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『「35歳問題」を、改めて考えてみる』。(後編)。

 これまで数限りなく例えられてきて、でも、こういう時につい使ってしまうのが、人生を坂道として語ることだけど、それは、わかりやすい比喩ということなのだろうか。

 そして、いわゆる「35歳問題」も、坂道を下る難しさではないか、と考え始めてしまっている。

上り坂と下り坂

 若い時は、坂道を登っているようなものだと思う。しんどいけれど、先は見えない。坂の頂上の向こうには、何があるのか分からない。だから、とても素晴らしい景色が開けている可能性もあるし、まだ見えないから、そう思い込んでもおかしくない。

 見えない未来には、まだ希望が託せる。

 だけど、「35歳問題」というのは、坂を登り切った人の感覚なのだと思う。振り返ると、今まで登ってきた坂が見える。だから、まだ、先の下り坂は遠いかもしれないけれど、これから同じように(そこに老いというマイナスな要素まで加わる)、下ることになる予想はつく。

 一歩ずつ進む。降っていく。下り坂の下り切った先にあるゴールまで見えてきている。上り坂の時から、ゴールに何があるのかは頭でわかっていても、それは坂の頂点は見えても、その先は、はっきりとイメージするのは難しかった。

 坂を下るというのは、40代になったら、一般的にはまだ遠いとしても、「死」が先にあるのが、見えてくる。というよりも、それが明確になり、他の人生を生きるのは無理だと感じるのも、「35歳問題」の要素の一つかもしれない。

 分からないことは不安になる。分かってしまうことは退屈につながる。不安は希望にも近いが、求めた安定が少しでも達成されると退屈になる。

 勝手なものだけど、そんな状況を迎えた時に「35歳問題」に見舞われるようにも思う。

 見えてしまう。分かってしまう。挑戦すれば、また何かあるかもしれないけれど、失敗すれば手にした安定がなくなる。そう迷って、でも、無謀な挑戦はできなくなるから、余計になんとも言えない気持ちの晴れなさが、やってくる。

 人生が閉じていく、という実感だけが増えていく。

 こんなものか、と思えるような人生が見えてきて、かといって、別の人生を選択はできない。それが、本当にリアルに分かってくるのが「35歳問題」だから、何をしてもその曇りが晴れることはないのだろう。

経験したこと

 50代の男性が自らの人生を振り返って、20代までは進学・就職・結婚と大きなイベントが立て続けに起こり濃密だったけれど、30歳を過ぎるとあらかたのことを経験しきってしまい夢も希望も失われていく。人生80年というけれど、実際のところ30歳くらいでほとんど終わってしまう。

「前編」でも引用した、この視点について、こう思ってしまった人に対しては、何かをすればいいのでは、というようなアドバイスはされそうだけど、おそらくは、解決ができることではないのかもしれない。

 新しいことをするのはリスクもあるし、もしも、子どもがいれば、進学の費用や、住宅を購入すればローンがあったりして、そうした事実は、自分が選んだこととはいえ、それが、新しいことをすることを許してくれない。

 ゆっくりと下っていく。

 それまでに身につけた習慣のような動きで、それこそ、頑張っても、頑張らなくても、たいして変わらないのではないかと思い、実際、それほど変わらないのだろう。というよりも、とにかく頑張っても、現状維持が精一杯で、ここに新しいことを経験する余裕はない。

 新しいことをすることなんて、ある程度の年齢になったら、できないのではないだろうか。

新しいこと

 とても個人的なことだけど、いろいろな事情が重なり、仕事を辞めて、介護だけをする生活に入ったのが30代だった。

 希望を持つと辛いので、希望を持たないように過ごしていた介護に専念する生活が10年に及ぶ頃、介護者を支援できる専門家になろうとして、勉強を始めた。それまでは、人生が閉じていくというよりは、もう人生は終わったと思っていた。

 その頃、介護をしていた母を亡くして、義母の介護を続けていたのだけど、資格を取ろうと思った時に、あれだけ、もう終わったと思っていた今の自分が、いろいろな意味で恵まれていることに気がついた。親が残してくれたお金で、大学院へ行けるチャンスはできたし、一緒に介護をしていた妻も、その選択に賛成してくれた。

