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ソフトボール大会での「割り切れない気持ち」。

 小学生の頃、ソフトボール大会があった。
 たぶん、夏休みの頃だ。

 それは、学校対抗ではなく、住んでいる地域によってチームを組んで、練習をして、大会を戦うというシステムだった。だから、同じ学校でも、いくつもチームができた。

 私は運動神経も悪く、フライも満足に取れず、どちらかといえばボールが怖いくらいだった。だけど、1学年1クラスしかないような小学校だったし、地域に住んでいる小学校6年生は、そんなにいなかったから、小学校低学年よりは戦力になる、ということもあったので、練習に出ることになり、グランドでボールを追っかけたりしていた。

 運動が苦手な人間には、苦痛だったけれど、小学校の最高学年だから、少しでもなんとかしないといけないらしい、ということをどこかで思っていた。

 ところが、練習が進むと、時々、それまで全く知らない中学生がやってきた。小柄で肥満児で運動神経が悪い私が、どれだけ練習しようが、全く追いつけないのは分かっていたけれど、それでも試合になれば、ソフトボールだから9人必要だし、地域の大会だから、何試合もあって、みんなが必要なんだ、といった空気はあったから、練習を続けていた。

「中学生」も出場するのは分かったけれど、「小学生」も出られる大会のようだった。

 私自身は、外野には足も遅いし、本当にそのポジションをしている人には、失礼なのだけど、君はセカンドで頑張って、みたいなことを言われていたと思う。

大会当日

 毎日、30分歩いて、小学校に通っていた。
 大会は、もっと遠くのグランドで行われるから、もしかしたら、父兄のクルマに同乗して向かったのかもしれないし、その頃は、自転車で、どこにでも行っていたから、自転車のカゴに道具を積んで、集合した可能性もある。

 その辺りは、すでに記憶がはっきりしないが、それまでの小学校のグランドとは違い、もっと広く、何面も野球のグラウンドが取れるような場所で、初めて行く会場だった。

 現場に着くと、それまで、ほぼ見たことがない「お兄さん」や「お姉さん」も、さらに何人もいた。練習の時にも数名いたが、大会当日には、もっと大勢がいた。

 大会の規定などは、詳しくは知らなかったし、その説明が丁寧にされた記憶もなかったが、中学生も出場できるようで、その人たちは、とても大きく立派で、練習での動きもキビキビしていて、とてもかなうわけもない。

ふくらむ不安

 すでに、自分とは関係ない空気が強くなっていた。

 どうやら、このソフトボール大会では、自分が住んでいる地域は、このあたりでは強豪らしく、優勝を狙うようなチームだったらしいが、そんなことも知らなかった。

 そういうことに関心がない自分もどうかしているのだろうけど、能力の低い小学生は、すでに、そのときは、チームの首脳部の視界にも入っていなかったと思う。

 だけど、何試合もあるし、自分が下手なのは分かっていたけれど、練習はしてきたから、少しでもいいから試合には出たいと思っていた。ここに来るまで、全く出場機会がない、といったことは言われていなかったから、そう考えても仕方がなかったと思う。

 ここで頑張りなさい。
 そんな風に言われていたセカンドのポジションには、中学生の「お姉さん」がいた。転がってくるボールも軽快にさばいていたし、打席でも堂々としていた。他の、「お兄さん」の中学生は、バットを鋭く振って、とても遠くまで飛ばし、得点を重ねていた。

 どのゲームも楽勝なわけではないから、私のような小学6年生が出られる可能性は低いのは分かっていた。自分が大したことができないのは知っていたけれど、それでも試合に出られるかも、と思うから、ここに来た。

 ただ、何試合か進むうちに、自分には出場機会がないのではないか、と思う気持ちが強くなった。それは、自然な気持ちの移り変わりだと考えられるが、不安になった。誰かが私のことを見ている瞬間すらなかったと思う。

