【展覧会感想】 『ふ頭と、アートの相性』-----『Art Squiggle Yokohama 2024』
美術やアートに関して、実は思ったよりもたくさんの展覧会などが行われているのだろうけれど、その全部の情報を知ることも難しいし、把握することもたぶんできないと思う。
だから、本当は多くの人が知っているかもしれないことも、自分にとっては突然わかるような展覧会もある。
横浜の港付近でおこなわれるアートイベントは、自分にとっては久しぶりの印象だった。さらに、入場券のプレゼントもあるというのだけど、それほど運が強いわけでもないから半分以上は無理だろうと思いながらも、応募した。
横浜トリエンナーレ
横浜の港で行われたアートイベントで覚えているのは、横浜トリエンナーレだった。
2001年に国際的なアートの展覧会として始まった「横浜トリエンナーレ」は、3年に1度開催されるから「トリエンナーレ」と名付けられたはずなのに、2004年になっても始まらず、もしかしたら何か事情があって、このまま終わってしまうのかと思っていた。
せっかく、いろいろな国のアーティストの作品が見られるようになって、なんだか楽しかったのに、もう終わってしまうのかと感じていたし、第2回の横浜トリエンナーレの総合ディレクターといった、全体を司るキュレーターがかなり直前といっていい時期になって交代したり、というような話を聞いたような気がした。
だから、それほど期待もしていなかったのだけど、第2回の横浜トリエンナーレは、2005年になって、横浜のふ頭で行われて、それは普段はほとんど行けないような場所でもあったし、そこにはアーティストの作品によって華やかさと、楽しさがあって、歩く距離がそれほど気にならなかった。
自分にとっては知らない作家が多かったが、毎日のようにパフォーマンスが行われていたし、複数回訪れても新鮮だったし、クールさというよりは、アートも、人の手と知恵によって製作されているような印象が残ったし、とてもいいトリエンナーレだった。
総合ディレクターを務めた川俣正は、アーティストだけでなく、こうしたイベントをつくりあげる能力の高さを見せてくれたような気もした。
これまで、ただの観客にすぎないけれど、8回の横浜トリエンナーレを見てきて、途中で、もう今回で終わるのではないか、といった勝手な感想を抱くほど全体に斜陽の気配が強いこともあったのだけど、それでも、2024年まで続いている。
第8回も、これまでとは異質の、だけど、美術館が違った場所に思えるようなトリエンナーレだった。そういう意味では、今でも横浜トリエンナーレは、存在意義があるように思えている。
当選
見慣れないメールがきて、毎日のようにマメに届く迷惑メールかと思ったら、当選メールだった。こうしたアートの展覧会やイベントの招待券に当選するのも、すごく久しぶりだったから、もし当たったらいつ行く、といったことまで考えていなかった。
さらには、免許証の提示なども必要のようだったけれど、このメールをスクリーンショットではなく、そのままアプリで提示してください、という指示もあったので、スマホも携帯も持っていないので、ノートパソコンに届いたメールをプリントアウトしたものを持って行ってもいいですか?と問い合わせをして、了承してもらった。
そろそろ、スマホを持っていないと、社会的な排除にあったとしても、苦情を言えないような社会になっているのかもと、日々思うようになっているが、介護に専念するために仕事も辞めて、とにかく支出を減らす生活を続けたことがあり、介護が終わった今も、貧乏なままなので定額の支出をする怖さもあって、まだスマホを持てない。
ただ、貧乏を理由に所持しないのはすでに理由にならない(優先順位のほぼトップにスマホはあるので)のも理解しているつもりだけど、20世紀の末に介護に専念する生活に入って、ある意味では感覚は変わらないので、まだ持っていない。
会場
みなとみらい線の終点である元町・中華街駅で降りて、山下公園に向かう。
改札を出てから、外へ出るまで延々と長い地下通路を歩く。この前、違う出口で降りたときは、エレベーターでひたすら上へ向かったのだけど、この駅自体が、なんだか例外的な場所にあるのだろうかと疑う気持ちになるが、山下公園は、確かに出口からは近かった。
会場に向かうためには、山下公園のバス待合所から、さらに100メートルくらい先に週末は送迎バスが運行する、といった書き方をされていたのだけど、よく分からず、駅から会場まで徒歩15分とあったので、歩いても行けると思って、山下ふ頭に向かって歩く。