 その入試をクリアするために独学で勉強を始め、模擬試験だけは何度か受け続けて、本格的に勉強を始めてから3年後の受験には失敗して、ずっと合格しなければ、資金は減る一方なので、その機会を失いそうだったが、幸いにも、二度目で受かって、学校に通うことができた。

 全部が、新しいことだった。自分より、はるかに若い人たちも、同期だった。
 特に、介護をしながらの学生生活、というものに慣れなかった最初の1年間の時間の流れ方は、明らかにゆっくりになっていた。

 新しいことを経験するのは、辛かったけれど、楽しかった。
 学問と言われるものが、ほとんど生まれて初めて、楽しかった。それは、自分の体質を変えていくような辛さもあったのだけど、それも含めて充実感があった。

 これまでずっと高齢者の中で過ごしてきて、病院と家の往復しかしてこなかったので、学ぶことの大変さよりも、息ができるような思いが上回っていたし、周囲には若い人たちもいて、同期の人たちも、学校の関係者の人たちも優しかったし、本当に楽しかった。

 それは、2010年から、2013年まで続いた。

 新しいことを始めるのは、確かに、時間の流れを遅らせることもできるし、人生が閉じていく思いから、自由になれるのは、事実だと思う。

突然の「介護の終わり」

 2018年の暮れに、突然、介護が終わった。約19年間の介護生活だった。
 体調を整えるのに、意外と時間がかかって、その頃にコロナ禍になった。

 家族や自分の持病のこともあり、感染を予防することを優先し、外出も自粛したせいもあり、仕事を増やすこともできなかった。それでも、少し仕事が増えたのは幸運だったが、それ以上の進展が見込めなかった。

 外出を自粛したままでもできる、新しいことも始めようと思って、恐る恐るnoteの投稿を始めて、それまでと違う感覚があったのだけど、2年続けることができて、365日連続投稿も達成したものの、当然ながら、そのことで何かが劇的に変わるわけもなく、そのことはわかっていたつもりなのだけど、少し無力感もあった。

 そうすると、先が見えてきた気になった。

 あれだけ学んでいる時は楽しかったのに、仕事を探しはじめてから、見つからない現実を改めて感じ、このままだと資格をとっても、いわゆる「持ち腐れ」になるかと思った時に、介護者の支援の仕事を得られた。それはとても幸運だったが、仕事は月に1日だった。

 それは、月に1・5回に増えたし、個人的には希望通りの仕事だから、続けられていて、それは恵まれていることと思っているものの、ちゃんと仕事をしていけば、他の場所への広がりがあるはずと思っていたのに、それもほとんどなくて、自分の仕事のやり方に問題があるのかもしれないが、確実に年月がたち、自分の歳も確実にとっていく。

 先の見通しの暗さだけは、はっきりしてきた。

遅れてきた「35歳問題」?

 そんなことを、やはり、リアルに思うことが多くなったし、そうなると、何をやっても無駄ではないか。これから、頑張っても、事態が好転することは難しそうだから、そんなに頑張らなくても同じではないか。

 何をやっても、人間はいつかは死ぬし、そのいつかは、年々、近くなっていくのだから、全てが、無駄なのではないか。

 いわゆるニヒリズムに気持ちが侵食されそうな時が多くなったけれど、それは、毎日、介護が必要な人が亡くなってからではないか。暮らしの余裕ができたわけではないし、今のままだと苦しくなるのも目に見えているのだけど、考える時間ができたことで、もしかしたら、自分にとっては、とても遅れて「35歳問題」がやってきたのかもしれない、とも感じた。

 もし、自分が今も介護を続けていて、目の前のことに追われていたら、もしかしたら、この気持ちの晴れなさは、今も感じていなかったかもしれない。

「安定」と「老い」

 だから、それはある種の「安定の憂うつ」の可能性もある。

 介護の最中は辛いことも多かったし、介護の専念の選択に対して、後悔もしたことがなかったのに、つい最近になって、介護をしなくて、社会的な仕事を続けていたかもしれない「あり得なかった可能性」が、ふと気持ちをよぎることまであった。

