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「YouTubeがなかった時代」の「ユーチューバー」のような人
本を買って、読んで、そのまま捨てることもできず、あちこちに置いてあったのだけど、それを妻が整理してくれ、ダンボールの箱に並べてくれている。その一番隅っこに立っている本があった。
『東京住所不定』。
それは、20年以上前に読んだはずだけど、その裏表紙に著者の写真が載っていて、それを見ただけで、その内容まで思い出した。
三代目魚武濵田成夫
その書籍は、「三代目魚武濵田成夫」という著者が、1ヶ月ごとに東京のあちこちに引っ越して、それも13ヶ所住み続けるという記録だった。
今になってみれば、この名前は、実家の寿司屋の3代目ということでつけているらしいし、そして、この著者のずっと叫ぶように主張していたことが、自分をほめたたえる作品しか作らない、ということで、基本は詩人でありながら、文章も書くし、繁華街のようなキラキラした衣装も自作したりする人物だった。
それで、確か、たちまちいわゆる有名人になって、当時の若手女優と結婚もして、さらに話題になった。
その引越しの企画は、当時の情報誌「ぴあ」という雑誌に連載もされていて、それは、誰かが思いつきそうで、なかなかできないことだったし、それは、人によっては、とても地味な話になってしまいそうだったのだけど、当時は、とても華やかな出来事のように思えて、変な出来事もよく起こるような人に思えて、どこかうらやましく感じていた。
著者は、生まれ育ったのが兵庫県西宮で、そこから、東京にきて、住み続けたのは1993年から1994年のことだった。
1980年代の後半は、日本はのちにバブル経済とも言われるような好景気でもあったのだけど、1990年代に入る前には、バブル崩壊となった。ただ、ジュリアナ東京は1991年で、さらには、Jリーグが始まったのが1993年でまだバブルの余韻があったのだが、1995年には阪神大震災、オウム真理教事件もあって、だから、あとになってみたら、三代目魚武濵田成夫が、東京に住んで、引っ越して、を繰り返したのは、完全に時代の空気が変わる前の微妙な頃だった。
13回の引越し
住人を追い出し、部屋に絵を描き、ママチャリでディズニーランドへひた走り、公園で女にナンパされ、ディスコにもゲーセンにも自由に住みまくる。理由などない。今回の作品のテーマが「引っ越し」だったから。それだけだ。
この言葉が、単行本の扉に書いてある。本のカバーを取ると、その表紙には、おそらくその時の住居のカギの写真が並んでいて、それもなんだかよかった。
1回目の引っ越し 1993.4.16-5.18.
最初の街は吉祥寺。だけど、ただ住んで、初日の朝。背中が痛い
なんでかシーツに木が入っていた。
特に狙いがあったわけでもなく、それほど大きい出来事でもないのだけど、読者としてもなんだか面白く感じてしまっていた。
「濵田さん、やっぱり敷金、礼金、家賃を出すのは無理そうです。その代わり俺達社員がいくらでも家を出て行きます。そこに住んで下さい。だからやっていただけませんか!」
雑誌「ぴあ」の連載で、その社員の言葉。今考えたら、とてもできそうもない、まるで大学生のような方法。
そして、ただ住んで、コンタクトレンズを洗っているときに、小さな事件が起きる。
一角獣
なぜかハシがおでこに刺さる。それを一角獣と表現し、大騒ぎもするけれど、本人も笑っているのが伝わってくるし、無言電話がかかってくるだけで、うれしいと書く。そして、一ヶ月が過ぎる。
俺は次の街に行くぜ。
自分で決めた事だからな。
そやからさらば吉祥寺。
次の街へ行くど。
ただ勢いだけがある。
2回目の引っ越し 1993.5.18~6.21.
次は、豊島区要町。
きのう吉祥寺から引っ越してきたばかりだから、俺にこの町の事はまだ何もわからない。
だから道を歩いていて、外国の人に声をかけられ郵便局を聞かれたってわからないし、教えてあげられない。
だがこの町に住んではいるので、このへんの人ではある。
ねえ外人さん、五日後にもう一度声をかけておくれよ。そん時には、きっと郵便局の場所ぐらい教えてあげられると思うぜ!
五日後にまた逢おう!
これは、ただ、道を聞かれただけのことだ。そして、ママチャリを買って「アイリーン」と名前をつける。さらに詩人でもあるから、詩も書く。
半ズボンをはいたガキが
一人であみ持って
真剣な眼つきで
ハチを獲ろうとしてやがる
おい 半ズボンのガキ
オマエがそうやっているだけで
俺には要町が
死ぬほどかっこいい町に見える
3回目は、北青山へ行く。ある会社の事務所の地下一階に住むことになった。
3回目の引越し1993.6.21-7.27.
