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「世界征服」という言葉は、どうしてあんなに多用されていたのだろう?

   仮面ライダー、という実写のヒーローもののストーリーでは、大事な存在が、敵としての「ショッカー」だった。

「ショッカー」の目的

 それは、悪の団体であり、人間を改造して、超人的な能力を持つ改造人間として「生産」し、そのことによって「世界征服」を企む、という目的を持っていたはずだった。

 自分たちのテクノロジーに対して、絶対的な自信を持っていたということだろう。

 そして、「ショッカー」だけではなく、その頃の実写やアニメに登場する巨大な悪の組織は、かなりの割合で「世界征服」を連発していた。

 ただ、「ショッカー」にしても、「自社」で改造した仮面ライダーが逃走し、人類側の「ヒーロー」として立ちはだかっているのだから、それだけの少人数でも完全に従わせるのが、どれだけ難しいのかを分かっていたはずなのに、それでも、「世界征服」を掲げていたのは、途中で引っ込みがつかなくなった、ということなのだろうか。

「世界征服」のあと

 何かで読んだだけだけど、世界征服が可能になったとしても、そのあとが、とても大変なのに、という可能性を知り、本当にそうだと思った。

 とても大勢の人間や、広い地域を、一時的には武力で制圧したとしても、そこから、長い年月、人々が生活をしている中で、恒久的に支配し、コントロールするのは、不可能に違いない。

 もしも、それが可能であれば、支配された人たちが、支配された、という思いを持つことなく、自分が望む通りに生きて、しかも幸福感を感じ続ける、というような状態をつくるということだから、それは、もしかしたら世界征服ではなく、世界奉仕であり、そういう世界では、支配者といえる人が、「世界一気をつかう人間」になっているのかもしれない。

 そんな状態を、例えば「ショッカー」は望むだろうか。

 もしも、人類を全滅させたとして、そのあとに「自分たち」しかいないような世界が魅力的だろうか。さらには、「自分たち」だけになったとしても、それがずっと分裂もしないで、やっていける可能性も少ないと思う。

 だから、悪役としては、「世界征服のあと」を具体的に考えるよりは、まずは「世界征服」という大きな目標を掲げること自体が、目的になっているのかもしれない。


(世界征服ではないが、国の政治を考えた時に、「鼓腹撃壌」の状態が、世界奉仕のような、理想の統治ではないだろうか)

「マナぺディア」鼓腹撃壌
https://manapedia.jp/text/1995

大モンゴル帝国

モンゴル帝国の創始者チンギス・カンとその兄弟・子息たち、『四駿四狗』に代表される部将(ノヤン)たち、及びそれらの後継者たちはモンゴル高原から領土を大きく拡大し、西は東ヨーロッパアナトリア(現在のトルコ)・シリア、南はアフガニスタンチベットミャンマー、東は中国朝鮮半島まで、ユーラシア大陸を横断する帝国を作り上げた[注釈 2]。最盛期の領土面積は約2400万km²で、地球上の陸地の約17%を統治し、当時の人口は1億人を超えていた。その領土の範囲は人類史上において大英帝国に次ぐ2番目の巨大さだった[4]

 モンゴル帝国は、これだけのことを成し遂げている時は、それこそ「世界征服」に近い気持ちになれたのではないだろうか。

 伝説として残っている逸話で、だから、その信ぴょう性も全く定かではないし、かなり怪しいエピソードであるけれど、当時、ユーラシア大陸の西の果てと思われていたシリア近辺までを征服したあと、向こうには海が見えるので、これ以上、征服できる土地がない、という理由で泣いたのが、創始者・チンギス・ハンといわれているらしい。

 そんな実話の保証が何もない内容だけれど、そのくらいの非日常的な感覚を持つ人間ではないと、かなり短期間で広大な地域の領土を持つことはできない、と納得した記憶がある。


(現代のビジネス的な視点からの分析までされている↑)。 

 ただ、こうした征服者という人は、戦って、勝って、相手を征服していく過程が全てであって、その被支配者たちを管理する、といったことには、自分たちの仲間の結束を高めること以外は、なんとなく無関心な気もして、だから、というわけでもないのだろうけど、その大モンゴル帝国も、それほど長い期間、ずっと存在したということでもないようだった。

現代の悪役の目標

 現在、テレビ放映している「仮面ライダー」の最新作が「仮面ライダーギーツ」で、その「悪役」となっているのが「ジャマト」という存在のようだ。

デザイアグランプリのジャマーエリアに出現し、人々を襲う謎の怪人。
ゲームごとにその世界観に応じた形態へと変化し、命令に準じた行動をとる。

 おそらくは「邪魔」からのネーミングだと思うが、すでに、その存在自体が「謎」となっていて、ゲームの世界を舞台にしているようだが、「街の平和をかき乱す敵」と規定されている。

 すでに、「悪役」であっても、大きくて具体的なテーマを持っていないように思える。

 初代の「仮面ライダー」の敵役である「ショッカー」が、「世界征服」という大きい目標を掲げていたけれど、フィクションでさえ、それが、あまりにも現実離れしていることが分かってきたのは、それだけ時代が進んだ成果かもしれない。

現実の難しさ

「007」シリーズも、「ミッション・インポッシブル」も、冷戦時代以降は、敵役の設定に苦戦していたのは、周知のことだと言われている。

 それは、世界の構造の変化が大きいのだろうけど、様々なことが明るみに出ることで、正義自体も単純ではない、といったような社会の見方の成熟も関係あるのかもしれない。

 だから、ヒーローのはずの存在なのに、「バットマン」でも、ジョーカーから、お前も同じだ、と指摘されるような映画まで登場している。

 だから、「世界征服」などと宣言するような悪役は、もう過去にしか存在しないかもしれない。

 フィクションは、そんなふうに進んできたのに、現実の世界は、そんなに単純ではないことを、ずっと思い知らせてきているようにも思う。




(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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