テレビについて㉚ハマ・オカモトの絶妙な「距離感」の理由を考える。
テレビ朝日の深夜にはバラエティが増えて、他の番組との予約録画調整も含めて、勝手に気持ちが忙しくなっている。何回か見て、視聴をやめたりも含めて、やることが増えた気がする。
そういう勝手な気ぜわしさの中で、時々、まったくノーマークだった番組が、急に面白くなってくることもある。
「ハマスカ放送部」
OKAMOTO’S のベーシスト、ハマ・オカモトと、乃木坂46の齋藤飛鳥の二人で、基本的には番組を進行している「ハマスカ放送部」は、最近までは、個人的には、他局の番組との都合で見られなかったのだけど、ふとしたきっかけで、見始めたら、妻が特にハマ・オカモトのことを、やけに気に入っているようだ。その理由を聞いた。
「有名人の子供という、生まれ育ちもあり、それほど前に出たがらない感じ。自分が、本当に好きなものに対して、真摯に取り組んでいで、それを仕事にしているのがいいな、と思って。いろいろな人と関わって、接していても、そのスタンスを柔軟に崩さないのがすごい。それで無理していない感じもあって、そういうことも好き」。
そういえば、FMラジオの番組でも、ハマ・オカモトがパーソナリティの時に聞くことが多くなっている。
確かに、このラジオ番組でも、音楽そのものが好きなんだろうな、といった熱が伝わってくるので、好みにもよるだろうけど、私も聞いていて、この番組では「副店長」という設定のハマ・オカモトがパーソナリティの時は、聞くことが多くなった。
その好感度の蓄積のようなものがあるから、「ハマスカ放送部」も継続して見るようになったのかもしれない。
親子
OKAMATO’Sというバンドを知ったのは、メンバーが全員、岡本太郎が好きで、それでバンド名もつけた、というエピソードからだった。その程度しか知らなかった。
あるとき、新年の深夜のラジオで、そのメンバーの一人がラジオで、聞き慣れた声と話をしていた。
相手は、ダウンタウン・浜田雅功で、そのナビゲーターを務めていたハマ・オカモトとの会話を聞いていたら、浜田雅功の声の響きが、これまでに聞いたことがない気配があったのに気がつく。
夜中だったはずだけど、ボリュームを上げたら、この二人は親子だったことを初めて知った。同時に、こんなに優しく親らしい声と言葉を浜田が出していることが新鮮だったけれど、すでにメジャーデビューもして、こうしてラジオのパーソナリティもしているのだから、息子が成功しつつあることに対して、もしかしたら、親としての嬉しさもあるのだろうか、と想像して、ちょっと気持ちが緩んだことを覚えている。2013年のことだった。
1月3日、ナビゲーターを務めるラジオ番組「RADIPEDIA」にて浜田雅功と初共演。
母の気持ち
そして、ここまで親子関係を、公表しなかったことについて、母・小川菜摘はブログの中で、こう書いている。
『ジャンルの違う仕事でもあったし、自分自身のキャリアをしっかりつけてからの、自然な流れで言いたかった、、』と言う事。
さらに、小川は、このように続けている。
これだけは長男の名誉の為に言います、、
彼は、中学1年のお祝いでベースを買ってもらった日から、1日も欠かさずに、独学で練習をしてきました、、、今も家に居る時は練習を欠かしません
インディ—ズでスカウトされた時も、家の息子だと言う事を事務所は知りませんでした、、、
デビューしてからも私達が何かをお膳立てした事は1度もありません、、。
それは、もちろん息子も望んでないし、私達もそれをすることが全く息子の為にはならないカッコ悪い事だと思っているからです。
だから、今までも、これからも、彼は自分の力で道を切り開くでしょう、
母親が書いているということを差し引いても、こうしたハマ・オカモトのこれまでの歩みについても、視聴者として、同じようなことを感じているので、もしかしたら、ハマ・オカモトに対して、敬意も蓄積しているのだと思う。
アイドル番組
アイドル番組というのは、今は週に何本もあって、司会はプロの芸人であることも多い。そして、今はグループアイドルが多いので、かなり多数の人数に対して、近過ぎず、突き放し過ぎず、という難しい距離感が要求されるはずだ。
その上、雑な扱いで、距離を縮めたり、それによって注目を集めることで「おいしい」思いをさせればOK、といった、以前だと重宝されたように見えた方法も、今は通用しない、と思うのは、視聴者の意識も変化しているからだろう。