それでオマエは何してるかって?寝てるんだよ。俺は寝てる。昼すぎぐらいまでは眠ってる。そんな事してて平気なのかって?ああ平気だ。ここの社長は心が広いのよ。それは東京ドームの約七・五倍ぐらいにな。尼ヶ崎モータープールの九・三倍ぐらいにな。だってここの社長とは、ここに住むまでは、一回しか会った事ないんだぜ。一回しか会った事ない俺を、住ませてくれてるんだぜ。住んでいいって言われた時は、俺の方がほんとにいいのかなって、心配になっちまったぐらいだ。
「YouTubeがなかった時代」の「ユーチューバー」
ここから、さらに引越しを繰り返し、13回住居をかえる。
ディズニーランドへ行こうとして夜中に自転車を走らせて、警察官に呼び止められたりもするが、基本的には平和な日々が流れ、でも、すごく楽しそうだった。たとえば、世田谷区大蔵に住んでいるときは、公園で昼寝をして起きたら若い女性に声をかけられる。
「あたし普通なら絶対そんなことできない。でも本読んでたらねごとが聞こえてきて…」
「えっ?ねごと?」
「うん。行くぞー!って」
「うん行ってた。とても大きな声で」
「俺どんな夢みてたんや?」
「わかんない。でもなんかとても楽しそうだった」
浅草吉原 千束。
みんな元気か?
自由か?
うれしさを大切にしてるか?
この町はかっこいい。外から口笛が聞こえてくる様な町なんだ。口笛吹くような奴等が住んでる町なんだ。俺も今日は地下鉄日比谷線入谷駅まで歩いて行く途中ずーっと口笛吹いてた。
そして、最後の13回目の引越しで、東京ヒルトンホテルに住んだ。
不良でもかまわん
カッコエエ人間になれ
マジメでもかまわん
カッコエエ人間になれ
天才でもかまわん
カッコエエ人間になれ
ケンカ強くてもかまわん
カッコエエ人間になれ
ケンカ弱くてもかまわん
カッコエエ人間になれ
自分で自分をカッコエエと
思える人間になれ
自分のカッコよさを表現できる人間になれ
表現しまくれ
カッコよさのために戦え
オマエにしかないカッコよさを発明しろ
オリジナルなカッコ良さをあみだせ
これは、東京ヒルトンホテルに住んでいるときに記した詩の最後の部分だけど、この本を20年ぶりくらいに読んで、まるで「ユーチューバー」のようだと思った。
1993年はJリーグが始まった年だから、まだ社会に明るさが残っている最後の頃で、それがあるから、ただ東京に住み続けるだけで楽しかったのかもしれないけれど、この13回の引越し。その街で起こっている日常の出来事。それを、(時代的に不可能としても、もしも)この著者が動画で記録し、YouTubeにあげていけば、なんだか楽しそうだったし、もしかしたらそれなりに再生数も稼げるのではないかと思った。
その後の「三代目魚武濵田茂夫」が何をしているのかを、自分が情報に弱いせいもあって、ほとんど知らなかった。
日本住所不定
その後のことを知ったのは、だいぶあとだった。
「東京住所不定」をおこなったからには、「日本住所不定」になっていくのはある意味では自然なことだったけれど、この引越しは、やはり『ぴあ』で2001年から2005年まで連載として記録されていたようだ。
福岡、桐生、鹿児島、新宿歌舞伎町、松山、山口、徳島、広島----。
一ヶ所に住んで次に移る、というだけではなく、一回住んだ場所に、また戻ったりと、「住所不定」感は増しているように感じた。
俺の詩球式
この世は何かと聞かれたら、この世は俺。と俺は答える。
あの世は何かと聞かれたら、あの世も俺。と俺は答える。
〝俺〟とは何かと聞かれたら、俺こそが〝俺〟やと俺は答える。
俺こそが俺で俺以外は俺じゃねえ。
俺こそが俺で俺以外は俺じゃねえ。
俺こそが俺。俺こそが俺。俺こそが俺。
世界中のガキども元気か!
