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『「晩節を汚さない」ためには、どうすればいいのだろうか』。(後編)。

 若い頃に華々しい活躍をし、同時に尊敬すべき人だと思っていたのに、それから年月が経ってから、別の場所で「活動」している姿に、「晩節を汚す」という言葉が浮かんでしまうような場合も少なくない、と思うようになった。

 それだけ、自分が、歳を重ねた、ということかもしれないが、そういう姿を見ることは、もしかしたら、平凡な人生の自分だったら、もっとひどいことになったら、と怖さを思わせることでもあった。


引退後の戦い

 前編では、2021年の東京オリンピックの「関係者」の中で、際立って筋の通った発言を繰り返した山口香氏を持ち上げ過ぎているように思われそうだけれど、アマチュアスポーツの中で、現役時代だけでなく、引退後も、これだけの言動を積み上げてきたのは、やはり素直にすごいと思う。

 比べるのは、山口氏の本意ではないのだろうけど、引退後に年齢を重ねると「晩節を汚してしまった」ように見える人たちとは、何が違うのだろうか、と考えたくなる。

 このことについては、山口氏が、かなり明確に話をしている。

スポーツのフェアプレーというのは、相手が先輩だろうが、忖度しないで、空気を読まないで、全力を尽くすことだと考えます。元アスリートは、それぞれのスポーツで現役だったときは戦ってきました。ただ、現役をやめた途端に戦わなくなる。社会でスポーツが評価されているのは、上に従順に仕えるとか、無理な仕事でも拒まないとか。スポーツの価値はそこじゃない、と私は思います。
 理事を退任したら、スポーツ界の草の根の部分から変えられないか考えています。議論を通じて選手や指導者らが育っていく環境です。選手が勇気を持って問いを発し、指導者は言葉で応えていく。顔になる人を育てていく。もの言わぬ人ではダメです。それではスポーツ界は影響力を持てず、価値を示していけません。

 戦う相手というのは、現役引退後は、例えば古くなって未来を作れなくなった価値観や、人を大事にしない圧力や、わきまえることだけを強要するような組織かもしれないが、山口氏は、スポーツを通して、より良い社会にするために、戦っているように思える。


 山口香氏のこれまでの思考や言動を、最近、知ったばかりなので、偉そうにいうのは恥ずかしさもあるが、戦い続けることが、「晩節を汚さないため」に必要なことのようだ。

 ただ、それはとても大変で、常に意識しないと難しいことだと、同時に思う。

「晩節を汚す理由」

 大統領選挙のボランティアに「潜入」した著者が描き出したのは、トランプ支持者が、「信者」と表現されるのが大げさではない現状だったけれど、その中で、(私にとっては)意外な人物の名前も出てくる。

ジュリアーニといえば、日本では9・11同時多発テロ事件の後に、ニューヨーク市を立て直した「世界の市長」(タイム誌)として記憶している人も少なくないかもしれない。しかし、その後は、市長時代の名声を頼りに、巨額の弁護士費用を払える怪しげな国内外からの依頼者からの弁護を引き受けるようになる。
 その浪費癖や度重なる離婚による慰謝料の支払いに加え、常に若い愛人をそばに置くために、金になるのなら汚い仕事でも平気でやる弁護士に成り下がっていた。その最たるものが、トランプの顧問弁護士だった。

 2001年「同時多発テロ」に襲われた時の、ニューヨーク市長ジュリアーニは、自分の無知もあるのだけど、その時のイメージのままで止まっていたから、それこそ「晩節を汚して」いることも知らないままだった。

 ただ、ここで、その原因の一つが明らかにされている。「金になるなら汚い仕事でも平気でやる」ようになったのは、浪費癖や、若い愛人をそばに置くために、金が必要だったから、ということのようだ。

 このジュリアーニ氏のように、その「晩節の汚し方」の原因が、こんなに明確になっているのは珍しいかもしれないが、経済的な理由も、やはり大きいと思われる。

自分の気持ち

 どんなことがあったとしても、自分からすすんで「晩節を汚す」ようなことをしたいわけではないと思う。

 それは、晩年まで本当にきちんとした仕事をしてきたとしても、それも含めて否定的に見られてしまうかもしれないのだから、できたら「晩年を汚す」ようなことを避けたいのも、当然ではないだろうか。

 それでも、どうしようもなく「晩節を汚す」ことになるのは、どうしてだろうか?

