「謎のボールペン」が怖くて、捨ててしまったことについて。
ボールペンなど筆記具を立てるものを、筆立てと言ってしまうけれど、でも、そこには筆ペンはあっても筆はないから、ペンスタンドといった方が正確だと思う。
そこにいろいろなボールペンやサインペンやシャープペンシル、ハサミやホッチキスまでが入っている。なんでも、書けそうなものとか、使えそうなものを、まずは入れておくような癖はついているようだから、気がついたら、そのペンスタンドは、ぱんぱんになっている。
そして、そこに何が入っているのか、正確にはわからなくなっている。
謎のボールペン
今でも、どこかのイベントに行ったり、展覧会的なものへ出かけたり、場合によってはアンケートに答えたりすると、ボールペンをもらえる。それは、やっぱり何本あってもありがたいから、持って帰ってきて、ペンスタンドにさす。
部屋の中にペンスタンドが3つあるから、それぞれがそこそこいっぱいになっている。
時々、そのペンスタンドを何かの拍子にひっくり返してしまい、全部をまた入れ直すことがある。
そのときにそこにあるボールペンを見直すことになり、そこに、全く見覚えのないボールペンを発見した。
細身で、濃い紺色をして、ノックして芯が出て、引っ込ませるときは、もう一度ノックしてもダメで、クリップの部分を押すと、芯が引っ込む。
書くと、書ける。
だけど、どこかのイベントなどでもらったものであれば、大体、何かしらの名前やキャッチフレーズなどがあるから、どこで配布されたのかは思い出す。
そうしたヒントが全くなかった。何も表示がない。
ふくらむ疑惑
妻に聞いた。
まったく知らないし、これまで見たことがないし、もちろん使ったこともない、という。
私も一緒だった。
どうして、ここにあるのだろう。
最近、ドラマや、実際の事件などでも、盗聴器などのことが話題になって、そして、その人の生活の中に潜ませて、気がついたら、盗聴や盗撮がされている。といったことは、気がつかないうちに自分の中でも知識として蓄えられていたよう。
こういう、どこからきたのかわからない、もしくは覚えていないものがあるときに、つい、怪しい機械かもしれない、と思ってしまうようになっていた。
そういえば、最近、ラジオの電波がちょっと乱れたり、テレビが急にMXテレビが映らなくなったり、といった記憶や印象が断片的に浮かんで、そうなると、もう怖くなった。
そのボールペンは、どこにもネジがなくて、外側からはどこもはずれない。使い切りのボールペンのようだけど、中身がわからない。
何も文字がないから、どこでもらってきたのかも覚えていない。人からボールペンを頂いたのは、最近は全く記憶がない。
このボールペンは、どこから来たのだろう。
そんなことを考えてしまうようになると、自分たちがターゲットになることがあるわけはないのに、最近の、あまり選別しないような強盗事件などもあるので、それも含めて、なんだか、怖さが増していって、だから、もしかしたら、どこかで頂いたものだったら申し訳ないのだけど、何も文字がないからわからないし--と、このボールペンをどうするのかについて、しばらく迷った。
ただ、もし、妙な機械だとしたら、という怖さが大きくなってきたので、やはり、まだ書けるボールペンだし、誰かに頂いたものだったら、という罪悪感のようなものもあったが、妻と話し合って、捨てることにした。
もし、これが10年以上前だったら、妙な機械、といったことを考えなかったと思うけれど、今は盗撮や盗聴へのコストがかなり下がっていることを知っていて、そういう知識のおかげで、自分で勝手にふくらませた恐怖や不安に負けた。
何をやっているのだろうと思うが、でも、かといって、捨てなかったら、ずっとそのボールペンのことが気になり続けたと思う。
そして、この選択が正解かどうかも、わからないままのはずだ。
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