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10年前のあの日の記憶6

自宅で家族を待たずに避難所へ行くことにしたのは、当時家族間で『なにか災害があって離れ離れだったらそこへ集合しよう』と話していたからだった。

そこへ向かう道は思いの外沢山の人が歩いていた。

道の端に寄り、家族へ向けてメールを打った。

『自宅へ帰ったけれど、危険そうなので避難所へ行く』

そんな内容だったように思う。

一息ついて歩き出そうとしたところで、ふと視線を感じて振り返る。

ベビーカーに赤ちゃんを乗せ、手には上の子をひいて、沢山の子供用品を持ったお母さんが、途方に暮れた顔でこちらを見ていた。

「すみません。この辺りにまだ慣れていなくて…。

このあたりに児童館のような避難できる場所はないでしょうか?」

私が避難をしようとしていたのは学校だった。

しかし、目の前に見える学校は、私が予想をしていたよりはるかに多くの人が押し寄せ、溢れかえっていた。

このお母さんは、ここに避難しようとしたけれど、子供を連れて入るに入れなかったのでは…と思った。

「このエリアの指定避難所は、一応この学校だと思うんです…。

ただ、空いているかは分からないのですが、もう少し離れたところに地域の集会所のようなところがあって、そこなら畳があるはずです。

児童館も一緒になっているので、お子さんがいる方が集まっているかも…」

そういうと、

「あ!あの角のところですかね…?ちょっと行ってみます。ありがとう。」

そう言ってお母さんは上の子の手を引いて、児童館のほうへ向かっていった。

見送った後になって、沢山の荷物を抱えた姿を思い出し、荷物を持ちながら一緒に行って案内すれば良かったな、などと考えていた。

あまりに非現実な気がして、うまく頭が働いていないように感じ、一度深呼吸をした。

グッと前を向き、校内へ足を踏み入れる。が、そこは人だかりだった。

校舎も体育館も人が溢れ、様々な声が聞こえた。恐怖に涙している声や安否を尋ねる声、再会できたことへの安堵の声…

体育館の入り口には沢山の紙がはられ、そのまわりに置かれたホワイトボードにもメッセージが書かれていた。

私が行ったときには体育館の一部にはまだ空きがあったが、後から人がどんどん入ってきては埋まっていった。

私はここで初めて、自宅に程近いエリアまで津波が押し寄せたことを知った。

本当にあとわずかのところだった。

それでも、津波によってどれほどの人が亡くなり、どれほどの被害が出たのか、想像も出来ていなかった。

ついに日は落ちきり、家族全員のスペースは確保できない状態まで人が押し寄せた頃、体育館に母と姉が来た。

2人をみた瞬間、自分が心細かったのだとやっと気がついた。

それほどまでに安心し、2人の姿をみて安堵した。

それからほどなくして父も合流した。

家族で抱き合い、安堵の涙を流した。

しかし、体育館にはもう寝るどころか座るスペースも残っていなかった。

母と姉は、体育館に来るまでに私を探す為に校舎内を見てきたそうだ。

校舎内は体育館よりさらに人で溢れていて、一晩過ごすのは難しい状況だった。

外はまだ雪がちらついていて、夜になり気温もグッと下がってきていた。

このままここに居ても状況は変わらないだろう、ということになり、一度家族で自宅に戻ることにした。




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