それに、それなりの年齢の男性芸人が、若い女性の出演者に対して、距離を縮めすぎると、すぐにセクシャルハラスメント、という批判がくる。それは、当然だとも思うのだけど、そうした変化によって、以前と比べれば、こうした番組の司会進行は、より難しくなっているように思う。
オードリーの距離感
オードリーが司会を務めているアイドル番組を、時々見ているけれど、微妙な距離感を保っているように思う。それを可能にしているのは、一つは呼び名のような気がする。以前だったら、若い女性を年上の男性が呼ぶときは、「〇〇ちゃん」が多かったけれど、オードリーは、そのアイドルの愛称を呼んでいる。
その距離感を保ちつつ、たとえば、若林のファンと公言するようなアイドルとも、微妙に距離を縮め過ぎず、全体を見渡す感じを崩さない。
今の時代は、もともとフレンドリーではなく、どちらかといえば人とのコミュニケーションが少し不得意くらいで、そこから、工夫して距離感を合わせる努力をするような距離感が、現代のアイドル番組には、ふさわしいのかもしれない、と思わせる。
ハマ・オカモトの距離感
「ハマスカ放送部」は、テレビ局の企画の視聴者の投票で1位の成績をおさめ、午前2時台から午前12時台へ「昇格」した。
4月に入って、「ハマスカ放送部」12時台の「第1回」が終わったが、今のところ、午前2時台と、それほど変わらない気配で番組が進んでいるように見える。
以前は、放送時刻が変わると、急にテンションも変化して、それで、それまでの面白さが減ってしまうことが少なくなかったが、最近の夜中のバラエティは、そうした、それまでの失敗を踏まえて、変えない番組が増えたような気がする。
そして、ハマ・オカモトと、齋藤飛鳥の距離感も、つかず、離れずの絶妙さが変わらないようだった。
30歳の男性が、20代前半のアイドルと二人で番組を自然に進めていくのは、思ったよりも難しいと感じてしまうのは、やはり、変にテンションを上げても、下げ過ぎても、視聴者にとっては不自然だったり、不愉快に映りそうなのだけど、その自然な距離感を一人で保つのは大変そうに思ったからだ。
コンビの芸人が司会の場合は、もっと多人数と番組をしていくから、必ず二人はいるけれど、おそらくは二人になっただけで、進行のやりやすさは、かなり違うはずだから、一人で自然に進行しているハマ・オカモトは、思った以上にすごいのではないかと思う。
アイドルの齋藤飛鳥に対して、「飛鳥さん」と呼ぶことで、一定の距離を保ちつつ、言葉使いを崩し過ぎずに、だけど、距離が遠くなり過ぎず、さらに固くならないように振る舞っている。
すべてを世代の違いで区切るのは愚かなことなのだけど、それでも、個人的な実感として、若い世代ほど、自然な男女平等の感覚があるように思うので、ハマ・オカモトの距離感も、年齢のことも関係あるかもしれない。それでも、この感じが保てるのは、もしかしたらハマ・オカモト固有の、生まれや育ちも関係しているかもしれない、と思ってしまった。
距離感の理由の推測
両親が有名人で、父親が浜田雅功であれば、ハマ・オカモトの幼少期は、どこまで家族ぐるみの交際などがあったか分からないけれど、両親ともに芸能人であれば、少なく見積もっても、いろいろな「有名人」が、ハマ・オカモトに対して、気を使って、あやしたりしてきたはずだった。
その中には、女優もいただろうし、日常生活では会うこともないような人たちに、もしかしたら幼少期には接してきた可能性もある。そうなると知らないうちに、美人や美男に対しても、もしくは「大御所」に対しても、驚きもなく普通に接することができる感覚が育っているのではないだろうか。
誰を相手にしても、自然でいられる。それで、無駄な緊張もなくなる。
そうなれば、相手がアイドルであっても、誰であっても、その人のことを見て、その距離感の調整はしやすくなる。
それは、本人も意識しているどうかは分からないが、本人の努力や工夫以上に、もともと備わった感覚があるとすれば、それは真似が出来にくい。
2020年代の感覚
昔であれば、いかに仲良くなるか。言葉を変えれば、より近づくことによって、その場を盛り上げたりしたのだけど、今は、それは、場合によっては歓迎されないし、アクリル板で仕切られていては、さらに、やりにくい。
だから、ハマ・オカモトの適度な距離を持つような「平熱」のテンションでの番組進行は、それまでのセクシャルハラスメントにつながりがちな進行から比べると、とても現代にフィットした、2020年代の感覚なのかもしれない。
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