 すべてが、経済的な理由なのだろうか。


 この番組は、サカナクション山口一郎が、「実験的」な音楽番組をする、という前提だから、それで色々なことができたのだろうけど、この中で、サカナクションのこれからについて、山口が少しトーンを落として触れていたことがあった。

(番組を見た記憶だけなので、詳細が違っていたら、すみません)

 サカナクションは、商業的にもかなり成功してデビュー10周年(2017年)を終えることができて、そして、その後にどうしようか、ということになった。その時に、これからもっと販売数を上げるような選択もできたはずだった。だけど、改めて自分達のことを振り返ると、たとえれば、教室の隅で、自分の好きな音楽を聴いていたような人間が集まったバンドなのに、もっと多くの人を、と望むのは違うんじゃないか。

 そんな話をしていたけれど、視聴者としては、自分が好きな音楽をこれからも好きな方法でやっていくことを優先するんだ、と決意するような言葉でもあった。

完全暗転させた会場の中でライブパフォーマンスを行うというもので、視覚が閉ざされ、聴覚が研ぎ澄まされた中での音楽体験を味わうことのできる、実験的なインスタレーションプログラムだ。
 オンラインライブ「SAKANAQUARIUM アダプト ONLINE」から始まった第1章を総括するアルバムとなり、続く第2章で発表されるアルバム「アプライ」と対となり、両プロジェクトを通じて一つの作品となる。
 初回生産限定盤には、山口一郎が自宅から配信した画期的なオンラインライブ「NF OFFLINE FROM LIVING ROOM」を収録した映像特典に加え、メンバーのインタビューを基に、コロナ禍にどう適応してきたのかを様々な角度から解説した、収録されているディスクを紐解く特典ガイドブックが付属される。

 デビュー10周年後の、こうしたライブや、新しいアルバムは、大げさかもしれないが、自分が好きな音楽をこれからも好きな方法でやっていくことを優先するという宣言でもあるし、自分の気持ちに嘘をつかないという、青臭そうで、基本的なことを守っているように見える。

 だから、偉そうな言い方になったら申し訳ないのだけど、サカナクションは「晩節を汚す」ことから、今のところ無縁のようだ。

「売れることの怖さ」

 どうやったら「売れる」のか。

 資本主義の世界に生きているので、そんな言葉は、本当に死ぬほど聞いてきたし、同時に「売れ線」といった言葉にこだわっている人も、いつも「売れる」わけではない。

 そう考えると、どうすれば「売れるか」は、おそらくはデビューから10年を経過して、商業的にも成功してきたサカナクションは、実はかなりわかっていたのではないだろうか。だから、もっと商業的な成功(だけ)を求めていれば、ある程度以上に成功していたような気がする。

 だけど、本当のところはどうか分からないにしても、少なくとも公的な場所での発言や、ライブや、作品は、その商業的な成功のみを考える方向ではなく、自分にウソのない活動をしているようにも見えるが、それは「売れることの怖さ」も知っているせいではないだろうか。

「自分がコントロールできる範囲」

 売れると、お金が入ってくる。さらに利益を求めるとすれば、会社のように、その規模を大きくする必要が出てくる。そこに人が集まってくる。そのために、さらに利益が莫大になる。そして、いつの間にか、それを維持するために仕事をするようになる。

 そんなふうになってしまったら、それはすでに自分(たち)がコントロールできる範囲を超えてしまう。いつの間にか、この大きくなった組織、そこにいる人たちを生活させるために仕事をするようになる。

 そうなったら、そこに自分(たち)の自由はなくなってしまう。

 今回は、何かをつくっていく人たちや、アスリートに偏ってしまったけれど、だけど、そんなふうに大きな利益のために周囲も動き始めたら、自分(たち)も利益を優先させるしかなくなり、それを、「みんなのため」と言いながら正当化するしかなくなる。

 だから、どこかで適度にブレーキを踏んで、もしくはハンドルを切って、自分(たち)のやることを、自分(たち)がコントロールしていないと、いつの間にか暴走し、それは「晩節を汚す」未来しかなくなってしまうのではないだろうか。

 詳細に検討すれば、そのような状況だった人今、そうなっている人。これから先に、暴走する未来が待っている人は、思ったよりも多いのかもしれないが、サカナクションは、その手前でブレーキをいったん踏んだ、もしくは方向を変えた、ということかもしれない。

意志を通すこと

 この番組は、10年以上前の再放送で、ミュージシャンの佐野元春が、現代の詩人は、ソングライターである、というテーマをもとに、いろいろなミュージシャンにインタビューをするという企画で、佐野元春の「純粋さ」が生かされていたと思う。

 最初は、小田和正が登場し、佐野元春のあまりにも「真っ直ぐな姿勢」に苦笑するような場面もあったように見えたのだけど、それに応えて、小田も率直に話す時も多いように感じた。

