あお

元エセ哲学徒。音楽と教育。アンテナの向きがばらばらな22さい。 死にたいまんま生きてい…

あお

元エセ哲学徒。音楽と教育。アンテナの向きがばらばらな22さい。 死にたいまんま生きています

マガジン

  • ほんよむ

  • 東京事変『音楽』

最近の記事

将来のこと、覚書き。

逃げたかったけれど、驚くほどあっという間に進路を決めなければいけない時期がやってきた。 ベースとして生きることを憂えているわたしが、未来のことを考えなきゃいけないなんて。吐き気がするわ。 と、思っていたんだけれど、とりあえず宣言した今はそんなに悲愴的な気持ちではない。 こんなこと、前にもあったな。 *** 大学3年のとき、わたしは音楽学の道に進みたかった。学部でも院でも、とにかく音大に行こうと思った。いちばん楽しいことはピアノ、楽譜を読むこと、音楽を聴くこと、音楽にか

    • やっぱり涙で終わる。2回目の教育実習

      肢体不自由の子どもたちが通う学校に、3週間浸ってきた。 いろんなことがあって、去年母校に実習に行った時と同じことを思ったり、違うことを考えたり。 やっぱり刺激の多い毎日だった。 廊下の端には窓があって、そこから山が見えて、山が大好きなわたしはその景色が毎日楽しみだった。 ある天気のいい日、車椅子を押しながら、「今日は山が綺麗に見えるよー」と言いながらしゃがんで彼と同じ高さに視線を落とすと、空しか見えなかった。 それが3週間でいちばん衝撃的だったこと。 うまく言えないんだけ

      • 1st夏休みのおわりのはじまり

        なんかいろいろ言いたいことがあって、口にしてみたりするんだけれど、 うまく伝わらないなぁってことが続いていて、ちょっぴりいやなきもち。 自分に対してね。 自分を傷つけることに対する抵抗が薄くなっていて、いやな兆候。 つきあっていくしかないんだけどな。 思ったより明るく振舞うことが得意なことに気づいて、ひと安心したり。 直近で元気になれるような予定は何も用意してないんだけど。 あのひとも、あのひとも、見えないだけで何かを抱えているんだろうということに考えは及ぶのだけれど、み

        • 海に纏わる彼此

          海は怖い。 わたしは泳げないし、濡れるのも好きじゃない。 12年前の、生まれ故郷の忘れられない映像。 でもわたしは1年に1回くらい、ひとりで海を見に行く。 鈍行に乗って、他には特に目的も持たずに、なんなら海に行くかどうかも決めずに、ふらふらと歩く。 ここ何年かは、高校の頃の先生と秋になると海に行っている。訳もなく海が見たいだけの急なわたしに、つきあってくださってて、ありがたい限り。秋の海は侘しくて、人が少なくて暑くなくていいんだよ。 だいたい海に行きたいときは、いろんな

        将来のこと、覚書き。

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        • ほんよむ
          7本
        • 東京事変『音楽』
          6本

        記事

          読んだ本を共有することについて

          読んだ本の感想やらなにやらを、言葉にするのが苦手だ。たぶん、感じたこと、考えたことの半分も言葉にできないとわかっているから。 あとは、自分が読んだ本を他人と共有することがすごく苦手。てか嫌い。むかしはバイブルと思った本を他人に話したりしていたけれど、「読んだよ」とか感想を述べてこられたりとか、すっごくわたしの心が狭いだけだとは思うのだけれど、(あ、わたし、本当に好きなものを共有するのは嫌なんだ)と気づいてから、あまり口に出さないようにしている。 だけど、それだと読みっぱなしに

          読んだ本を共有することについて

          苦しくても良い と思えるようになりたい

          苦しくても良い と思えるようになりたい

          6月最後の五月病

          今頃になって襲ってきた五月病。疲れているんだよと言われるし、それはわかっているんだけど。 学校って楽しくていいんだっけ。もちろん勉強は大変なこともあるのだけれど、学校という場所が苦しくないのは何年ぶりだろう。というか、そんな時期ってあったのかしら、とも思う。思い出は美化したいものだし、きらきらしていたはずの昔話も、敢えて語ろうとすると苦しいことだってある。 楽しくても、やっぱり疲れるのだ。いろいろな言葉が聞こえてきて、街を歩くときのようにイヤホンで塞ぐわけにはいかない。昼