 それは、決して後悔ではないし、何かを恨むのでもないし、「介護をしない選択」が、自分にとってはあり得ないのも分かっているのだけけど、社会的な蓄積をする30代から40代を、介護をしないで別な道を歩いていた自分、という抽象的なイメージだけが浮かぶことも、あるようになった。

 もちろん、可能性もなかったし、願望も薄いし、おそらく華々しい成果をあげることもなさそうだから、具体像を結ぶことはなかったが、そんな「別の可能性」についてイメージが生じること自体が初めてだったので、自分に対しての、戸惑いもあった。

 つまりは、考える時間があるという、恵まれた状況にいるからこその、憂うつなのだろうか。

 もちろん、それは、遅い分だけ、より取り返しがつかない実感が強く、悲しさよりも、絶望に近い感覚で、その無力感に負けると、本当に気力や体力まで奪われそうな気持ちになる。

 これが「35歳問題」の感覚に近いとしたら、遅れてきた分だけ、より「症状」が重くなっているのかもしれない。介護専念後の年月の中で、実は、楽しく思えた時でさえ、もう実質的には終わっていたのではないか、といったように、過去の捉え直しをしてしまうと、さらに、絶望的な思いにつながるのかもしれない。

 これは、単純に「老い」なのだろうか。
 この気持ちのまま生きていくと、何を考えているのか分からないけれど、表情がとても暗い老人に近づいていくのだろうか。

 病院の中で、一人で車イスに座って、窓の外を見ていたのか、見ていないのか分からないし、背中しか見えなかったけれど、そこにはっきりと孤独があるように見えた高齢の男性がいたことを、こんなことを考えていると、その光景とともに、思い出す。

 この感覚は、コロナ禍も影響しているように思う。

雇用問題

 ただ、それは、未来に希望という明るさが見えずに、大変さだけがはっきりと見えるという、社会的な状況が、より、その「症状」を強くしてしまう側面もあるように思う。

 このままだと、過酷で孤独な労働を、高齢者になってもしているような未来しか見えなくて、それが、とても不安で、暗い気持ちになった。

 だけど、そうではない未来も、もしかしたらあるかも、と思える表現はある。

 働く場面での年齢差別が厳格に撤廃され、定年という概念がみんなの頭から消えたら、多様性が拡がって、生きるのが楽になるんじゃないか?
 定年制撤廃、退職金課税制度の見直し、最低賃金1500円、非正規が入る大規模な労働組合、できたら私のようなフリーランスが加入できる労働組合も欲しい。

  この本↑の中に、こうした指摘があって、確かに元気であれば、いくつでも働けること。それが、建前でなく、本当に可能であれば、将来の暗さは確実に減る。

 さらに社会保障のことは、昔は、70歳以降は、医療費が無料という時代があった。そのことで、安心感があったのも事実だと思う。今後、そうしたことは難しいとしても、歳をとって、病気などになったときに、社会で支えられるような制度ができれば、先の暗さは、さらに減ると思う。

 こうしたことを言うと、若い人の財源が減る、といった指摘が多くされそうだけど、年齢に関わらず、弱ったり、困っている人に対して手が差し伸べられる社会にしないと、結局は、とにかく切り捨てられる社会になるだけのような気もする。

 指摘しておかなくてはいけないのは、しばしば「コロナの前の社会に戻りたい」という声を聞くけれど、それはおかしいんじゃないか、ということです。コロナの前から私たちの社会にはさまざまな問題があって、結果として今のような、多くの人が理不尽に苦しむ状況が生まれてきた。それなのに「コロナ前」に戻ってしまったら、また同じことを繰り返してしまう。ただ「戻る」では駄目なんだということは、強調しておきたいと思います。      (中島岳志)

 年老いて弱っても、若くして困っても、年齢を問わずに厳しい状況にいる人を、誰でも助けられるような社会になれば、「35歳問題」も、ちょっと様相は変わってくるかのかもしれない。

