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④観察する自己


 「ACT」では、2つの自己が設定されています。

思考する自己
何かを考えることを司る自己。
計画、判断、評価、比較、想像、視覚化、分析、記憶、空想、妄想など。

観察する自己
集中、注目、気づきを司る。
思考している自分に「気づく」役割をもつ


「思考する自己」が、瞑想中に「雑念」を生み出します。

小説を読んでいてその世界にどっぷりとはまっている時に、ふと
「今日、どこに飲みに行こう?誰を誘うかな?」
と考える、その犯人が

「思考する自己」

です。

こう書くと悪者のようですが、

「思考する自己」

があるから、私たちは勉強や仕事ができるのであって、
「思考する自己」なしの人生は考えられません。

思考するから人は創造性を発揮し、文明を発達させてきました。

ただ、「思考する自己」にはデメリットがあって、
「思考する自己」によって集中力が削がれたり、

「私はダメな人間で、無能だ」

という考えに苦しめられたりします。

そこで、

「観察する自己」

の出番です。

瞑想でも仕事でも、集中している時、

つまり

「今ここ」への接続を切断するのが「思考」であるならば、

再接続するのが「観察する自己」です。

本を読んでいて、「飲み会」とか「昔の思い出」とか、まったく違うことを考えていたとします。

それは「思考」に「今ここの意識」が釣り上げられてしまった状態です。

すると「あっ、また意識がそれた」と、気づく瞬間がありすが、その時、
「観察する自己」が働いて、釣り糸を切ってくれます。

そして、また、本の世界に集中できるわけです。

この「気づき」の瞬間の感覚を強く意識し、それを何度も繰り返していくと、

「思考する自己」と

「観察する自己」との違いが

身体感覚をともなって明確に理解できます。

すると

「思考はただの思考」に過ぎないと、「脱フュージョン」することができます。


この「観察する自己」を集中的にトレーニングするのがマインドフルネス瞑想です。


呼吸に意識を向ける。やがて雑念がわいて意識がそれる。

「あっ、それた」と、気づいたら、その時「観察する自己」が登場しています。

そしてまた、心を静かに呼吸に意識を戻すのです。

「観察する自己」があるから、仕事で失敗をして

「なんて自分はダメなんだ」

とネガティブな思考に巻き込まれた時に、

「あっ!また自分を責めている」

と気づけます。


「観察する自己」は、ネガティブ思考から救い出してくれるヒーロでありヒロインです。

それは誰もがもっているものです。


「思考する自己」と「観察する自己」の2つを使いながら、私たちは人生の質を高めるよりよい思考を育んでいきます。

観察する自己とは

観察する自己は、何かに気づきはするが考えはしない。

観察する自己は集中、注目、気づきなどを司る。

それは思考に注意を向け、観察することはできるが、思考を生み出すことはできない。

思考する自己が私たちの経験についてあれこれ考えるのに対して、観察するjこはあなたの経験したことを記録するだけ。



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