幸せについて

というわけで、私なりの幸福の公式ができあがった。つまり、人は未来に幸福の幻影をいだき、それをたよりに現在を「いやだなあ」とつぶやきながら、あくせく生きてゆく。すると、いつのまにかそれが集積され、過去の追憶となる。それをかみしめることが幸福であるというわけ。

星新一『幸福の公式』より

わたしはある時から、「嫌だ」と思うことでしか、続けられない自分がきらいだった。バイト嫌だな、教職しんどいな、などなど。もっとも主だっていたのは「大学つらい」だったな。

このエッセイは、たまたま目に入ったのです。新聞のコラムでこのエッセイ集(『きまぐれ博物誌』)に載ってるエッセイが紹介されていて、買ってぱらぱらめくっていたらみつけた。偶然の出会い。

嫌だ嫌だといいながら続ける自分も嫌だったし、嫌だと思うことがきっと原動力なんだろうと思うともっと嫌だった。もっとポジティブな気持ちで何事も向き合いたかった。
でも、そうじゃなくてもいいのかもしれない。それなりにちゃんとやれているのだから。

幸せって何だろう、幸せになりたい、と、漠然と思い続けている。なぜこんなにも「幸せ」を渇望しているのかわからないんだけれど、たぶん、幸せと感じられる心を求めているんだろうなと思う。
ひとよりいろいろなことに幸せを感じられる人間な気がするけれど、そのぶん、悲しいとか辛いってことも強く感じている気がするんです。それでもいいのかもしれないけれど、きっとそれが嫌なんだろうな。

これからもきっとわたしは、ネガティブな気持ちが原動力になるのだと思う。そんな根本の部分は簡単には変わらないけれど、それでもいいと思いながら生きていきたいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?