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「社会人」と「会社員」は、同じではないはずなのに。

 学生の時に使っていた「社会人」という表現は、多くの場合は、「会社員」を意味していたと思う。

 それも、景気がいい頃は、「会社員」=「正社員」だったから、どうやら「社会人」=「正社員」のイメージだった。

 だけど、ずっと違和感があった。

「会社員」≠「社会人」

 「会社員」は、会社に関してはプロフェッショナルかもしれないけれど、さらに広い社会に対しての意識がある人なんて、どのくらいいるのだろう。「会社員だけど、社会人としては失格」なんていうことは、ザラにあるのではないか、と思っていた。

 だから、もっと社会が進歩したら、「会社員」と「社会人」はイコールで使われなくなると考えていたのだけど、実際は、あれからかなりの年数が経ったのに、どうやら、あまり変わっていないことを、こうしたブログでも教えてくれる。

(「社会人=会社員?」 違和感の正体を突き止めろ)
 http://it-information-engineering.com/syakaijin

 私のイメージでは、このブログの中にあるように、人間社会に生まれた以上は、死ぬまで、ずっと「社会人」だと思っていた。

 でも、そんなことは、今でも「常識」にはなっていないようだ。

フリーター

 この30年で、非正規で働く人が増えた。

 平成の約30年の間に、雇用者に占める非正規雇用者の割合は約2倍へ大きく増加していることが分かります。平成元年の非正規割合は約20%でしたが、平成31年には約40%と、雇用者の5人に2人が非正規雇用者となっています。

 

 会社に所属して働いているのならば、「正」や「非」という文字を使うのではなく、全員を「社員」と表現した方が健全だと思うけれど、少なくとも、フリーターという言葉が一般的になるくらい多くなったとするならば、アルバイトも社会で働いているのだから、自然に「社会人」と言われるのだと、つい最近まで思っていた。

 就活における社会人経験とは一般的な意味とは少し違います。社会人経験とは正社員経験をしたと考えている企業が多いのです。
 そのため、フリーターは社会人経験をしたとはみなされず、職歴がない空白期間になるケースが多くあります。

 新卒一括採用である限り、卒業年度という偶然の巡り合わせと、社会構造という避けようのない状況で、希望したとしても「正社員」ではなく、「フリーター」を選ばざるを得なかった人も少なくないかもしれないから、とても理不尽なことに思える。

就活にまつわる出来事

 そんな状況であるから、「就活」にまつわる、こんな出来事まであった、という。

 二〇一二年一月、ある男女共同参画センターで女性の貧困や労働をテーマとした集会があった。(中略)そこで呼ばれていた某新聞社の記者が、最近の就職活動も大学生の鬼気迫る様子をどこか異様だ、といったニュアンスで話をした。それは決して、大学生を皮肉るつもりはなかったと思う。むしろ心配し、気遣うような雰囲気もあった。だが、そこでの質疑応答に、ある二〇代とおぼしき女性がこう話し出した。
「ものすごい、ショックです。私たちは、就活を必死にしなければ仕事を得られないし、そこで仕事が得られなければアルバイトしかない。それじゃあ、生きていけない。その就職しようとしている必死な様子を、異常と言われるなんでショックです。しかもそこの会社に入りたいと思って頑張っている学生たちに、その会社の人が、そんな感想を持つなんて‥…とにかくショックです」 

高すぎる同質性

 企業側の、誰が、「フリーターは社会人ではない」といった考えをしているのかは、よく分からないし、おそらくは、そんな「空気」があるだけかもしれないが、こんな話題を思い出す。

 経団連といえば経済界の司令塔であり、正副会長は会社でいえば取締役に相当する存在だ。5月末に就任した中西宏明会長(日立製作所会長)と、それを支える18人の副会長の経歴を調べることで、日本経済を引っ張るパワーエリートの横顔を浮き彫りにしたい。

