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社会人3か月。糸がほどけてきて

毎日が一生懸命で、緊張と焦りと不安で満ちた、社会人最初の3か月が過ぎようとしている。

こうやって、仕事以外のことや仕事と切り分けて客観的に物事をゆっくり考える時間がまったくと言っていいほど取れなかったし、

取らないほうが新しい環境に適用しようと必死に頑張っている自分にとっていいことだとも思っていた。自分が頑張って張り続けていた糸がほころんでしまいそうに思えたから。

だから、このように(会社PCじゃなくて)久々に自分のPCに向かって、驚くほどたくさんのタイプミスをしながら文章を書いてみるのが怖かったりそうじゃなかったり。


今週、怒涛の研修と、検定試験の受験ラッシュがひと段落して、やっと少しだけ、自分が自分に「解くな」と課していたぐるぐる巻きの糸みたいなものがほぐれてきたような感覚がある。

そのためだろうか、緊張か何かのせいで自然と朝早くに目が覚めてしまうことが少なくなってきた。代わりに同期との会話を楽しめるようになってきて、数日前は同期と出勤前に築地で朝ご飯を食べるために朝早くに目を覚ました。


行きたくない会社だったから、辞めても全然いいんだよと自分に言ってあげながら入社したはずの職場に毎日通っている。

3か月が経過して、新卒研修を終えようとしている今、配属部署にも少しずつ慣れてきた気がする。今のところは、入社したてで何もわかっていないんだろうけど、周囲の人には恵まれたのかなと思っている。入社前、会社で素敵だなと思った唯一の人たちが偶然その部署にそろっていて、彼女らの隣で、彼女らに毎日仕事の相談をしながら業務時間を過ごせている。

配属部署も希望通り。任されている仕事も、非常に興味深い。つい、数か月前には、こんな仕事があることすら想像していなかったけれど、今は自分の業務分野をもっと勉強して、勝手に資格でも取ろうかなと思ってみたり。

こうやって書くと、意外といい感じに社会人生活のスタートを切れているように見えてくる。と同時に、自分がそう錯覚したいがために無意識的に、久々にnoteを書こうと思い立ったのではないか、ということにも気づいてしまう。


毎日が一生懸命で、緊張と焦りと不安の中にいて、私は周囲に笑顔を絶やさずに過ごしている。そんな自分を自分でねぎらいたいからかもしれない。でもそんな毎日が嫌ではないし、確実に、数か月前の自分は知らなかったコト、ヒト、考え方にこれでもかと刺激を受け続けている。

そう、この感覚。別に嫌じゃない。

今の息つく暇もないような緊張と不安の日々も、時間の経過が楽な方向へと導いてくれるんだろうとわかっている。一方で、息つく暇もないからこそ保てている何かがあるような気もする。たぶん、時間の経過は、仕事行きたくないなとか、そんな気持ちも芽生えさせるのだろうとも思う。

今の必死の日々が続いてほしいとは思っていないけれど、時間が経過してしまうのも怖いような感覚。別に嫌じゃないから、目を背けようと思えば目を背けられるような気もする。それでもどこかで限界も見えているようなこの感覚。


明日はあそこの公園でひとりでのんびりしたい。できないのだけれど。

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