 その中で、小田和正が「オフコース」時代のことにも、当然のように触れていた。

 デビュー10年目に、大ヒットした「さよなら」のあとの曲に関して、レコード会社側は、その路線の楽曲を要請する。それも、それまで「売れてなかった」のだから、当然かもしれないのだけど、小田和正は、自分の意志を貫いた楽曲を出した。「生まれ来る子供たちのために」。それは、商業的には成功とは言えなかったようだ。

 ただ、のちに、他の複数のミュージシャンにもカバーもされ、長い時間を経た後だと、名曲と評価もされているし、その時の小田和正の選択は、正解のように見える。

 何より、「さよなら」のあとに、「生まれ来る子供たちのために」ではなく、おそらくは制作側が望むような「Yes-No」を立て続けに出していたら、もっと「売れた」かもしれないけれど、結果として、それは自分(たち)のコントロールを超えるような事態になった可能性もある。

音楽番組全盛の時代にあって、テレビ出演で人気を高めていった他のグループとは一線を画し、テレビ番組にはほとんど出演せず、レコード制作とコンサートに力を注ぐという独自の姿勢を頑なに貫いた。(ウィキペディア より)

 ただ、どちらにしても、この姿勢↑を持続していたとしたら、自分でコントロールできる範囲を超えにくいだろうし、オフコースの解散も、そういう自分の意志を貫くことの表れでもあるのかもしれない。

 だから、色々な見方はあるのだろうけど、今もミュージシャンとしては、小田和正が、「晩節を汚す」からは遠そうに見えるのは、若い時に意志を通したこと(「生まれ来る子供たちのために」をリリースした)と関係があるように思う。

 それはやはり戦うことと無縁とは思えない。

願うこと

 やはり長く音楽活動をしている山下達郎が、2022年には11年ぶりにニューアルバムを出した。

 積極的なプロモーション活動をしていながら、テレビには出ない、という自身の原則を守るように、音声だけで出演するという(ギリギリの)方法を選択しながらも、その言葉に力があったように感じるのは、長年、ウソがない発言をしてきたせいだと思った。

 そのさまざまな話の中で、売れない時代を経て、やっとヒットしたとも言える「ライドオンタイム」(1980年発売)のことにも触れていた。カセットテープのCMで、楽曲が使われただけではなく、自身も出演している。

 その出演で、それまでにないこと…… 知らない人に声をかけられたりして、今後の音楽活動に、こうしたことはマイナスになる。だから、ある種の制限がかかるにしても、テレビに出ないようにしよう。

 そんなことを決断したと言ったことも改めて語られていて、それを決めたことよりも、それを長年、貫いたのがすごいのだけど、全てが、より良い音楽を、主に同世代の生活者に届けるため、という願いに近い、大きな目的があったから、それが可能になったようにも思える。


(このベストの中の「蒼氓」に、願いのような気持ちが表れているようです)。


孤独であること

 そして、「晩節を汚さない」ためには、孤独であることを厭わないというのも大事なことになってくるように思う。

 もちろん、評価はいろいろとあるのだろうけど、ここ何十年も、基本的には自分の書きたいことを書いてきたように思える村上龍が、こんな表現をしている。

自分や、他の誰かに甘えるのを拒否し続けながら長く生きると、ポジションを維持できても、孤立することがあるんだなと、最近そんなことを思う。    


 ただ、孤独であることだけが強調されると、それだけで、何かに頼りすぎてしまったり、依存してしまう方が楽だから、ということに流されがちになる。

 それに対応するためには、一人でも何とかしていく、といったことは基本だとしても、それでも、何かに属することは可能だと、映画監督の是枝裕和氏が、国際的な映画祭に参加して、こんなことを言っている。

 映画祭というのは、「映画の豊かさとは何か?そのために私たちは何ができるのか?」を考える場です。映画を神様に譬えるつもりはありませんが、映画の下僕として自分たちに何ができるのかを思考し、映画という太い河に流れる一滴の水としてそこに参加できる喜びをみなで分かち合う、それが映画祭です。
 意外だったのは、自分もまた百二十年つづいてきた映画という歴史の鎖の輪のひとつでしかない、という自覚が諦観である以上に、自分にとっては新しく故郷が見つかったような、不思議な安堵感につながっていたことだった。

 この境地に達すれば、安堵感と共に、その「歴史」に見守られることによって健全な矜持も生まれ、そのことで、「晩節を汚す」ような行為をするのが難しくなりそうだ。

 誰でも、この境地に行けるわけではないのはわかる。

 それでも、戦いを続けて、孤独であっても、「晩節を汚さない」ようにしたい時に、とても大事な考える材料になると思う。



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