思春期の息子二人が不登校になってからの葛藤や考えたこと、考えちゃうこと諸々を。 「不登…

思春期の息子二人が不登校になってからの葛藤や考えたこと、考えちゃうこと諸々を。 「不登校ママのひとりごと日記。」 https://ameblo.jp/tea22222/

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不登校息子たちの反抗期と、遅れてきたママの反抗期。

  「不登校と反抗期」  反抗期という自分に向き合う大切な期間が、自分の人生でスポっと抜けている。このことが、私にとって息子たちの反抗期にどう対処したらいいのかわからない原因になっている。  40代の私には思春期の息子が二人いて、  二人とも色々あり、不登校。  彼らはおとなしく素直な幼少期を過ぎ、思春期に入って間もなく、同時期に荒れ、学校に行かなくなり、ふさぎこんでひきこもった。不登校になりあっという間に三年が経とうとしている。  私はこの日々の途中から鬱病になった

    • 家族に望むもの。平穏。

      息子ふたりの不登校とひきこもりを経験してから、家族や暮らしに望むものは、平穏のみになった。 先日、息子二人がどちらかの部屋で話し込んでいる話し声を聞いただけで、二人が暴れていたときを思い出し、何も起こっていないのに、喧嘩してるんじゃ、、、という心配だけで具合が悪くなっていた。二人は険悪で滅多に顔を合わせないし、会話もしない。 2時間くらい、その話し声が聞こえないようにイヤホンで音楽を爆音で聴いて、耳も若干おかしくなりながら過ごしたものの。 結局何も起こらず、誰も暴れず、暴

      • 不登校息子の正しさ。

        私は、ひきこもり不登校になった息子に暴れながら、「ママは嘘つきだ!」と言われたことがある。 その時、 自分の人生を総括されたような気がして、 ああ、本当にもうその通りだよ、、、 とうなだれた覚えがある。 そして、そこから私の生き方が少しずつ変わっていった。 それまで私は息子に、学校の先生や友達とにうまくやるために、自分を極限まで我慢させるやり方を教えていたような気がする。 それが人生の荒波を乗り越えるやり方だと、大人への道だと思いこんでいた。 今思うと、なんて間違えた

        • 不登校母の私を孤独にする人。

          一生懸命に年の近い二人の男の子の子育てをしてきた。息子ふたりが思春期に入るとひきこもり、荒れて、不登校になったことで、私は深いうつになり日常がストップしたけれど、いつも不器用ながら一生懸命にやってきた。 うつは今、回復段階にありながら、それでもまだ毎日のように日々ささいな現実に自動的に傷付いたりする。不登校母の私は加害者のような被害者のようなよくわからない感情で、毎朝息子が学校に行かない現実に相変わらず新鮮に絶望できてしまう。 そしてもうすぐ三年たつ。 そんな暮らしの中で、

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        不登校息子たちの反抗期と、遅れてきたママの反抗期。

          思春期子育ての初動でミスる。

          子供の思春期に、私は初動でミスったんだろうな多分、と洗濯物を干しながら考えていた。でもどこで間違えたのか、あれが悪かったのか、これが悪かったのか、と正解のわからぬままぐるぐるしている。 この正解、不正解でしかものごとを判断できない自分にも嫌気がさしていて、今日もまた気は晴れぬまま、スーパーのカートをシャーシャーいわせにいく。そうやって、悩みながら市井のおばさんとして世の中に溶け込んで、一日一日を淡々とやっているうちに、色んなことが何とかなっているような気もする。 今が、息子

          思春期子育ての初動でミスる。

          メンタルの弱さはいつか強みに。

          朝から息子が不安定な感じで、その不穏なバイブスに思わず引っ張られそうになる。 ああわかるよう、とその不安に共感しつつ、この場から不安を打ち消すよりも、この性質とどう共存するか、今はそちらのほうに舵をきる。 ずっと、もっと強くならなければと思っていた。私も息子も。 けれど最近は、この繊細な不安定さは、成長のために打ち消すものではなく、大切にすべき息子の長所だと思うようになった。 確かにこの性質が、不登校とかひきこもりとか、実生活に支障をきたしている一因ではあると思う。 思春期

          メンタルの弱さはいつか強みに。

          反抗期にありがとう、、、

          朝起きた二男がおはようと言って、私もおはようと返した。 何気ないやりとりに、そう言えば二男からいつも声をかけてくれるな、と気づいた。 私はそのことに今朝、急に感謝の気持ちがわいてきた。 二男はかなり激しい反抗期をやってくれた。一度はあれほどのうらみを持った親の私に、自らあいさつ出来るまで、よく気持ちを立て直してくれたな、と。 私にはとても出来ないな、と思った。 それというのも、私は思春期に反抗期をやらず、我慢と根性で乗り越えてきた親からの理不尽を、今になりなかなか許せて

          反抗期にありがとう、、、

          免れることはない。

          朝起きて、ああもうだめだ何もかも、と思いながら洗面所に行って蛇口をひねれば、潤沢な水が出てくる。 あのときなんであんなことを、と過去を悔やみながらケトルを火にかければ、いい塩梅の火加減で炎があらわれる。 なぜあんな風に言われなければならんのだ、と憤りながらディスプレイのスイッチを押せば、あっという間に湯船にお湯がたまる。 はあ、と、日々しんしんと降り積もるストレスにため息をつけば、ふいに友人から電話が入って、寄る辺ない気持ちを聞いてもらえる。 その他もろもろ、こんなに