          6月最後の五月病

          third place

          2日ぶりに外に出た。 暑いのは知っていたけれど、まだまだ耐えられる、楽しめる暑さ。夏服が意外とないので困っています。 *** 今日の服、いい色合いだねと言われて嬉しかった。 かわいいかわいい後輩が、「(就活)終わりました!」と伝えてくれた。たいへんめでたい。 元気?と訊いてくれるひとがいて、一緒に帰ってくれるひとがいて、嬉しいことも愚痴も話せるひとがいて、 自分に関わってくれるひとがいることが、とってもありがたくて、救われている。

          third place

          待ってよ、世界

          言いたいことの半分も伝えられない みんなそんなもんなのかもしれない 流暢に話せるひとってうらやましい 考えたことを言語化できるのって、 ものすごい才能だと思う。おもって いても、ちゃんと考えていても、言 葉として出てくるのは、いつだって 曖昧で、薄くて、軽い言葉たち。何 も考えていない訳じゃないのに、世 界はそんなに待ってくれない。わた しの言葉を出し切るまで、黙ってい てはくれないのだ。じゃあ反対に、 わたしはひとの言葉を待つことがで きているだろうか?誰かの言葉を遮

          待ってよ、世界

          今日のぽやぽや

          なんだかいちにちイライラして、そんな自分に嫌になっちゃう日だったぁ。 昨日クレーンゲームで無事ゲットできなかったサンリオのペロペロチョコを帰りに手に入れられたので、まあ良かったことにします。友だちと駄菓子買いまくった笑

          今日のぽやぽや

          毎日のぽやぽや

          大したものじゃなくても、まいにちことばを綴ろうかなぁと思い立ったので、気が向いてる間やってみます。 ひさしぶりのひとと会うのは嬉しい。 あの人と会いたいと思えることが嬉しいし、相手も思ってくれているなら尚更だ。 きのうと今日、ひさしぶりの人に会った。どちらもいろんな意味で、わたしの生き方とか人生に深く関わったひと。どうしようもなかったわたしに、ちゃんと付き合ってくれたひと。 「どうしようもないわたし」につきあってくれた人は本当にたくさんいて、そのひとたちのことをおもうた

          毎日のぽやぽや

          幸せについて

          わたしはある時から、「嫌だ」と思うことでしか、続けられない自分がきらいだった。バイト嫌だな、教職しんどいな、などなど。もっとも主だっていたのは「大学つらい」だったな。 このエッセイは、たまたま目に入ったのです。新聞のコラムでこのエッセイ集(『きまぐれ博物誌』)に載ってるエッセイが紹介されていて、買ってぱらぱらめくっていたらみつけた。偶然の出会い。 嫌だ嫌だといいながら続ける自分も嫌だったし、嫌だと思うことがきっと原動力なんだろうと思うともっと嫌だった。もっとポジティブな気

          幸せについて

          ぽやぽや

          10日ぶりに学校に行くことがやっぱり怖くて、 さんざんバイト終わりに駄々こねていたら、 ぜんぜん、慰めてくれるわけでもないんだけどやさしい人たちがいっぱいいて、 ここでは、がんばれないわたしもすぐ泣くわたしも小学生みたいに薄着なわたしも、ちゃんと息をしていられるってことがわかった。 次バイトに行く日は、偶然にも5年目の始まり。 自分の意思でこんなに長く続けたことなんてないかもしれない、と思うたびに、自分の意思だけでは続けられなかった4年間だった、と思う。 18歳になったばか

          ぽやぽや

          読書の孤独感、すなわち幸福

          小学生の頃、わたしのバイブルは『赤毛のアン』シリーズと『大草原の小さな家』シリーズだった。 今よりずっと便利なものがなかった時代のはずなのに、あらゆるものを自分たちで作って、使って暮らしている様子に憧れたし、描かれる景色の美しさに、なんども想像を膨らませた。ほんとうの「豊かな暮らし」とはあの頃のことなのだろうと(2つのお話は100年くらい離れているけれど)、今でも思う。 *** 一昨日、とても久しぶりに『アンの夢の家』を読んだ。シリーズの中でもいちばん好きな巻。人生の喜び

          読書の孤独感、すなわち幸福

          意外

          「意外だね」という言葉が嫌いです。 わたしのなにを知って「意外」という評価を下すのか、わたしにはわからないから。そんなことで「意外」と言われるのは、わたしにとっても意外です。でも便利なことば。相手に興味をもっているよ、ということを容易く伝えられる表現だとは思います。 他者に対する先入観というものはどうしても持ってしまうし、わたしもそうだし、時にはそれを口にしてしまってとても後悔する。 それでも意外性を持っていたいと思うのは、わがままでしょうか。見たままは凡庸でも、内になにか

          「おしるこ缶」考

          缶のおしるこって飲んだことありますか? もう何年も、飲みたくて飲めない飲み物である。 あの缶の中には、お餅的な物体が入っているのだろうか。だとしたら、どうやってあの缶の狭い口から出てくるのだろうか。そして、缶の底を叩くコンポタ的飲み方ができるのだろうか。 それがわからなくて、ボタンをひとつ押す勇気が出ない。 本当はわかっている。あれはたぶん、ただの熱いあんこ汁だということ。白玉的何かはきっと入っていないということ。 でも、入っていることも、入っていないことも今のわたし

          「おしるこ缶」考