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テレビについて㊾『「タモリ倶楽部」らしい最終回』という表現。

 もう、そのこと自体が忘れられそうになっているけれど、2023年の3月に「タモリ倶楽部」が最終回を迎えた。

タモリ倶楽部

 1982年に「タモリ倶楽部」は始まった。そして、2023年に終わった。
 初回に、学生だった人間が、最終回には、定年を迎える。

 40年というのは、そういう年月で、その間、ずっと同じように、興味が向くままに、他だったら、Eテレでしかやらないようなマニアックなテーマが多かった印象があり、でも平熱の情熱で番組を続けた印象がある。

 途中で、名物コーナーの「空耳アワー」が違う企画になったが、また復活をして、そして、変わらないことが、この番組のカラーになったように思う。

 タモリ倶楽部』とはタイトルが示す通り、同好の志が集まった「倶楽部」だった。そこで彼らは「大人の遊び」を見せてくれた。粋な大人とは、即ち、大人げないほどに子供のような遊び心を持ち続けている人だということを『タモリ倶楽部』は示していた。
 タモリはかつて「遊び精神」についてこのように語っている。
「ぼくはもともといつも日常が遊びであれば、と思っている男です。“遊び精神”がゴチゴチの常識を破る…それをゲリラ的にやっていく痛快さがこたえられないんです」(『ヤングレディ』77年4月12日号)

 こうした言葉は、“昔のタモリ”だから言っていたことで、今ならば、笑って答えないような感じになるのではないか、と思う。

 思えばタモリは、9年前の、奇しくも同じ3月31日に最終回を迎えた『笑っていいとも!』(フジテレビ)でも、最後の言葉はいつもと同じ「明日もまた見てくれるかな?」だった。
 記念日などを嫌うタモリらしさを『タモリ倶楽部』は貫いていたのだ。

 そして、最終回までも、おそらくは「いつも通り」を意識しつつ、その意志を感じさせないように、「タモリ倶楽部」は、終了した。
 
 だから、私のような普通の視聴者も含めて、10人中9人が『「タモリ倶楽部」らしい最終回』という表現を誘導されてしまうのだと思う。

「タモリ」の変化

 今のタモリは、どこか悟りを開いたような人に見えることさえある。

 ただ、「タモリ倶楽部」が始まった頃から、それほど熱心ではないけれど、見ていたような視聴者にとっては、ずっと、タモリは、「今のタモリ」ではなかったはずだ。

 最初は、怪しくも、面白く、一般受けはしないけれど、知る人ぞ知るような存在だった。それが、1982年に「笑っていいとも!」が始まり、「昼の顔」になって、しばらく経った頃、その動機や気持ちについて、正確にわかるわけもないのだけど、タモリが、積極的に「変わった」「面白いこと」をしようしているように、視聴者には見えていた時期がある。

 それは、「根明」や「根暗」といった造語を使うような行為として形になったりしたが、正直に言えば、その頃のタモリは、視聴者として、面白いとは思えなかった。

(「根暗」や「陰キャ」について、は、もっと本質的な考察↓を、酒井順子氏がしてくれています)


 そして、ある時期から、タモリは、自分が面白いことをする人から、手を引いたように見えた。サングラスの奥で、冷静に、その場を面白がることに徹して、だから、周囲が面白くなる、という文字通りの「MC」として、マイクを持っている人、という印象になってから、信頼できるタモリさんになったように思えた。

 面白さの鑑定人。

 そんなふうに分析するのは、おこがましいとは思いつつも、そこからはずっと「今のタモリ」につながっているように思えている。


(卓球は根暗、という発言を謝罪したというエピソードもあって、それは、その発言をした時の自分はやっぱり面白くなかった、ということを認めていることでもあると思うが、どうだろうか)。


諸行無常

 40年前と今では、誰もが変わっている。
 その間を生き続けていれば、当然、老けたと言われる変化と無縁でいられる人はいない。

 そう考えて、抽象的に40年間を振り返ると、月並みだけど、普段はそんなことを考えないのに、何もかも変わっていくといった「諸行無常」の思いになる。

 だけど、その40年の間、続いてきた「タモリ倶楽部」の最終回を久しぶりに見た印象は、いつもの「タモリ倶楽部」だった。もちろん、タモリさん(つい、さん付けになってしまうが)も老けてはいるけれど、その姿勢は変わっていなくて、こういう表現は本人には嫌われそうだけど、魂は老けないのかも、と思ったりもするが、何より、その時は、諸行無常から少し解放されて、40年前も今も同じではないか、という気持ちになれた。

 変わらない安心感。

 もしかしたら、昼は「笑っていいとも!」で32年間、金曜日の夜は「タモリ倶楽部」で40年間、ずっと、それを、提供し続けてきたのかもしれない。

 
 昼夜逆転の生活で、「笑っていいとも!」が始まる頃に起きて、『いつも同じ』という悪口を言いながら画面をぼんやりと見て、だけど、そのことで実は、追い込まれている気持ちが、ほんの少し安定していた人は、思った以上に多かったのかもしれない。

 辛い一週間があっても、金曜日の夜は、「タモリ倶楽部」がいつもと同様に、平熱の情熱を注ぎながら、よくわからない話をしているのを見て、今週も相変わらずだ、などと文句を言いながらも、気持ちが落ち込みすぎなかった人も、少なくない可能性がある。


 そういった、マンネリという安心感を提供することも、テレビというメディアの大事な役割だったのではと思うけれど、それを受け継ぐような番組は、すでに存在できないかもしれないと考えると、タモリが「新しい戦前」と言ったような時代になりそうで、やっぱり不安にはなる。

 これだけ意識して、「同じ」を続けることは、とても難しいし、『「タモリ倶楽部」らしい最終回』と表現されるような番組は、タモリ本人が、もっとも嫌がりそうだけど、やっぱり偉大だったのかもしれない。

 ずっと、同じようなことをやっていた、と本当に思える番組が存在するのは、40年前を思い出して、あの時の自分と比べると今は歳をとってしまった、という悲しさよりも、なんだか、力が抜けて、ちょっと幸せな気持ちになれたからだ。

 それは、すごいことだと、思う。




(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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