読書の孤独感、すなわち幸福

小学生の頃、わたしのバイブルは『赤毛のアン』シリーズと『大草原の小さな家』シリーズだった。
今よりずっと便利なものがなかった時代のはずなのに、あらゆるものを自分たちで作って、使って暮らしている様子に憧れたし、描かれる景色の美しさに、なんども想像を膨らませた。ほんとうの「豊かな暮らし」とはあの頃のことなのだろうと(2つのお話は100年くらい離れているけれど)、今でも思う。

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一昨日、とても久しぶりに『アンの夢の家』を読んだ。シリーズの中でもいちばん好きな巻。人生の喜び、幸福、悲しみ、美しさが散りばめられている。
なにより、情景がほんとうに美しいのだ、それだけで涙が出そうになるくらい。
そしてわたしは、アンが暮らしたフォア・ウィンズの港町を、世界でいちばん美しく想像することができると信じている。本題はここからだ。

「夢の家」の庭も、玄関の段々も、灯台から見る日の入りや日の出、そして海も、こんなに美しく想像することができるのに、それを誰かに伝えることができないのだ。絵に描いても、たとえば歌にしても、それはやっぱり違うのだ。わたしの描いているものを、そのまま誰かと共有することはできないのだ。

それって、なんて寂しいことだろうとおもう。美しいものがあって、それを分かち合うことができない。孤独だ。わたしのあの場所と、あなたのあの場所はどれだけ違って映るのだろう。
それでも、アンとわたしの間にしか「あの」フォア・ウィンズの景色がなかったとしても、幸せだと思うのだ。わたしはきっと世界でいちばん美しく、自分の中に描いているのだと思うし、そこにわたしのアンが生きているのだから。

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