このあたりのバス停から、浜松など遠くまで行く長距離バスも出ていることも初めて知って、そして、山下公園から山下ふ頭への動線の途中に、バスの待ち合わせのような建物があった。公園の中、それも海ぎわにこうした施設があるのも知らなかった。
その向こうにバスが止まっていて、あれが会場まで行くバスかもと思って、近づいたら回送と表示があり明らかに違いそうなので、その近くに立っている警備員の方に聞いた。
そうしたら、急に笑顔になって、さらに海に近い、やたらと平坦な場所にポツンと止まっているワゴン車を向いて、バスではなく、あのクルマであることを教えてくれた。よかった。聞かなければ、絶対にわからなかったが、そばに行ったら、確かに、その表示は出ていた。
そのワゴン車に乗り込み、ドアが閉まったら、他に乗客はいなかったが、すぐに出発した。
海に向かって、だけど、ほぼ海の高さと同じような、何もない平面を直線的に進んでいくのは、それだけでなんだか不思議だった。
ふ頭というのは、船が止まるために特化した場所のはずだから、そういうところと思っていても、実際にクルマで走ると非日常的な感覚だった。
会場には、それほど時間がかからずに着いた。出発した地点も、見えるくらいの場所だったから、歩いても来れるかも、と思ったけれど、暑い季節だったし、この何もない空間を歩くのは不安だったかもしれないとも感じた。
会場は、倉庫だった。
手前のチケット売り場も、デザインされている。
そして、何より海の中にあるような場所だから、横浜のみなとみらいの景色がとてもきれいに見える。
プリントアウトしたメールと免許証を見せて、スムーズに入場できた。
アートスクイグルヨコハマ2024
会場は広かった。
天井も高い。
入口の受付で渡された会場の案内図を持って、中を歩く。
最初に入り口付近の作品に自然と見に行ってしまう。
そこには少し暗い中に立体が積み重ねられていた。それは建築物のように幾何学的に構成されているようだが、その一つ一つの立体は、作家自身のプライベートな部屋と関係のありそうな要素が入っているようだ。ブースの壁に設置された作品にも、同じように生活が反映されているようだった。その日常が入っている感じがいいと思った。作者は、宇留野圭。
他の出展作家も、ほぼ知らない人ばかりだった。プロフィールを見ると、多くの作家が、30代前後だから、アートの世界だと若手と言っていいのだと思うし、だから、やはり見る側も勝手なことだけど、新しさを求めてしまっていた。
会場の中で、それまで見た記憶のある作家は一人だけだった。
藤倉麻子。
CGを使った、見たようで、見たことのないような風景。ちょっと引っかかりのある映像が続く。それは、ある時期以降のものだけがつまっているようにも見えるので、そういう意味では新しさを感じる。明るい軽さだけでできているので、かえって少し不気味に思える映像。
まだ作品を見て、2度目だけど、やっぱり他の作家とは違う感じがする。同時に、この作家の独自性、という印象は共通するから、それだけ、その人のパーソナルな要素が色濃く反映されているのだと思った。
新しさとは、なんだろう。
基本的に若い作家が制作するものは、新しいような感じがする。だから、若いアーティストの作品を展示した方が、これまでにないものを、そこで見られる気がする。
ただ、それだけで新しいわけでもない。
今回も、もし新しさといったことをテーマにしてくれて、露骨でなくてもいいので、それが作家ごとに、その「新しさ」が少しでもわかるような展示方法にしてもらったら、また印象が違うのかもしれない、などと思ってしまった。
そうした中で、普遍的であるような、大げさに言えば、人のどうしようもない業のようなものを感じたのが、山田愛の作品だった。
少し薄暗い部屋のような場所に円盤状の何かがある。
それが、無数の石を並べてあるものだと、その場所に入る前に、知識として知っていたのだけど、それをわかりながら、だけど、実際に目の前に、石が並ぶのを見ると、その情報の中だけではおさまらない、戸惑いのようなものを感じるのは、石がそれぞれ、いろいろと違う過程を経て、微妙に違うことが、見ていると、いやでも伝わってくるから、かもしれない。
さらには、その無数の石を作者が自分の手作業で並べているようだ。