今は二〇〇一年の九月二日。
俺は今、超満員のスタオ度が、埋め尽くされた、福岡ドームのピッチャーマウンドにいる。
さっき場内アナウンスでな、「本日の始球式は、詩人の三代目魚武濵田茂夫さんです!」と紹介されたとこや。
日本のあちこちに住んで、こうして始球式に登場したり、その土地で知り合った人たちと一緒にバリカンを使ってみんなで坊主にしたり、ローリングストーンズの日本公演の全日程を観たり、旅館の壁に「俺」だけを大きく描き続けたりもしている。
さらに、ホテルの部屋で「俺」という文字を描き続ける。それは詩集のためだった。
全606ページ「俺」という字しか書いてない詩集を出す。
値段は1万円。ハードカバーのケースのカバーには2ミリの鉄板が入っている。
世界広しと言えど、こんな本出せるん、この俺だけや。
確かにそうだと思った。そして、この詩集で、おそらく最も価値があるのは、そうして「俺」を描き続けている過程だろう。
それに「東京住所不定」の時と違うのは、ただ住んで生きているだけで面白かったのに、「日本住所不定」では、始球式や、詩集の出版や、坊主にしたり、旅館の壁に「俺」を描いたりと、何かをしないと勢いが出ないように思えたことだった。
それは、当然のことだけど、濱田自身が、30代になったばかりの時が「東京住所不定」だったのだけど、「日本住所不定」のときは、40代になった頃だったから、これだけ元の勢いがある人であっても、どうしてもエネルギーは減ってしまう、ということなのだろう。
1990年代から、2000年代への変化
まだバブルの余韻が残っていた1990年代の前半と違って、2000年代に入った頃は世界も混沌としてきただけでなく、特に日本は下降線をたどる一方だったから、そうした時代の影響を受けないはずもない。
この書籍も、出版されたのは2008年。しかも、失礼ながら知らない出版社だった。この本を読むと「ぴあ」の時の担当編集者が、「日本住所不定」を出すためもあって独立してつくった出版社のようだった。それはそれですごい話ではある。
だけど、「東京住所不定」は、「ぴあ」で連載して「ぴあ出版」で出されていたのだけど、「ぴあ」自体がインターネットの普及により、勢いを失っていったのが2000年代だったから、出版することができなかったのではないか、と2020年代の読者は思ってしまう。
だから、「東京住所不定」と「日本住所不定」を書籍として残すことによって、著者も出版した側も、そこまでは意識していないとしても、あれだけエネルギーが爆発するように満ちているように見えた人間でも、歳をとれば、その勢いは下がっていくし、同時に、とても景気が良くて明るく見えた国でも、いったん経済が下降し続けると、沈滞するムードに隅々まで覆われていく過程も、記録されているように思えた。
ただ、「東京住所不定」も「日本住所不定」の時も、三代目魚武濱田茂夫が行なっていたことは、やはり動画に残して、YouTubeにあげてもらえていたら、と思ってしまうが、日本でYouTubeが始まったのが、iPhoneの発売と同じ2007年だから間に合わないし、もし、少し時代があとだとしても、濱田本人は、コンピュータにもインターネットにも興味はないことを著書にも記しているから、どちらにしてもユーチューバーにはならなかったかもしれない。
そんなあり得ない仮説をするのは、濱田茂夫に対しても失礼なことかもしれないが、同時に、少し昔の人で、「YouTubeがなかった時代」に「ユーチューバー」のような人は、思った以上に多かったかもしれない、と思うと、動画を広く流通させる手段が出来たことは、想像以上に表現の質を変えているのだろうと、あまり詳しくない人間でも改めて思った。
おくのほそ道
この詩集↑は、濱田が東京に住み続けていた頃に出版されたのだけど、それから、30年が経って、三代目魚武濱田茂夫は、2023年には六十歳になったはずだ。
還暦というのは、おそらくは本人よりも周囲の、それもより若い人が、強く意識するのかもしれない、と思うことがある。
こうして、ブログは存在しているので、当然ながら現在も活動を続けているのはわかるが、本人の姿を久しぶりに見たのは、映画の予告編の動画で、だった。
それは、50代後半になってもパンクロックをやめない男のドキュメンタリー『RIGHTS! パンクに愛された男』なのだが、その主人公であるカズキについて、やはり六十歳を目前にした濱田茂夫が話をしている。
ある程度歳を重ねると、つい、ちゃんとしてしまう。だから、ちゃんとしていないようにするのは大変。----だから、このパンクロックをやめないカズキはすごい、といったことにつながっていくようなのだけど、その言葉は、濱田自身にも向けられているように感じた。
動画の中で話す濱田の格好は、何十年前と変わらずに派手だったのだけど、その目つきは、昔の自身の書籍に載っていた写真のように見開いた目ではなく、ごく普通に穏やかで、年齢を重ねて落ち着いてきたものに見えた。
だから、濱田自身も、気を抜いたら「ちゃんとしてしまう」のだろう。それに対して、若い頃の濱田の著書を読んだ読者としては、色々と思うことはある。
その一つがこんなことだ。
2008年の「日本住所不定」には、First Seasonというサブタイトルがある。だから、とても勝手な読者の思いとしては、ずっと詩人であり続けた濱田が、六十歳を超えて、また「日本住所不定」Second Seasonを行うのであれば、もしかしたら、江戸時代の俳人・松尾芭蕉の「おくのほそ道」のような作品に近づくのではないか。
その際は、同時に、その過程も、今度はYouTubeにあげてほしい、と思うのは、観客としての、わがままが過ぎるのだろうか。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、
うれしいです)。
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記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。