 この作品↑『本心』では、「自由死」が選択できる社会になり、それでも、その「自由死」を強制されることがあるのではないか、という指摘がされる場面があるが、確かに、現実でも、このままだと「延命措置」を望むこと自体が、否定的に見られる未来が来てしまう可能性も高い。

 そうなると、人生の閉じる感覚は、一層、早く、しかも重く訪れてしまうかもしれない。

「長く生きる」ということ

 それでも、この「35歳問題」という言葉に象徴されるような、ある程度以上の年月を生きて感じる悲しさのようなものは、自らが死ぬことを知っている人類特有の感覚ではないだろうか、とも考えられる。

 しかも、平均寿命が飛躍的に伸びた20世紀以降、この「35歳問題」も、70歳くらいまでは生きられる、ということを前提に語られているから、70歳が「古希」(古来まれ)と表現されるほど少数だった時代には、存在したのだろうか。

 どこまで本当なのか分からないものの、武士は、どうやって死ぬか。ばかりを考え続けていたとも言われるが、その頃の庶民にしても、現代よりも、死が近いところにあったはずだ。

 その一方で、極楽浄土といって、あの世の存在の感じ方リアルだったはずなので、また死の意味合い自体が違ってきてしまうから、複雑になってしまうが、それでも生きている時間は、今よりも圧倒的に短く、その時には、「35歳問題」のようなものは存在しにくかったように思う。

 そうであれば、「35歳問題」は寿命が長くなり、考える余裕ができた人類が、初めて直面する課題なのだろうか。

大人と成熟

 自分が生きていく未来に対して、漠然と希望が持てなければ、生きていく気力は湧きにくい。若い時、これから先に厳しいことばかりだったり、そこまで行かなくても、平凡な穏やかさがベースのぎりぎりの安定しか手に入らないと分かっていたら、向上心のようなものを持ちにくいかもしれない。

「35歳問題」は、先のことが分かるくらいの経験と、自分の能力を正確に把握する知性と、そして、それが見えてしまった時の悲しさのようなものを、感じ取れる能力までが必要になる。

 だけど、それが、本当の意味で、大人になる、ということかもしれない。

 そして、それを前提として、希望がない未来に向かっても、大人としての責任を果たすべく、やるべきことを淡々と続ける。その先に、特にいいことがないし、自分の能力が劇的に上がることがないのを知っていても、放りだしたくても、やめない。

 その年月が続き、さらに「老いる」という決定的な下り坂と、荒れた道になった中で、ゴールは「死」だと分かっていても、それを続けることができたら、それが、「成熟した大人」になる、ということなのではないだろうか。

自分にとっての「35歳問題」

 そう考えて、自分自身のことを振り返ると、「35歳問題」に直面するべき時に、介護に専念せざるを得ない毎日になったことによって、それを考える余裕も失ない、その悲しさに襲われることもなかった。介護だけの毎日になり、自分の人生は終わった、という感覚が強すぎたせいで、人生が閉じる感覚を感じられることも少ないまま、年月が過ぎてきた。

 だから、介護が終わってから、「35歳問題」は、そこに過ぎた年月が加わったおかげで、より重くなってしまったものの、もしかしたら、とても恥ずかしい話なのだけど、やっと、本格的に、そのことと向き合う時が来たのかもしれない。

 希望のない未来だとしても、やるべきことはあるので、それを淡々と行う毎日を過ごせれば、「成熟した大人」へ歩み始められるかもしれない。

 だから、やけに苦味のある時間が増えたけれど、それが、昔見ていた、やたらと渋い表情や、ふと暗い目をする「大人」に、ようやく自分が近づいたということなのだろう。

 とすれば、「35歳問題」を、その時期を、かなりすぎてから、考えている私自身は、これまで、年齢のわりに未成熟で、だから、悲しさや虚無感を抱えきれず、ニヒリズムに負けそうになっていたのだ、というシンプルな結論にたどり着く。

 そんなことに気がつくと、恥ずかしさと共に、ちょっと力が抜けて、少し笑いたくなるような気持ちになる。


 ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
 今回は、特に、そんな感謝の気持ちになっています。



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