ミズクサ

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木漏れ日が美しいと思える悦びと力強さ

家にこもっても、外に出るのもストレスフルな日々。 気分転換にカフェに行こうにも、持病のある家族のことを想うと気が引けて、最近は外をただブラブラと歩くだけのことも多い。お気に入りは、近くの公園やその周辺の小道。行こうにも、ストレスなく行くける場所がほかに思いつかないのだ。毎日のように遊びに出かける周りの友達を横目に、なけなしの誘いを断り、一人、ただ公園を歩く。 私がよく行く近くの公園は、武蔵野の雑木林や水の気配が感じられる、大きな公園で、近くにこのような場所があることは、非

    • 社会人3か月。糸がほどけてきて

      毎日が一生懸命で、緊張と焦りと不安で満ちた、社会人最初の3か月が過ぎようとしている。 こうやって、仕事以外のことや仕事と切り分けて客観的に物事をゆっくり考える時間がまったくと言っていいほど取れなかったし、 取らないほうが新しい環境に適用しようと必死に頑張っている自分にとっていいことだとも思っていた。自分が頑張って張り続けていた糸がほころんでしまいそうに思えたから。 だから、このように(会社PCじゃなくて)久々に自分のPCに向かって、驚くほどたくさんのタイプミスをしながら

      • 働くことをあまりにも怖がっている自分へ

        先日まで数日間、「ムダに過ごす」と決め込んでいた。ちょっと美化してみると「ただムダを楽しむ」をテーマに過ごしていた。私は、”ムダ”という言葉に世間で思われるよりはポジティブさを感じており、人生という「時間」を考えようとするとき、最近意識するようになったまあまあ思い入れのある言葉である。 さて、「ムダに過ごす」を決め込んだ数日間、私は自分がどのような行動をして何を感じるのか、自分で試していた。お金もいつもよりたくさん持って、時間的にも金銭的にも「ムダ」に使おうと考えていた。学

        • 最近腑に落ちたこと①

          自分がなんで就職するのか。入社を目前とした今、カフェスローでコーヒーを飲みながら話していた。ちなみに、私が就職する理由は、世間体やお金というのが9割以上の理由だけれど、自分を納得させるための動機づけとしては、やっと出会えた大切にしたい価値観、「スロー」に納得感もって向き合うこと、としている。「スロー」に向き合うためには、それを生み出した「ファスト」、つまり、競争社会的な文脈を知らないと、自分なりの納得感が浅くなる、とこじつけている。 カフェスローとは、東京国分寺にあるスロー

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        木漏れ日が美しいと思える悦びと力強さ

          弱さと美しさ

          弱さって美しさじゃないか。そう思うようになった本を紹介する。文化の根源性とデザインという視点から語られている、決して押し付けがましい類の本じゃないからこそ自分にはスッと入ってきた。 日本文化の根源性にふれるものと今日文化との対比について、インテリアデザイナーの内田繁氏が世界各地で行った講演をまとめた『普通のデザイン』。根源性とは、今日の社会生活に埋没しているように見えて、しばしば立ち現れてくる民族文化の固有の記憶としてすりこまれたものだと述べられている。その前編は以下の記事

          弱さと美しさ

          こんなに可愛いかったっけ

          上野のトーハク(東京国立博物館)に行った。 私が好きなのは東洋館だけど、今回印象に残ったのは本館の埴輪。埴輪の表情が何とも言えなくほっこりする。 あれ、埴輪ってこんなにかわいかったっけ。 偉い人のお墓に置かれる埴輪が、このような表情をしているとは。今ではちょっと考えにくいのではないかと思う。偉い人の前では真剣な表情をしていなければならない感じがするし、死に際しては神妙な面持ちでなければ許されない感じがする。しかも、上の埴輪は武人を模したものと考えられている。武人とは結び

          こんなに可愛いかったっけ

          広く浅くに悩まされた4年間

          文系の幅広い分野を勉強できること、所属後に自分の興味分野や専門分野を決定できることに魅力を感じ、私は今の大学、学部、ゼミに所属している。そしてもうすぐ、卒業を迎える。 私はずっと、専門分野を決めること、絞ることは、自分の可能性を狭めることと同じだと思っていた。だから、これまでの私の決定の動機には必ず、「選択肢をなるべく残すこと、つぶしがきくこと」が入っていた。 大学や学部選びも同じような動機で行い、その結果、広く浅く学ぶことができ、希望はかなった。その点に満足している。

          広く浅くに悩まされた4年間

          刹那と諦観

          覚悟とは、文字通り、「自覚して悟る」ことである。 ~岡田喜秋(1994)『旅のあとさき』中央公論社より~ 横浜野毛の偶然入った古本屋で、自分が生まれるよりも前に既に高齢の方が書いた、紀行文兼エッセイ集のようなものを見つけた。その文章が、私にはなぜかしっくりきて、共感するところが多くて、読んでいてほっとした。 なぜ私はこの本がしっくりくるのか。「刹那」と「諦観」というワードから語ってみたい。 ** 卒論のはなし 「刹那」と「諦観」を語るために、私の卒論の話を少し書い

