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言葉を考える⑲「敷居」と「ハードル」。

 言葉は変わる。

 というよりは、言葉の使い方が変わっていって、その結果として、言葉は変わっていくのだろう。


敷居が高い

 おそらく20世紀までは「敷居が高い」という表現は、今よりも多く使われていた印象がある。

 辞書には、こう書いてある。

不義理なことや不真面目なことを重ねてばかりいるので、その人の家に行って会うことが出来ない気持ちになる。(近年、俗に値段が高い店のことなどについていう場合もある)

’「新明解国語辞典 第八版」より)

 今でも、特に年齢が高い人たちは、この表現を使う傾向が強いとは思うのだけど、21世紀に入ってから、あまり使われなくなった印象が強い。

 シンプルに考えれば、「敷居」というものを目にする機会が減ったせいだろう。

「敷居は、引き戸の下部に設けられた溝の彫られた部材のことです。障子や襖をはめ込み、溝を滑らせて開閉するもので、もともと伝統的な和室において、和室と隣室、和室と廊下の間や玄関に設けられてきました」

(「SUUMO」より)

 家の中に和室がなくなれば、障子や襖も必要なくなるから、敷居自体も目にすることはなくなる。2020年代の現代であれば、もしかしたら生まれてから敷居を見たことが、ほとんどない人もいるかもしれない。

 そして、「敷居が高い」という表現は、主に玄関の敷居で使われてきたはずだ。

「玄関が引き戸の場合、敷居があります。玄関の敷居は、古くから、外の世界で嫌なことがあっても、敷居を越えて入ったら、靴を脱いで心を切り替えて、家族仲良く暮らせるように、家の中と外との境界であり、結界を表していました。だから、『うちの敷居をまたぐな』は、『家から出ていき、二度と入ってくるな』という意味なのです。また、不義理があって、その人の家へ行きにくいことを『敷居が高い』と言いますが、こちらも境界としての敷居を越えて入ることがはばかられるときに使われる諺です」

(「SUUMOより)

 もしかしたら、辞書の用例の中に(値段が高い店のことなどについていう場合もある)とあるのは、その高い店は料亭のような高級な和食屋のことを表している可能性があるかもしれない。

 自分自身の住居は、築50年以上はある古い木造の家だから、玄関にも敷居がある。ごく平凡な家だけど、その敷居は何センチもあって、入り口としては、足をあげてまたぐ形になる。

 それは、外部からの、(例えば増えた雨水)侵入を防ぐといった意味があるのだろうけれど、もし、その家に対して、さまざまな後ろめたさがあったとき、あやろうと思って、腰を曲げた姿勢で、この敷居を見た時には、確かに高く見えるだろうと思うし、もっと立派な家であったら、この敷居も物理的には、もう少し高かったような記憶まである。

 現在は、玄関に敷居があったとしても、バリアフリーを考えたら、それは高さがない状態になる場合が多いと思う。

 もちろん、ほとんど目にすることはなくても、表現として使われ続けることはあるけれど、「敷居が高い」は、これから先は使用する機会が減りそうだと感じるのは、同じような場面で、違う表現が多く使われているせいだと思う。

ハードルが高い

 ハードルが高い、という表現は、日常的に使われるようになった。

行動言動合格点が高いこと、つまり困難であることを意味する語。

(「Weblio辞書」より)

 家にある「三省堂 新明解辞典 第8版」には、この「ハードルが高い」という語はなかったけれど、他の辞書には、すでに普通に掲載されているようだった。

 しかも、「敷居が高い」と「ハードルが高い」の使い方について、その正しい使い方や、間違った使用法について、言われるようになっている。

 ただ、この場合↑は「敷居が高い」の使い方の方が限定されていて、本来は、「敷居が高い」を使うのに、「ハードルが高い」を利用してしまっている、という「誤用」の指摘が目立つ。

 それでも、すでに「敷居が高い」も「ハードルが高い」のどちらも日常的に使われている状況になっているのは、再確認できた。

調整

 自分自身も、もしくは普段接する人でも、「ハードル」に関する表現の方が多く聞く印象になっているのは、やはり、実物の敷居と比べて、ハードルの方が誰でも見ているせいかもしれない。

 小学校でも中学校でも、体育の時間にハードルを使って、それを超えて走る、という経験は、おそらくは誰でもしていて、そして、目の前に障害物として存在していて、時には足で引っかけたり、そのことによって転倒したりすることもあるはずだ。

 だから、体感として「ハードルが高い」と言われると、難しいことだという感覚がわかるのに比べて、敷居の高さは、それほど経験する機会が少ないから、その使い方は間違っている、と指摘されながらも、どんな場面でも「ハードルが高い」が使われるようになっていけば、言葉は変わるから、もしかしたら、その方が主流になっていくのかもしれない。

 さらには、そうした実際に見る機会の多さの差だけではなく、「ハードルが高い」の方が使い勝手がいいのは、その高さの調整ができるからだと思う。

 例えば、何かを企画して、そこに人を呼びたい。だけど、その企画自体が、ちょっとなじみが薄かったり、難しそうなときに、会議などでは、「どうやってハードルを低くするか?」といった言葉が多く出てきそうだ。

 ハードルが高くなったり低くなったりも、学校の体育の時間で経験していて、その高さによって、その跳びやすさが変わって来るのも、多くの人が体感しているから、この「ハードルを低くする」といった比喩も伝わりやすくなっている。

 対して、「敷居が高い」はあくまでも気持ち的に「高く」見えるはずで、実際に高くなったり、低くなったりはしない。

 そう考えると、比喩とはいっても、実際のハードルが、本当に高さを調節することができるから、ただ困難を表すだけではなく、難易度を下げる表現にも使える幅の広さもあって、だから、今後は、「ハードルが高い」がもっと主流になり、「敷居が高い」は特殊な使い方、もしくは、言葉への知識の豊富さを表す表現として残っていくのかもしれない。

 そんなことを、考えた。



(他にも、いろいろなことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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