知らなかったルール

 他のチームを見ていても、どうやら「中学生」が主力のようで、そこに何人かは「小学生」を入れなくてはいけない、というルールのようだった。

 私以外には、チーム内にいる小学6年生は、確か、もう一人だけで、同じクラスの彼は、ピッチャーをしていた。それだけ能力が高かったのだと思う。

 ぼんやりと、ただ試合を見ていた。

 それでも、せっかく来たのだから、試合に出たい。他に、全く出場していない人間はいなかったはずだ。

 それで、首脳部の一人と思われる大人に聞いた。

 自分は、出られるのだろうか。

 みんなが試合に集中していたし、話しかけられて、初めて、こんな小学6年生が、ここにいたことに気づいたような感じだった。

「あー、そうだね。この大会の決まりでね。
 交代するときは、同じ学年じゃなきゃダメなんだよ」。

 そして、視線をグランドに向ける。

「君と同じ小学校6年生は、〇〇君だよね。
 君は、ピッチャーできるのかな」。

 ピッチャーの練習もしていないし、そんな能力もないし、明らかにできるわけがない前提で、話をしているのは分かった。私は、できるならセカンドと言われていた。

 そして、そんなルールは初めて聞いた。

 私は、でも、ただ、黙って、引き下がるしかなく、そのあとも、座って、見ていた。もうグローブは、持っていなかったかもしれない。
 
 チームは、予選は勝ち上がったけれど、決勝トーナメントのような戦いでは、明らかに力が上のチームと戦い、負けた。たぶん、それまでの試合と比べると、嘘のような点差がついてしまった。

 私は、ただ、座っていた。
 雑用を多くさせられたり、球拾いだけを義務付けられたりすることはなかったので、まだよかったと思うけれど、このチームで一人だけ試合に出られないような立場なのを知っていたら、来なかった、とは思った。 

 試合前のアップは参加したかもしれないけれど、他は、ただ座っていた。ほぼ黙っていた。
 他のメンバーは試合に出て、目の前の、ソフトボールの話しかしていなかったのだから、元々、無口な方だったけれど、さらに話すことができなかった。

 そうやって、一日が過ぎた。

ずるい対応

 もう少し後で、考えたけれど、そのときの、「交代は同じ学年」というルールは、ウソとは言わないけれど、言っていなかった部分があったと思うようになった。

 交代するなら、同じ学年。

 スポーツの試合の原則から言えば、そして、小中学生であれば、1学年違えば、力が違うのは明らかだ。だから、交代するときに、今いるプレーヤーよりも、学年が上の人間が出てきてしまったら、それだけで戦力がアップしてしまい、フェアでなくなる。

 だけど、おそらくは逆は大丈夫だったはずだ。

 つまり、交代するなら、同じ学年。ただし、グランドのプレーヤーよりも、下の学年ならばOK。…この後半部分が言われてなかったと思うようになった。

 このルールについて確認もしていないから、違うかもしれないけれど、その時、グランドにいた「中学生」のプレーヤーとだったら、私は交代できたはずだけれど、試合のことを考えたら、下手な小学6年生は必要なかったのは理解もできる。

 練習には、そこそこ出ていたから、それで連れて行ったのだろうけど、もしかしたら、首脳陣には、そんな意識もなく、試合前の最後の練習後も、試合に出ることを前提として全員に向けてメッセージを送り、集合時間を言っていただけかもしれない。

 だけど、私だけが、本当は関係なかったはずだ。

 試合の前に「君に試合に出るチャンスはない」と言われたら、試合に行くのが義務でなかったはずだし、実際に、その日は、私がいる意味は全くなかったから、行ってなかった。そして、自分がしたいことができたはずだ。

 そんな風に考えたりするから、一部の大人からは嫌われがちだったし、何よりも、次のソフトボールの大会に関わる前に、父親の転勤によって、自動的に転校になったから、本当かどうかは確かめてはいない。

現在への影響

 ただ、この時の悔しさを、今も覚えているのが意外だった。

 だまされたようなモヤモヤするような気持ちになるのは、長く嫌な気持ちが残る。だから、自分自身も、誰かに向けて、出来るだけ、ごまかすような対応をしたくないと思っている。

 その思いが意外と強いのは、この時のソフトボールの記憶が、実は関係あるのかもしれない、と今回、書いてみて、改めて気がついた。




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