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息子たちに、あだ名で呼ばれていたけれど。

距離が近いとつらいことがある。
私の場合、親子関係は特に距離が必要だと学んだ。不登校になった息子たちとはそれまで、てっきり友達のように仲の良い家族だと思い込んでいた。私など、息子たちから付けられたあだ名で呼ばれていたほど。

それが、あれよあれよという間に離れていって、離れながら荒れて、荒れながら病んで、いつの間にか同じ家に居ながら絶縁なみの距離になってしまった。


あだ名は、ナメられてただけかぁ、と凹んだ。

近すぎたのかもしれないなあ、、、と今さら。

近すぎる距離感は苦しい。


息子たちは、だんだん苦しくなったんだろうな、、、と。

  


私も両親との距離感が近かったから、今になって、中年の反抗期として我慢を爆発させているのかもしれない。もうずっと前から、離れてもよかったんだよなと思う。何だかとても、いつも母親がかわいそうに見えて、守る人は私しかいないのだろうと幼い頃から思ってしまっていたけれど、あの現実の見え方や感情は何だったんだろう。
結局母親は、大丈夫な人だった。
母親を困らせないように、いろんな思いを閉じ込めることが得意になって、その特技によりいつもどこか生きにくい大人になった。


今、私が直面しているのが、この過去を、自分が自分の責任で選んだ、という紛れもない事実の認知。
過去の選択は確かに幼い視野の狭さだったけれど。でも、自分で実行した全てを、自分の選択のもとやってきた、ということを受け入れる作業。
これがまだまだ苦々しさが伴って、親のせいにしたくなる。どこまでも駄々をこねたくなる。

まるで今の息子のように。

全部親のせいだと、
自分を生きられなかった言い訳や、自分を生きる選択を知らなかったことや、自分を生きる選択をしなかった自分などでぐちゃぐちゃになりながらの、こじれた駄々を。


でも、この過去の選択の責任を自分でとらないと前に進めないのを、今になってやっと理解している。

遅い自我の芽生えに我ながらビビる。






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