          刹那と諦観

          先生からのメール

          大学の卒業を前に、半年間だけある授業のTAをしていた。受講生と担当の先生とのコミュニケーションが多く、主体的に授業にかかわるようなTA業務を終え、お世話になりました、とお礼のメールを担当の先生に送った。 その返信が、ほんわか嬉しいものだったから、その嬉しさをここにも記録しておこう。 卒業前に「自分が成長できた」と感じる経験ができたのは、とてもよかったし、私もうれしい気持ちです。コロナで大変だけど、自分次第でできることがあるということですね。 社会に出てからも辛いこともた

          先生からのメール

          落ち葉を封筒に入れて

          冬のあたたかな晴れた日。 友人と、きれいな落ち葉を拾って、贈り合おうという話になった。各々が、近所に落ちている冬の落ち葉を拾ってきて、それを封筒に入れて相手に贈り合うのだ。身近な街の植物を見るのが好きなその友人と私にとっては、離れていてもできる、最高の遊びである。 私は早速、友人に贈るための落ち葉を探しに近所の午後の公園へ出かけた。家から歩いてすぐだけど、これまで来たことのなかった公園は、住宅街の中にあるこぢんまりとしたところだった。 ワッシワッシと落ちている枯葉の音を

          落ち葉を封筒に入れて

          表現すること

          LINEとmessengerしかやらない私は、「表現すること」の意味がよくわからなかった。大学の同年代の友人からは、なんでSNSやらないの~とよく言われるし、自分が知らないうちに、周りのみんなはSNSで仲良くなっている、なんてことも日常で。でも、なんで自分のことを発信するのか、表現するのか私にはあまりわからずに、浮世離れした感じでここまで来てしまった。それで、どういう風の吹き回しでnoteを始めようと思ったのか、自分で整理してみようと思った。 「表現すること」に対して、今の

          表現すること

          因果関係、農家と医者

          東京国分寺にあるカフェスローをご存知の方はいかほどだろうか。オーガニックカフェとしても有名な、コミュニティカフェの走りといわれるカフェで、今年20周年を数える。地球にも身体にも優しいメニューで、ビーガンの間では特に知られていると思う。 以前カフェスローで開かれた、自然農をされている生産者の方のイベントに、私はお手伝いとして参加した。その時に聞いた生産者さんの言葉が、少し引っかかている。 「自然に因果関係っていうのはありませんから」 家庭菜園の植物の背丈がなかなか伸びない

          因果関係、農家と医者

          旧暦カレンダーと1年を過ごしてみて②

          前回に引き続き、松村賢治の『旧暦と暮らす』を参考に、「季節の変化」をキーワードに旧暦を学んでいきたい。旧暦カレンダーと過ごした2020年、四季を感じる機会が増えたことで、日々の小さな楽しみが増えていったからだ。ちなみに前回はこんな感じで旧暦のイロハを少しずつ理解した↓ 年末年始の行事今日から仕事始め、という方も大勢いらっしゃるであろう年始のタイミングだからこそ、旧暦時代の年末年始の行事を見てみることから、旧暦と季節変化についての関係性を調べてみることにした。 まず、年の瀬

          旧暦カレンダーと1年を過ごしてみて②

          旧暦カレンダーと1年を過ごしてみて①

          あったんだかよくわからない2020年、私は雑誌の付録の旧暦カレンダーを机に置いて生活していた。感想を一言で表せば、旧暦カレンダーはたのしい。だからもう少し知りたいと、松村賢治(2010)『旧暦と暮らす』をのぞいてみた。今日はその導入編として、旧暦の仕組みを勉強してみた。 旧暦とは旧暦とは、「太陽太陰暦」のことで、明治5(1872)年まで日本の官暦であった。太陽太陰暦は、月の一年(354日)と、太陽の一年(365日)の差である11日をうまく工夫して、月と太陽の運行の両者を取り

          旧暦カレンダーと1年を過ごしてみて①

          『普通のデザイン』を読んで①

          古本屋で手に入れた、2007年に出版された一冊。 インテリアデザイナーの内田繁氏が、日本文化の根源性にふれるものと今日文化との対比について、世界各地で行った講演がまとめられている。根源性とは、今日の社会生活に埋没しているように見えて、しばしば立ち現れてくる民族文化の固有の記憶としてすりこまれたものだと述べられている。第3章で取り上げられている「弱さのデザイン」は、日本の文化の根源的性格として捉えられているが、同時に、地域・民族・生活の違いを超えて、共通して感じられる性格でも

          『普通のデザイン』を読んで①