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【家族のこと】父が自殺したから、悲しいんじゃない

わたしの父はわたしが19歳の時に自殺した。
それまでの経緯はまた別の機会に書く。

自殺したことそれ自体は、わたしはあんまり悲しくない。死に方は意外だったが、もともと長生きはしないと思っていた。

どのみちお酒の飲みすぎで内蔵をやられているようだったし、タバコの吸いすぎで肺も上手く機能していないようで、ずっと悪い咳をしていたからだ。

小学生高学年くらいには、
「この人はわたしの成人式まで生きているんだろうか」と漠然と思うようになった。
案の定、振り袖姿はギリギリ見れなかった。

父親の、そう遠くない死
常に自分の隣にあったので、覚悟というか、意識はするようにしていた。

自殺は、父にとって最後の選択だった。
自分の死に方を自分で選べることは、わたしはある意味羨ましい。

たとえ、うつ状態になって、正常な判断が下せる状態ではなかったとしても。

自死は父という人間の最後の決断なので、自殺したことを非難すると、父を非難することと同じような気がする。
だから、わたしは「自殺」という言葉に何の意味も与えないようにしている。

同時に、自分を責めてしまわないように、あまり考えないよう自己防衛しているんだとも思う。

たとえば肝硬変で死んだなら、なぜお酒を止めさせられなかったのかと考えるし、肺癌で死んだなら、なぜ自分が禁煙させなかったのかと悔やむだろう。

結局どんな死に方でも、あらゆる悲しみ方でわたしは父親との別れを悲しみ続けると思う。

自殺という方法で、死んだことが悲しいのじゃない。
父親が死んだ。もう2度と会えない。
その事実が一番辛い。

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