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読書感想 『正欲』 朝井リョウ 「とてもフラットな視点の強さ」

 この作家は、自分の生きていく速度に合わせて、時代のドキュメンタリーを書き続けているようにも感じる。

 ただ、そんなことを断言できるほど、全部を読んでいないので、本来ならば語る資格もないのだけど、「何者」「スター」そして「正欲」と読むと、自分の年齢に合わせたものを記録するように書いているのではないか、と思えてくる。

「桐島、部活辞めるってよ」は映画を見た。もう高校生がはるか遠くになってしまった世代にも、そこに「スクールカースト」が、どうしようもなく存在することまで感じさせてくれ、原作も優れているに違いない、と勝手に思っていた。

 二〇歳でのデビュー作は、高校生の生活。その後も、就職活動。20代の映画作家。その時に、自分の年齢から見えた「世界」を書き続けているように見える。大学生の時に小説家でデビューしているのだけど、2015年までは会社員も勤めている。

 それも、取材という距離をおいた行為ではなく、世の中に体を浸して、本当に見る手段のようにも感じる。

「正欲」 朝井リョウ

 今の時代だと、この本を読んだ感想は、もう無邪気に書けない。

 小説は、ある意味では何を書いてもいいジャンルだと思うのだけど、まだ存在を知られていないような人たちのことを題材にしたり、言葉にしなければ問題として見られないようなことをテーマにするのも、一つの大きな流れのように思う。

 それは、ジャーナリストの仕事でもあるけれど、フィクションとして取り扱うと意味は違ってくるし、さらには、どの作家が書くかによって、見え方自体が、変わってきてしまうような気もする。

 この「正欲」は、題名からも分かる通り、「性欲」に関する話でもあり、ここに「正」という文字が使われているのであれば、「正しくない」ことも当然語られているだろう、ということも予測させ、それは、本当に、その通りの内容だと思う。

 それでも、この「正欲」は、自分が知らない世界を知り、勉強にもなりました、的な無邪気な読み方が、決してできない作品でもある。自分が直感的に抱いた感想が、無知をもとにした表現にすぎないようにも思え、そのまま書くのもためらってしまうような気持ちにもなる。

 そんな風に考えさせてしまうようなタイミングで作品を発表し、さらには、読者に、そこまで自然に思いを至らせてしまうような作品なのかもしれない。

多様性という言葉

 今、多様性は、「いい言葉」もしくは「正しい言葉」として見られている。
 気の利いたつもりで「ダイバーシティ」という言葉を選択する人も少なくない。

 だけど、多様性を考えるときに、必ず出てくる課題の一つは、誰かが切実に必要とするものは、他の人にとっては、許し難いこともありえる、だと思う。例えば、この本↓では、そうしことが事実を元として語られている。

 

 多様性という概念には、犯罪といった、社会的に「悪」とみなされるようなことでない以上は、自分が許し難い人たちと「一緒に生きていく」ということも覚悟する、が含まれていると思う。(しかも、多様性を突き詰めれば、犯罪かどうかのラインすらも考えなくてはいけなくなるはずだ)。

 そういった重い側面もあるはずなのに、多様性を「良きこと」として語る人ほど、自分と違う人間に対して、どうしても、「存在を許す」といった「上から目線」になってしまっていることに気が付きにくい。

 そして、それは、無意識で、多数派の見方になってしまっていることも多い。「多様性」という名のもとに、もし無意識に行われるような「区別」があれば、それは、無邪気でタチの悪い差別になる可能性も高い。

 読んでいると、自分の気持ちを振り返るように、普段は目を向けない思いまで掘り下げるように、そんなことまで思っている。

登場人物と物語

 この本には目次がない。
 普段、特に小説を読むときは、目次を見ることはほとんどないのだけど、こうして実際に目次がない作品に接すると、そこには、何かしらの予備知識を持たずに、まずは読んで欲しい、といった意志を感じる。

 さらには、作家生活十周年を記念しての「書き下ろし」となっているのは、連載などの形式をとった場合、高評価や非難によって、良くも悪くも影響を受けるのを避けたということかもしれない。

 主に5人の登場人物が、一人ずつ登場し、その人物の日常を語り、次に、また別の人間が出てきて、話をする。最初は、全く別々の場所に存在している人物が、だんだん関係を持ち始める。

 時間の目安は、すべて、平成から令和へ元号が変わった日を基準にして語られ、そうした緩やかな時間の基準が示されながらも、確実に、さまざまなことが変わっていく。

 そして、多様性への根源的な視点は、当然ながら、ずっと作品の底を流れているように感じる。

 多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。時に吐き気を催し、時に目を瞑りたくなるほど、自分にとって都合の悪いものがすぐ傍で呼吸していることを思い知らされる言葉のはずだ。


 少数派と言っても、少数派と認識されていない少数派は、おそらくは存在しないように扱われている。そして、多様性という言葉が、本来は、とても怖くて面倒臭い状況を前提にしているということも、改めて気がつかされるような話にも進んでいくが、それだけでなく、社会の中で生きていく根源的な不安といった部分にまで、嫌でも思考が伸ばされていく。

 読んでいる途中で、冒頭に近い部分にある、雑誌記事のような部分が、これからの出来事の「目次」でもあり、「結果」でもあると気がつき、気持ちも重くなるのだけど、そこだけに止まったり、せきとめられるような話でもない。

フラットな視点

 以前、「スター」を読んだ時にも思ったのだけど、朝井リョウの視点は、普通は見えないものが見える、といった特別な目ではないように思う。

 だけど、全ての見てきたもの、聞いてきたことなどが、本人の判断によって最初から選別されているというよりは、デジタルカメラのように、全てがフラットに取り入れられ、その上で、十分に観察され、考え抜かれ、その経過も含めて小説という作品になっていくように思う。

 それは、相当に豊かな力がなければ、ただのバラバラな断片になってしまうだろうから、自然に見えて、すごい力なのではないか、とも感じてくる。

 だから、作品には、その時々のテーマとともに、いつも、作品化されるよりも「2年くらい前の世の中」が、そこにあるような気がするので、朝井リョウの作品が蓄積されることによって、「歴史」になるのでは、と思わせる。

 大げさに言えば、いつも「世界全体」を記録しようとしているのかもしれない。


 この「正欲」は、多様性、という言葉が気になる人であれば、必読の作品だと思います。
 同時に、「最近の世の中の全体像を把握したい」というような思いを持つ人にも、ある程度以上、その思いも満たされる作品でもあるので、お勧めです。




(他にもいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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