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旧暦カレンダーと1年を過ごしてみて②

前回に引き続き、松村賢治の『旧暦と暮らす』を参考に、「季節の変化」をキーワードに旧暦を学んでいきたい。旧暦カレンダーと過ごした2020年、四季を感じる機会が増えたことで、日々の小さな楽しみが増えていったからだ。ちなみに前回はこんな感じで旧暦のイロハを少しずつ理解した↓

年末年始の行事

今日から仕事始め、という方も大勢いらっしゃるであろう年始のタイミングだからこそ、旧暦時代の年末年始の行事を見てみることから、旧暦と季節変化についての関係性を調べてみることにした。

まず、年の瀬といえば大掃除。「すす払い」の行事は江戸幕府では旧暦12月13日であった。門松やしめ縄の準備、山に松を切りに行く「松迎え」も13日の行事だ。

神仏をまつる行事も目白押しである。5日は安産・水難除けの神様である「納めの水天宮」の最終縁日、8日の「成道会(じょうどうえん)」はお釈迦様が悟りを開いた大切な仏事。21日は弘法大師の忌日の「終い弘法」、25日はクリスマスではなく、菅原道真をまつる天満宮の最終縁日だ。

28日にお餅をついて仕事納め、と続くも、商家では1年の掛け売り代金の徴収をする「掛け取り」という大晦日の仕事がある。それから、除夜の鐘をついて、年越しそばを食べることで、煩悩と決別。「師走」たる所以がこれだけでも想像できそうだ。

さて、新年を迎えると、初日から神仏詣が続く。7日の「七草粥」、8日が「初薬師」で1年の無病息災を祈る。10日は「十日戎(とおかえびす)」で、商売の神・恵比寿さまの初祭礼。満月の15日は「小正月」で、正月飾りなどを焼く火祭り、「どんど焼き」が行われる。

18日は「初観音」、観音様の縁日で、21日が弘法大師空海の「初大師」。25日の「初天神」は天満宮の縁日で手習い学業の向上を祈願する。28日の「初不動」では、己の慢の心を諫め、滅罪を祈る。

こうして書き並べてみると、年末年始の神仏に関する行事の多さに驚くとともに、今は旧暦の日付をそのまま新暦に移し替えている行事ばかりであることにも気づく。

旧暦の行事を新暦にあてはめるがゆえの不都合

旧暦の日付をそのまま新暦に適応することで、風情が損なわれてしまうことは、旧暦の季節感覚の微細さを思えば想像に難くない。特に、天体鑑賞を旨とする行事は、旧暦を新暦の日付に移し替えることによる不都合を、最も直接的に受けるだろう。

例えば中秋の名月。旧暦の8月15日の満月の日でないと、成り立たない。毎年新暦の日付が変わるのはそのためで、中秋の名月は、旧暦に則って行われる(しかない)。一方で、七夕は新暦7月7日に毎年固定的に行われている。旧暦7月7日に行われる七夕祭りを新暦にそのまま当てはめている例である。旧暦7日といえば、上弦の月(宵月夜)のころで、夜の10時過ぎには西の空に沈んでしまう。つまり、天の川を見るのに、月明かりが邪魔になりにくい。しかも、新暦でいえば8月ごろで、梅雨もとっくに終わり、旧暦初秋の綺麗な夜空を見ていただろう。

まもなくやってくる七草粥の日も旧暦の日付を据え置いたがために、不都合が起きている。新暦のこの日では、天然の春の七草は入手が不可能である。今年は新暦2月12日が新月で旧暦における元旦となり、七草粥はその7日後の新暦2月18日に行うべき行事のようである。

固定的な新暦にあてはめ、年中行事を行うから季節感が余計にわからなくなってしまう。年中行事が今も残り、その余韻を楽しむことができても、それが自然のバイオリズムとはかけ離れ、どちらかといえば、企業のキャンペーンと化してしまっていることに、寂しさも感じる。

旧暦に見る季節感覚の微細さ

旧暦には、様々な注書きが記入してある。節分、彼岸、八十八夜のような雑節、そして七十二候もそのうちの一つ。七十二候には、目の前に季節の兆しが浮かび上がってくるような名前が散りばめられていて、私の旧暦カレンダー生活を楽しくしてくれた張本人である。七十二候とは、ほぼ15日ごとの二十四節季をさらに3分割し、日本の自然を表現するユニークな暦注。以下、雑誌「天然生活」の付録の二十四節季七十二候の暮らしカレンダーを参照する。

例えば今は、二十四節季では小寒。冬の中でも一番冷え込む「寒」の時期に入る目安である。ちなみに、小寒の9日目の雨は吉兆だとか。今年は果たして…。小寒のあいだに、次の3つの七十二候が5日ごとに連続していく。

「芹乃栄う(せりさかう)」……七草粥にも入る、せりが生えてくるころ。
「水泉動く(すいせんうごく)」……寒さの底で、春遠からじと泉の水が動き出すころ。
「雉始めて雊く(きじはじめてなく)」……オスの雉がメスに恋して鳴き始めるころ。

私たちのご先祖様の季節感覚の細やかさには頭が下がる。そのほかの七十二候の名称も、眺めるだけでほんわか優しい気持ちになれるものばかり。

旧暦カレンダーと1年を過ごしてみて

私が旧暦カレンダー生活を実践した2020年は、4月の後に「閏4月」が入る年であった。4月といえば、ちょうど緊急事態宣言で外に出られなかったころ。現在、緊急事態宣言が間もなく発出されるかという情勢ではあるが、外で季節を感じることも制限されているような気分になって息苦しい。いや、だからこそ、季節を感じたいと旧暦カレンダーを欲したのかもしれない。

さて、私は七十二候を眺めることがたのしかったと述べた。近くのスーパーへの往復ですら、少し外出がたのしく感じられ、花を眺めてみたり、旬の野菜をいただいたりと、季節変化に「気づこう」という気分になれた。すると、小さな季節の変化への気づきが自分の「悦び」となっていく。それが積み重なると、季節の変化を観察することが日々のひそかな「楽しみ」となる。結果として、新暦生活では気づこうともしなかった、悦びや楽しさを感じることのできる自分と日々出会うことになる。

旧暦の8月15日の中秋の名月は、数日前からススキや里芋を準備していた。ささやかながらもその風情を味わおうと、「月を見るから」と予定を極力入れないという“暴挙”に出たほどである。「新暦偏重」の毎日の中で、一日だけでも「旧暦偏重」の日を作ると、その日は日常から非日常へと変化した。もちろん、十三夜・栗名月も行い、そのころに栗ご飯も食べた。旬の食べ物を想像し、手に入れば食してみることも、旧暦カレンダーと暮らした1年で楽しかったことの一つ。おまけに、旬の食材は味もよく、栄養価も高い。旧暦カレンダーは、手軽な健康法の一つでもあるのだ。


旧暦と暮らした1年は、都内にいながらも、自然のバイオリズムを「感じよう」「気づこう」と思える年であった。その気づきは、新たな自分との出会いでもあり、非日常への入り口や、素朴で自然の摂理にかなった健康法を手に入れるきっかけともなりうる。だから私は、新しい年も旧暦カレンダーと暮らすことにしている。

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