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どうして、クルマの「顔」は、怖くなっているのだろう?

 何台もクルマを所有したり、何台も買い替えたりするような、本当の「クルマ好き」な人がいるので、そういうことを想像すると、私のようなクルマを所有もしていないし、免許は持っているけれど、運転しないからずっとゴールド、のような人間に、クルマに対しての発言権はないような気もしているが、それでも、気になっていることはある。

 クルマの顔は、最近になって、どうして怖くなる一方なのだろうか?


クルマの「顔」

 もしかしたら、なんでも擬人化するのは便利でもあり、愛着を持てるようにするのに「近道」だから、気がつかないうちに多用し過ぎているのかもしれないが、クルマの前面から見た姿を、「クルマの顔」と思っている。

 ただ、クルマを運転する機会もないと、その感覚が一般的かどうかも分からなくなるが、それは、少しでも検索すると、どうやら、多数派らしいことは知った。

人間は、シミュラクラ現象(人間の目には3つの点が集まった図形を人の顔と見るようにプログラムされている脳の働き)を持っています。
自動車のフロントを人の顔にすることで、それを見た人に敵対的か協力的か、見知らぬ者か近親者かの印象を与えることが出来るからです。

 フロントを人の顔にすることで、ドライバーとコミュニケーションをとりやすくしているそうです。
 シミュラクラ現象により、ドライバーはすぐに自動車を認識することができます。
 ウィンカーなどの合図を出されたとき、相手が何を伝えたいのか無意識的に理解しやすい仕組みになっているんです。
 自動車の後ろ側も人の顔っぽいのはそのためです。

(「CREATORS STATION」より)

 こうして、意識的に「顔」にしているのだから、道路に走っているクルマを見ているだけ、という人間でも、その「顔」に対して好みが出てくるのも、自然なのではないか、と思えてくる。

丸い目

 比較的、日常的にクルマと接していたのは、子どもの頃、父親が運転して、休日あちこちにドライブしたがっていた頃だった。

 日曜日になると、それほど乗り気でなくても、特に小学生の頃は、それほど強い拒否権もなく、いろいろな場所へ行って、だから、おかげで観光もできた。もし、そういうことがなければ、ずっと出かけないような子どもだったから、もっと見聞は広がらなかったはずだ。だから、結果的には、良かったような気もする。

 そのとき乗っていたのが、トヨタの「コロナ」だった。2020年以降に、やたらと名前だけは聞くようになったので、改めて思い出したりもしたが、たぶん、その頃、大衆車と言われ、多くの人が乗っていたはずだ。

 この記事の中の画像を見ただけで、昔、父が運転したいたのが、「トヨタ コロナ R T50型」だと、懐かしさと共に、あ、これだ、という確信もやってくる。

 それほどこだわりもなく、知識もなく、大人になってから免許はとったものの、クルマを所有したこともなく、運転もほとんどしなくても、こんなに覚えているのは、自分でも意外だった。ちょうど、ポマードをつけて、髪をきっちりと七三に分けるのが、当時の「サラリーマン」の基本だったけれど、その「顔」と、このときの「コロナ」は似ているように見える。

 そして、その頃からの印象のせいか、クルマの前面を「顔」とすれば、その「目」にあたる部分は、ライトのはずだから、その「目」が丸いのが、オーソドックスだと思っていた。
 もちろん、素人ながら、素朴に考えれば、ヘッドライトは、丸い形の方が、自然に光を遠くまで効率的に届けられるはずだから、懐中電灯と同じように丸いのが自然なのだろうと思っていた。

 ただ、その後、技術的な進歩もあり、そのライトは細長くなり、そして、気がついたら、道行くクルマの「目」は、どんどん吊り上がって、怖くなっていた。そうなると、自分は、丸い目の方が好きだったと分かったりもする。

怖い「顔」の流行

 クルマに関しては、素人なのだけど、この「クルマの顔は怖くなっている」という印象は、少しでも検索すれば、どうやら、間違っていないのは、わかった。

調査の結果、“オラオラ顔の車はナシ”という人の割合が5割強という結果となりました。中には、「はっきり言ってカッコよくない」というストレートな意見も。

(「モータ」サイトより)

 ただ、ちょっと意外だったのは、この記事↑は、2019年で、限られた範囲かもしれないけれど、「オラオラ顔」≒「怖い顔」に対して、反対意見の方が多かった、ということだった。

