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10年前のあの日-東日本大震災の記憶-

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#記憶

10年前のあの日の記憶7

この時、自宅に戻るまでにどんな会話をしたのか、どんな風に帰ったかの記憶が全く残っていない。

きっと家族に会えて安心し、気が抜けていたのだと思う。

記憶にあるのは自宅の玄関前で、中の様子を覗きながら、中に入った母を待っているところだ。

出てきた母は、淡々と

「窓ガラスは割れてないけど、食器の破片だらけだし、家具も倒れていて、寝られる状況じゃないね。

明日掃除するとして、今日は車で寝るしかな

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10年前のあの日の記憶6

10年前のあの日の記憶6

自宅で家族を待たずに避難所へ行くことにしたのは、当時家族間で『なにか災害があって離れ離れだったらそこへ集合しよう』と話していたからだった。

そこへ向かう道は思いの外沢山の人が歩いていた。

道の端に寄り、家族へ向けてメールを打った。

『自宅へ帰ったけれど、危険そうなので避難所へ行く』

そんな内容だったように思う。

一息ついて歩き出そうとしたところで、ふと視線を感じて振り返る。

ベビーカー

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10年前のあの日の記憶5

10年前のあの日の記憶5

自宅まで、残り20分ほどのところまで来た時、少し膝をさすりながら歩く男性と並んだ。

顔色があまり良くない。

何か声を掛けたほうが良いだろうか…

そう思いながら言葉を探している最中、男性の方から声を掛けてくれた。

「…このあたりにお住まいですか?」

男性は話すことで冷静になりたい、というような雰囲気だった。

「もう少し先のエリアです。勤め先からやっとここまで戻ってきたところで…」

そう

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10年前のあの日の記憶4

解散となってすぐ、私は部署の先輩に徒歩で帰宅すると申告した。

その時はじめて津波について指摘を受けた。

「おうち、海の方でしょ?津波とか大丈夫なの?」

ビルから帰宅するために進むのはたしかに海を目指す方向だった。

しかし、海沿いというには数キロ離れていたし、今まで大きな地震があっても実際に津波被害が出たところを見たことは無かった。

「大丈夫だと思います。それより家族と連絡が取れなくて不安

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10年前のあの日の記憶3

10年前のあの日の記憶3

ビルから避難し、寒空の下10分程指示を待ち、ようやく近くの学校へ移動することが決まった。

徒歩5分の場所にある学校へ、ぞろぞろと歩いて向かう。

校舎や体育館は生徒や地域住民の避難所となるらしく、グラウンドに誘導された。

点呼を取り、またしばらくガヤガヤと指示を待つ。

気がつくと、雪がちらちらと降り始めた。

みるみるグラウンドは湿っていき、空気もぐっと冷え込んだように感じた。

各部署の代

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