 これは2018年の記事だが、「パワーエリート」たちは、全員、日本人男性。60歳以上。大卒という「同質性」がある。

 同質性を補強するような材料を見つけた。19人の正副会長全員のだれ一人として転職経験がないのだ。別の言い方をすれば、全員が大学を出て今の会社の門をたたき、細かくみれば曲折があったにせよ、ほぼ順調に出世の階段を上ってきた人物であるということだ。

 とても分かりやす過ぎる見方になってしまうが、「トップ」がこうであれば、「正社員以外は、社会人にあらず」と、かつての平家のような発想になっても、当事者たちにとっては何の悪気もなく、無邪気で自然なことかもしれない。

 同質性が高過ぎる集団は、異質を嫌う。(おそらくは、ほぼ無意識で)。

 ただ、同質性が高い集団は、時代が変わっても成長を続けることは難しい。それは、確か、いろいろな面から証明されているはずだと、記憶している。

「転職」という言葉

 さらに、ずっと違和感が抜けないのは「転職」という言葉について、だった。

 一般的に「転職」といわれる多くの行為は「転社」なのに、という思いだった。

 違う職業になるのならば、「転職」だけど、違う会社に移るだけで、しかも同じ職種だったら、(営業とか、経理とか)、本当に「転社」だと思っていたが、それは、今も一般的な感覚ではないようだ。

(私自身は、ドメスティックな感覚しかないけれど、この記事↑には賛同したいです)。

社会人のあり方

 フリーターが社会人としては扱われないこともある、と知り、モヤモヤするのは、こんなことがあるせいだ。

 例えば、駅という公共の場所。
 スーツを着て、「会社員」という格好をしていても、電車の入り口付近にいるのに、駅に着いても、なぜか意地になって降りないで、人の流れをせきとめている人。
 人にぶつかっても、何もいわずに不機嫌そうに見るだけの「会社員」風の男性。
 
 考えたら、自分自身も、いつも「社会人」として、ちゃんとしているかどうかわからないから、そんな風に一方的に責めるように指摘することもできないけれど、知らない人に囲まれている場所(そこそが「社会」のはずだけど)で、ごく普通に振る舞うことができない人は、多く見てきた。

「社会」の中で、困っている人を、自分ができる範囲で自然に助けられる人。もしくは、雑踏で人にあたってしまったら、謝れる。相手に道を譲れる。そんなことができる「真っ当な社会人」かどうかの方が、「正社員」かどうかよりも、先に問われるようになった方が、いいのではないか。

「包摂の論理」

 人間界に生まれた以上、本当に誰とも関わりがないように生きている場合を除けば、全員が「人間社会に生きている人」としての「社会人」であるのだから、それを前提として、「社会人としての学生」もしくは「社会人としての会社員」や「社会人としてのフリーター」とした方が、話はシンプルだと思う。

 自分もそうだけど、自分以外の他人も、みんな「社会人」と思った方が、「フリーターは社会人とはいわない」というような「排除の論理」よりも、ずっとまともな「包摂の論理」だと思うのだけど、どうだろうか。

 そして、それぞれが「社会人」として、どれだけ「真っ当な社会人」になるか、を自分ができる範囲で目指せばいい。(自分自身も、他人事ではなく)。

 これには、具体的に有用な効果もあるはずで、「会社員」になっても、真っ当な「社会人」を目指す自覚を持ち続けていれば、自然と、近所の人との関係性にも気を配れるはずだし、「定年」を迎え、「会社員」ではなくなっても、同じように「社会人」ではあるから、自分の同一性を保ちやすく、心身の調子が急に崩れる、といったことも防ぎやすいように思える。


 机上の空論のようにも、きれいごとにも聞こえるかもしれないけれど、「多様性」と言うのであれば、そういう「全体性」についても、改めて考えて、定義し直したほうがいいのではないか、とも思っている。



(なお、お恥ずかしい話ですが、今回、この記事を書いて、自分自身も「社会人」の使い方が変な時があると改めて思ったので、自分のプロフィールの「社会人」という言葉を「大人」にかえました)。




(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。



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