 だけど、明らかに、その後もクルマの顔は「怖く」なる一方なのが歴史的な事実のようで、2020年は、ヘッドライトの技術的な裏付けも含めて説明してくれているが、すでに、「怖い顔」がトレンドのようだった。

ヘッドライトは自動車製造の黎明期である19世紀には誕生し、最初は灯油や可燃性ガスを燃やした火で照らす燃焼式でした。
 その後電球が発明されると20世紀にはクルマにも搭載され、規格サイズのシールドビームがアメリカから普及すると、より長寿命で明るいハロゲンヘッドライトが登場。
 さらに放電によって光るHIDが誕生し、現在はLEDヘッドライトが一般的になりました。
 初期のLEDヘッドライトは高額だったことから高級車を中心に搭載されましたが、コストが下がったことで、いまでは軽自動車やコンパクトカーにも採用されています。
 LEDヘッドライトの利点としては、長寿命で明るくて消費電力が少なく、高機能化やデザインの自由度が高くなるなどが挙げられ、なかでもこれまで不可能だった形状のヘッドライトが可能となりました。
 
 近年は吊り上がった形状のシャープなデザインがトレンドで、ほかのクルマを威嚇するような顔が増えた印象があります。

(「くるまのニュース」より)

 さらに1年がたった2021年の頃は、「優しい顔は売れない」と分析されるようになっている。

親しみが湧く優しめのデザインは、ホンダ フィットを筆頭に、販売面で伸び悩んでいる印象がある。

 そして、その理由の一例として、個人的な体験も書いている。

 私が最も衝撃を受けたのは、60代の姉夫婦が、昨年、「クラウンからヤリスに買い替えた」と聞いた時だった。
 典型的なクルマ無関心派である姉夫婦が、まさかあの毒虫顔のヤリスを買うとは! 私は内心激しい衝撃を受けた。

 一般ユーザーは、もはや強烈な顔に慣れ切っていて、抵抗がないのである。
 ではなぜ、強烈な顔に慣れたのか。
 それはもう、街行くクルマの多くが、強烈な顔になったからである。日本のユーザーの大多数を占めるクルマ無関心派は、自分だけが目立つことは嫌うが、みんなが強烈なら赤信号も怖くない。

(「ベストカー」web)

 強烈な顔≒「怖い顔」だと思うし、この記事の中で、どうして、「強烈な顔」が主流になったのかの分析をしているけれど、それについては、毎日のようにクルマの顔が怖くなっていく中で、素人なりに考えたことも納得させてくれるような理由だった。

要因はふたつある。第一に、ヤンキー需要の相対的な増大がある。

 日本でクルマ離れが言われて久しい。もはやクルマを最初の車検ごとに買い替えるような風習はまったく見られなくなくなった。多くのユーザーが、1台のクルマを大事に長く乗るようになり、「もっといいクルマに乗りたい」という上昇志向もなくなった。
 が、ヤンキーは違う。もっと目立つ、もっといいクルマに乗りたいと思っている。彼らは相対的にクルマ消費に積極的である。

 彼らの思いにズバリ応えたのが、アルファード/ヴェエルファイアだ。正確には、先代ヴェルファイアと現行アルファードである。
 現行アルファードが登場した時、ハイエース等に乗る職人さんからの視線が猛烈に熱かった。それはもう、食いつかんばかりだった。クルマ好きからはデザインを全否定されたが、結果的にアルファードは大ヒット。ヤンキー系御用達どころか、セレブまでこぞって乗るようになり、大増殖した。
 アルファードがそこらじゅうに走っていれば、どんなオラオラ顔も控え目に見える。すでにオラオラ顔は全ミニバン及び全軽ハイトワゴンに波及しており、慣れは全国民に広まっている。

(「ベストカー」web)

 ヤンキー需要に関しては、知らないことだったが、そこからセレブまで広がる現象も、納得がいく理由だった。江戸時代の女性の日本髪は、最初は、歌舞伎や遊女の世界から始まり、上流階級まで広がった歴史があるから、そういうことは、繰り返されるのだと思った。

あおり運転問題もオラオラ顔の追い風になった。優しそうなクルマに乗っていると、何をされるかわからない。主婦層までもが――というより、主婦層があえて「なるべく強そうな顔つきのクルマに乗りたい」と思うようになった。恐るべき大転換である。