          免れることはない。

          完璧主義を破壊したいな〜。

          完璧主義が自分をくるしめる。何事もやり遂げなければ、完璧にやらなければ、という無意識な気持ちにいつもやられる。 それは、自分が不完全だと思い知っているからで、そこがだめだと思っているからで、人の不完全に寛容であれても、自分に厳しいのはやはり、幼少期の家庭で怒鳴られた経験が頭の中に残るからっていうのも大いにある。 この私の偏りにより、被害を被ったのはふたりの息子だと思う。 たくさんたくさん、感情的に怒鳴って育ててしまった。 思春期になっている彼らを見ていると、動き出すために

          完璧主義を破壊したいな〜。

          誰にも会いたくないけれど日常はあるわけで。

          街でママ友のような知り合いを見かけて、私の中の何かが発動して、何だかとてもこの街から逃げ出したくなる。 いたたまれない気持ちを引きずりながら半ばほふく前進で自宅に帰っても、不安定な息子がふたりひきこもっているという我が家に気が沈むけど、今はここに無理やりに憩いを見つける。 しかしまあ人生はなかなかうまくいかない、と捨て鉢の気持ちになる。自分のことなら自分で何とかするけれど、息子の人生のように、自分ではどうにもならないことに、悩んでも仕方のないことに気がつけば悩んでいる。 

          誰にも会いたくないけれど日常はあるわけで。

          学び直したい。お母さんの私がっ。

          息子が不登校だから、息子の学校に行く機会が何かと多いので、イヤだイヤだと言いながら、事あるごとに私は学校というアウェイに行っている。 そんな中、私は最近、大人の学び直しというものに興味があり、訪れた学校でノートをとっている学生を見るたびに、「私もあれをもう一度やりたい、、、」と、わりと真剣に思うようになった。 親友にこのことを言うと、彼女も今そういう心境で、わかるよお、と言ってくれた。おばさんになると人は何かを学び直したくなる。 「でもでも、うちの息子たち不登校なのに、

          学び直したい。お母さんの私がっ。

          不登校子育ての不安と暮らす。

          教室にいるみんなと進路が違うんだ、と我が子の不登校を悲しく受け止めてしまったときは、寄る辺ない苦しみの中にいたけれど、みんなと違うことがいつか強みになるんだ、と上を向いて現実を受け止められたときは、そこに向かう息子たちを応援するだけだ、というシンプルな気持ちになった。 たいてい不登校を見守る私の日々は、この2つの気持ちを行ったり来たりする。 長男は不登校の中でやりたいことを見つけた。 そんな姿を見ていると、どんなにつらい子育ても、息子にやりたいことがあるらしい、というそれだ

          不登校子育ての不安と暮らす。

          布団をかぶって無言を貫く息子と。

          二男は暴れもしたけれど、しばらく無言を貫いた時間も長かった。 布団にくるまって何も言わず、ただすすり泣く声が聞こえることもあった。 私はそんな息子を前に、何がどうしてこうなって、どこの何から手をつけていいのかわからず、途方に暮れていた。  当初の私は、そんな息子を前に「どうしたらこの子は学校に行くのだろう」とばかり考えていた。 学校に行くことが息子の未来のため、ここにとどまらせないことが息子のためだと思っていた。 そしてそれは、間違いだったと今は思う。 息子が布団をかぶ

          布団をかぶって無言を貫く息子と。

          息子たちの不登校、みんなと違うことが怖かった。

          不登校の子育てをしていて、親の私が心配になるのは、息子の進路が「教室のみんなと違う」ことで、この部分を私はかなり受け入れることに苦しんだけれど、それは私が無難に生きてきたからで、無難に生きながらも異端な人に憧れたり、凡庸な自分にちょっと嫌気がさしながら、いざ息子たちが無難と言えない道を歩き始めると、とたんに不安が湧き上がって焦って、突如始まった不登校ママ生活は、そんな自らの矛盾の中でしばらくあがくことになった。 異端て、メディアの中で見せてもらうものだと思っていたから。まさ

          息子たちの不登校、みんなと違うことが怖かった。

          別人格。

          不登校の息子たちと私は、親子といえども全くの別人格であることを、毎日まざまざと見せつけられている。その度にがく然としてしまうということは、少しでも私の中に、息子たちとわかり合える何かを期待していた、ということかもしれない。 最近、親と子は全くもって別の人格だという当たり前を受け入れられる出来事が重なり、あーなるほどそうだったそうだった、と握りしめていた執着みたいなものをまたひとつ、はらりと手放したところだった。 家族と自分は別人格であるという自覚は、距離感の目測を誤りやす

          別人格。

          不登校子育ての相談相手。

          不登校子育ての相談を誰にしていいのかわからなかった。 友達に話しても、親戚にしても、きょうだいにしても、親にしても、心はなかなか癒えなかった。 特に親やきょうだいに相談したことは逆効果で、さらに過去の感情から別の問題が掘り起こされて、関係は悪化した。 時には解決策が知りたい訳では無く、ただ息子が二人とも不登校になってしまった心細い気持ちを誰かにわかってほしい時があった。 でもやはり、不登校というものは経験しないとその苦しさはなかなかわかってもらえない。私も、経験するまで、未知

          不登校子育ての相談相手。