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「行動制限緩和」は、「高齢者」と「若年層」を優先させた方がいい、と思う理由。

 コロナが落ち着いたら。

 そんなあいさつが、一番聞かれたのは、おそらくはコロナ禍という言葉が定着し出した2020年の頃だと思う。

 それから、感染が広がり、不安も増大するばかりで、だから、いつこの状況が終わるのか分からなくなった頃は、その「コロナが落ち着いたら」というあいさつは減ったように感じていた。

 そのコロナ禍の勢いが少し衰えたように思えたのが、2021年に入り、予定より遅れたものの、ワクチン接種が始まってからだった。ただ、オリンピック・パラリンピックの開催のためか、感染者は急速に増大し、「コロナが落ち着いたら」という言葉自体が聞かれなくなった。

 ただ、秋になる頃、理由もはっきりと分からないまま、減少傾向になったせいか、「行動規制緩和」が話題になるようになった。緊急事態宣言も、解除された。

コロナ禍の高齢者

 新型コロナウイルスは、特に高齢者が重症化し、死亡する確率も高いと言われ、実際、そのような状況が続いたせいで、高齢者自身が出かけるどころか、高齢者に会いにいくこと自体が、控えるよりも、禁止されるに近い状態が続いていた。

 それが、少し緩んだのは、ワクチン接種が進んだからだけど、それでも、積極的に移動しても大丈夫、というようなことは言われていない。

 行動規制緩和という言葉が出ているとしても、ワクチンパスポートという方法や、ライブハウスや飲食店といった場所の話はあるのだけど、高齢者も含めて、どういう人たちに、行動規制緩和した方がいいのか、という議論はあまりないと思う。

私たちの老後は、国家が面倒見ますよ的な話になっていますが、その実、国は都道府県に、都道府県は市区町村に、市区町村は地域にと責任の主体を少しずつ移動させ、最終的には地域から「家族」という集合体に負担を負わせようとしているような気がしてなりません。

 著者は、高齢者施設で長く働き、施設長の経験もあるから、現場のことに詳しい。そして、この著書のタイトルは、人目を引くためで言い過ぎではないか、とも思うけれど、内容は、かなり率直でもあり、こうした国の施策に対しても、本質的な指摘とも思える部分も少なくない。

 さらには、高齢者の気持ちについても、特に終盤で触れているが、「来年は、ないかもしれない」といった思いは、多くの高齢者が切実に持っているのでは、という描写も、改めて本当ではないか、と思う。

高齢者の「あと1年」

 実際に、あと何年生きられるかどうかも分からないのに、できることが少なくなったり、行きたいところもあるのに、それすらできないのは、とても悔しい。

 コロナ禍になってから、そういった強い思いがある高齢者がいらっしゃることも知り、もし、さらに高齢者の方の一人一人に聞いたら、そう思っている方は、想像以上に多いのではないか、と思うようになった。

 事実として、例えば80歳を超えていたら、今は元気だとしても、来年生きているかどうか分からない。そんな風に思うのも、考えたら当たり前で、だからこそ、今、やりたいことはやりたい。行きたいところは行きたい。

 そう考えるのは、非難されるべきものでもなんでもなく、自然な気持ちで、普段からそうだったはずが、このコロナ禍で強制的に行動を止められている間に、コロナ感染をしないとしても寿命が尽きる、という人は少なくないはずだ。

 そんなことを思うと、高齢者にとっての「あと1年」は、待てない1年である可能性も高い。つまりは、同じ1年であっても、重みが違うことは改めて考えた方がいいと思う。

「あと1年」で、できることをしないで、そして、コロナ禍さえなければできた場合、その間に死が訪れてしまった場合に、それは、本当に後悔ではすまないことだと思う。

 だから、行動制限緩和を考えるのであれば、高齢者を優先させることを考えた方がいいと思う。

 もちろん、一気に緩めることで、急激な感染拡大が起こる可能性もあるので、そこへの検討は十分に必要だし、他の世代を含めて、どのように生活保障をしていくのか。

 そういった現実的な問題点はあるものの、行動制限緩和を考えるときに、まずは高齢者を優先させることは、人生の質にも関わってくるはずなので、再考すべきことだと思う。

若年層のコロナ禍

 新型コロナウイルスも、デルタ株が発見されて以来、高齢者だけでなく、若年層にも感染者や重症者が増えることによって、若い世代への行動制限が、より厳しくされるような気配になってきた。

 だから、2020年の1年間だけでなく、2021年の2年目になっても、修学旅行が中止になるなど、先の見えないような状況になっていた。

 1年ならまだしも、2年、もしくは3年になってしまうと、例えば、中学時代や、高校時代が、丸ごと、コロナ禍で、行動制限の中で過ごすということになる。

 もう少し若くても、小学校でも、低学年や高学年が丸ごと、マスクとソーシャルディスタンスの中での学校生活になってしまう。

 そうなると、青春を謳歌できなくてかわいそう、といったレベルではなくなってきて、その影響は、予想以上に深刻化するのではないか、という段階になっている。

若い世代の「この1年」

 こうした指摘は、本当にそうだし、他にも学生時代の文化的活動についても、例えば、高校の演劇の大会が中止になったりすることに関して、ラジオ番組の動画の中でも、その弊害が語られている。

 この番組の終盤で、高校演劇に詳しいTBSの澤田大樹記者が、演劇人・平田オリザの言葉をひいて、若い、この時期にしか蒔けないような種がある。だから、こういう時に大会が中止になったりすると、才能が伸びる可能性自体をつんでしまっているのではないか、といった話をしていた。

 そうであれば、個々人の「人生の質」だけでなく、これからの「社会の質」に関わってくる、思った以上に重大なことだと改めて思った。

第6波が来たとしても

 2021年10月現在では、コロナの感染に関しては、減少傾向は維持されているようだ。

 そうなってくると、経済活動の再開についての議論も、当然されてくるのだろうけれど、これから寒くなってくると、感染の「第6波」が来るかもしれない。その時は、今の少し緩んだ空気では想像できないほど、また、自粛が、強く叫ばれる可能性もある。

 その時に、経済活動とは別の視点で、高齢者層と、若年層には、行動制限の緩和を、そういう時期でも、考えるべきではないだろうか。もちろん、やみくもに動いて感染を広げる、といったことはしない方がいいのは当然だし、時間は誰にでも平等なのは前提だと思う。

 それでも、高齢者の「あと1年」と、若年層の「この1年」の重さや貴重さは、他の年齢層よりも、(例えば、私のような中年世代の1年よりも)質が違うのではないだろうか。

 高齢者にとっては、いまやらないと、来年は自分が生きていないかもしれない。
 若年層にとっては、今年おこなわないと、生涯にわたって、取り返しがつかないかもしれない。

 そうしたことの重要性を、フェアな視点で再検討し、そして、第6波が来たとしても、経済的な視点とは別に、やや大雑把な表現をすれば、「人生の質」や「社会の質」に大きく影響することとして、若年層と高齢者層の行動制限に関しては緩和し続ける。

 そういう社会的な合意を得る努力や議論も、感染の少し落ち着いた今の時期に、感染拡大した場合の医療的な対策と並行して、おこなうべきではないか。

 そんなことを、また政治が変わるかもしれない時に、改めて思うようになった。


 まだ、未熟な思考なのは分かっているのですが、読んでもらった方に、ここから先を、少しでも考えてもらえたら、幸いです。



(コロナ禍の初期に、コロナ後の視点まで触れているので、今読んでも、有効な本だと思います↓)。





(他にも、いろいろなことを書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。




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