(「ベストカー」webより)

 この分析↑も、納得のいくものだった。

 もうひとつの要因は、自動車デザインのグローバル化である。
 欧米では、デザインで目立つことは決して悪ではない。特に北米は、大地がケタはずれに広いこともあって、昔からピックアップトラックを中心にオラオラ顔がスタンダードだった。
 欧州には、「周囲を威嚇するデザインは好ましくない」という良識があったが、アウディのシングルフレームグリルのヒットでその流れが徐々に変化。こちらも周囲を適度に威嚇するのがアタリマエになった。

海外で売れるクルマを作るためには、日本車もデザインを攻撃的かつ個性的にする必要がある。

 バブル崩壊以来、国内需要は年500万台前後で横ばいから低落傾向を示す一方、海外需要は増大したため、日本車もグローバルモデルが多数を占めるようになり、攻撃的なデザインが主流になったのである。

(「ベストカー」webより)

  ここまで理由を並べられたら、クルマの顔が優しげになったり、可愛くなったりすることは、もう二度と来ないのではないか、と思うほどだった。

  それでも、丸い目をしているクルマの方が、好きだから、購入する予定も、経済力もないのだけど、できたら、右ハンドルだし「ミニ」の「顔」がいいかも、などと今も、勝手に思っている。

流行の変化

 最近、テレビのCMで、いわゆる海外の高級車が、黒っぽく、いかつく、それは、まるで、駐車している時の「バットモービル」に似ているように見えた。

 もう、クルマは、家から出ると、そこは敵だらけ、だから、クルマはなるべく防御力も強くして、外見は相手を威嚇できるように、という流れが決定的になったのではないか、とちょっとショックだった。

 クルマは、これから兵器のような方向に近づいていくのだろうか、といった重めの予感を抱いてしまったからだろう。

 ところが、それでも、またクルマの「顔」は変わりそうだと、2023年の記事には書かれていた。

クルマの印象に大きな影響を与えるのがグリルです。フロント部中央にある金属製の格子のこと。その奥には冷却器が備え付けられて、エンジンやエアコンの冷媒を冷やしています。つまりグリルは、れっきとしたクルマの機能部品ではあるものの、ヘッドライトとあわせたデザインが「顔」をつくり、そのクルマの外観の大きな特徴となります。

 グリルはキッチンにあるのは知っていたが、クルマの「顔」の要素として、あれが「グリル」と言われているのも、ここで初めて知り、そして、さらに「流行」が変わるかも、という情報まで知った。

また、2023年2月に公開された新世代のプジョーのセダン「508」も、グリルとボディが融合するようなデザインとなっています。グリルとボディの融合は、まさにデザインの最先端と言えるでしょう。

 では、こうしたデザインは、なぜ生まれたのでしょうか。トレンドの誕生は、世の中の空気が生み出すもの。そこで考えられるのがEVという存在です。今、クルマ業界の中で話題の中心になるのがEV。そしてEVにはエンジン車にはない、デザイン上の大きな特徴があります。

 それが「グリルレス」です。EVは膨大な熱を発する内燃機関(エンジン)がありませんから冷却器は小さくてかまいません。そのためクルマのフロント部に開口部が必要なく、そのための金属枠=グリルが必要ないのです。テスラの各モデルやフォルクスワーゲンのI.Dシリーズ、トヨタの「bZ4X」などは、どれもグリルがありません。

 グリルとボディの融合は、新しい提案です。そのため人気が出るか出ないかは、これからの話。ユーザーの好みは、意外とコンサバだったりもします。ユーザーは、大きなグリルに飽きているのか、それとも“オラオラ”顔はまだまだ支持されるのか。新しいデザインを採用したモデルの売れ行きに注目です。

(「乗りものニュース」より)

 個別な車種に関しては、知識もなくイメージが湧きにくいのだけど、EVは、電動のクルマというのはわかるので、ライトがLEDによって、クルマの「目」も変わったように、EVという新しい技術の裏付けがあると、そのデザインの変更についての説得力が増しそうだ。

 その「グリルレス」と言われるデザインが、EVの象徴ともなれば、そこに流行が移っていくような気もする。


 個人的には、道路を走るクルマの「顔」が、少しでも「怖く」なくなっていけば、その方が、ちょっとうれしい。




(他にもいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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