を試みる言葉は聞いた記憶もある。

 だけど、考えたら、空気に支配されるとは、どういうことなのか。
 なんとなく分かったような気がしているけれど、それが、どんな状況で見られるのか。
 まず、それを具体的に、なるべく解析度をあげて、分かることから始めないといけないと、この本を読んで、改めて思う。

 それは、今の社会から、なるべく少しでも「距離」をとれる視点を獲得して、初めて今が「超空気支配社会」だと分かるはずだ。

「SNS社会=超空気支配社会」の誕生

 それを前提として、著者は、もしかしたら今の社会を生きる人たちにとっては、常識かもしれないのだけど、それをあえて言葉にすることで、解像度を上げている。

 微妙な空気の変化を読みながら、いかにキャッチーな言動を発信して衆目を集め、動員や利益につなげていくか。われわれのSNS社会では、そんな能力がますます重要になってきている。 
 ほんの少しの差が、称賛と炎上を切り分ける。だからこそSNS社会では、どうかと思うようなインフルエンサーでも、コンサル業務などで引っ張りだこになるのである。


歴史的な視点

 例えば、森友学園問題の時、ニュース映像などで、幼稚園児が軍歌を歌う姿が、衝撃を持って受け止められ、私自身も、これは戦前の光景につながるのではないか、などと思っていた。

 ただ、辻田氏は、おそらくは、ほぼ反射的に、これは、「戦前回帰」ではないと指摘している。

 二次創作としての愛国教育は、戦後社会に見られるひとつの伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しいものにとっては見なれたものである。
 だからこそ、戦前回帰との批判には違和感を禁じえない。「軍歌を歌う幼稚園」も、終戦記念日の靖国神社も、きわめて戦後的な現象であり、戦後民主主義の土台のうえに成り立っているものだからだ。

 この「歴史的」な視点の有効性を、改めて感じたのは、すでに忘れられそうな出来事でもあるのだけど、「星野源」の動画と安倍首相のコラボについて、こうした指摘もできるからだった。

 「貴族か」。そう言いたくなる気持ちもわからなくはない。ただ、それに加えて、動画で映し出された風景を首相の日常として暗黙のうちに受け入れてはいなかったか、と反省してみることも必要ではないか。そもそもあの映像が富ヶ谷の首相私邸で撮られたという証拠はどこにもないのだ。 

 この発想は、権力者の日常もプロパガンダに用いられていた、という戦前の歴史も知っていることが、可能にしている。

 われわれは、とめどない政治的なエンタメの拡散にどのように対処すればよいだろうか。その答えのひとつは、歴史を防波堤として用いることだ。(中略)いわば、ワクチンとして、既存の政治的エンタメを利用するのである。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。愛国や政権批判がエンタメ界を席巻せんとする今だからこそ、あらためてこの格言を思い出したい。

「歴史」を身につけること

 このスタンスや、指摘の仕方が、誰かに似ていると思えたが、個人的には、2人思い浮かんだ。

 一人は呉智英
 「封建主義者」と自らを位置づけ、それによって、現在の民主主義の「外」からの視点を確保することで、現状だけにまみれない発想を生んでいると思う。

 もう一人は、橋本治。江戸時代の歌舞伎に関することや、さらに昔の「源氏物語」や、「平家物語」も、その時代に降り立つように書き続けたことで、「歴史的な感覚」も身につけ、現代への解像度圧倒的に高くなっているように思える。

 この二人と、辻田氏の共通点は、繰り返しになるが、歴史を知っている、を超えて、「歴史を身につけている」ことだと思う。

 今も、辻田氏は、「プロパガンダの遺跡」といえるところも、実際に見て回り続けているし、それが楽しそうに見えることが、ますます「歴史」と自分との距離を近づけているように感じる。

「健全な中間」

 個人的なことだけど、私は自分でツイッターの投稿はしないけれど、情報を集めるために、いろいろな人のツイッターをブックマークして、少し距離感を持って見ているように思う。

 そんな「情報弱者」である自分にも、毎日のように激しい論戦が続いているのは、分かる。それは、ツイッターは人間の攻撃性を最大限に引き出すツールではないかとも思うけれど、この中で論戦している人は、充実感に満ちているようにも、、少なくとも忙しそうで、寂しさを感じないですんでいるようにも思える。

 ただ、今でも思想を「左右」で分けることが有効かどうかを検討するより前に、「左右」に分かれることを強制されているようで、その戦いが永遠に続くようにも見える。

 辻田氏は、こう指摘する。

 今日、われわれが本当に区別しなければならないのは、思想の左右ではなく、クオリティーの高低である。そしてそれは、ネット右翼やネット左翼の不毛な議論を切り離した場所で追求されなければならない。 
 短絡的な左右対立のゲームから距離をとり、試行錯誤しながら、自分にとっての「健全な中間」を絶えず探っていくしかあるまい。本来そのような試みを助けることこそ、論壇の役割だったはずだ。もしこのような地道な努力を欠くならば、たとえ政権が変わっても、新しい“リトマス試験紙”が発見され、不毛な議論が再燃するだけだろう。

「中間」と「総合」

 著者・辻田真佐憲氏は、「健全な中間」と同時に、「総合知」を目指すと宣言し、そのための試みを続けているようだ。

 今日本当に必要なのは、専門原理主義とデタラメの中間、つまり総合知を模索することではないか。そしてそれこそ、評論家本来の領分なのである。(中略)筆者は論壇に総合と中間を取り戻したいと切に願っている。


 2010年代末から、2020年代、という、未来から見たら、歴史の転換点かもしれない時間の中に生きていて、現在起こっている様々な出来事の意味合いを、少し落ち着いて考えた方がいいのではないか。

 そんな風に、一度でも思った方には、どんな人にでも、お勧めしたい、と思っています。



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