作家が、長く続く石材店の子孫であることも、見る側が、そこに意味をさらに乗せてしまい、鑑賞者の見方に影響を与えているのかもしれない。
ワークショップ
そして、中島祐太はワークショップを体験させてくれた。
土曜日の夕方のせいなのか、音楽のイベントがなかったせいなのか、入場者が少ないせいで、そのワークショップもあまり待つことなく体験ができた。
それは「かつて鉱山で働いていた朝鮮人労働者のエピソード」(「アーティストノート」より)を元にしたワークショップだった。
少し暗くなっている場所で、ノミとハンマーを使って大きな岩を砕き、その破片を砂にしていく。その体験をさせてもらうのだけど、岩が大きくて、おそらくどれだけ力を入れても、少ししか削れない。
その頑丈さは、ちょっと怖いくらいだった。
もちろん、これだけの体験で、わかったようなことは言えないけれど、鉱山の労働はとんでもなく大変だったことは、今までよりも少し想像ができる。そして、この大きい岩を運ぶのも大変だったとは思うのだけど、このワークショップは、この巨大さがなければ、印象も違ったはずだ。
藤倉麻子、山田愛、中島祐太の3人の作品は、特に印象に残っている。
この展覧会全体で、「スクイグル」というあまりにも広いテーマではなく、もう少し絞った、統一されたテーマのようなものを感じさせてくれたら、鑑賞後の印象はもっと違っていたとも思う。
それに、ここにいる作家が、どうして選ばれたのか。共通点は何か。そうしたことがもっと明確に打ち出されていれば、どうしてもバラバラになりがちな、こうしたグループ展全体で、さらにいろいろなことが伝わった気がした。
それに、試行錯誤を表すのであれば、机の上に資料を並べるよりも、もしかしたら、短くても制作途中の動画などがあったりした方がよかったかもしれない、などと鑑賞者は、勝手なことを思った。
ふ頭と、アートの相性
鑑賞の途中で外にあるトイレに行ったり、現金を使えないキッチンカーで、このままだと熱中症になるかもと思って、ドリンクを飲んだりもして、会場には1時間半近くいた。
その間に、だんだん夕暮れになって、外は暗くなっていた。
ふ頭は海の中にあるような感覚になるから、みなとみらいの夜景も、大黒ふ頭も、とてもきれいに見える。
週末は、ワゴンカーが稼働して、さっきの山下公園のところまで乗せていってくれるらしく、帰りは会場の受付に言ってくださいと言われていたので、そのことを伝えたら、ちょうど来ます、と言われる。
かなり暗い中から、暗めの色のボディだから、急にワゴン車が現れて、止まる。
乗り込んだら、今回は先客のカップルがいる。
私が乗ったら、すぐに発車した。
行きも、海の上の何もないテーブルを走るような感覚は不思議だったが、帰りには、ふ頭の上には照明があるわけではないから、暗い中を進む。目的地は知っているし、そんなに時間がかからないのもわかるのだけど、それでも、周囲に何もなくて、海のすぐそばを、ただ暗い中を進むのは、どこにいるのかちょっとわからないような気持ちになって、怖さもあって新鮮だった。
すぐに、最初にワゴン車に乗せてもらった場所に着く。
もう暗い。
山下公園のそばのマリンタワーや、ニューグランドホテルが夜空の中で明るく照らされている。
氷川丸が、暗い海の上でずっと停泊している。
ふ頭は、距離的にはそれほど遠くないのに、日常から切り離された場所に行ってきた気がして、そういうところでアートを見られたのは、なんだかよかった。
そういえば、あまりにも印象が違っていたので、最初は別の場所かと思っていたが、第2回の横浜トリエンナーレも、山下ふ頭が会場になっていた。
あの時は、山下公園から、会場の倉庫に向かうまで、アーティストの作品である旗などが飾られていて、華やかさがあったし、「アートサーカス」というテーマに沿うように、会場に着くまでにも、お祭りの感覚になっていた。
そういえば、あのときも、周囲の風景がきれいに見えたことは覚えている。そして、ちょっと日常から切り離された気持ちにもなっていたはずだった。
この山下ふ頭は、何年後かには再開発されるらしいから、今のように、実用性に特化したようなむき出しの広い平面を、一般の観客にも感じられるのは、もしかしたら、今回のアートイベントが最後かもしれない。
そういう意味では貴重な体験にもなったし、ふ頭とアートの相性は思ったよりもいい。
それもわかったような気がした。
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