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因果関係、農家と医者

東京国分寺にあるカフェスローをご存知の方はいかほどだろうか。オーガニックカフェとしても有名な、コミュニティカフェの走りといわれるカフェで、今年20周年を数える。地球にも身体にも優しいメニューで、ビーガンの間では特に知られていると思う。

以前カフェスローで開かれた、自然農をされている生産者の方のイベントに、私はお手伝いとして参加した。その時に聞いた生産者さんの言葉が、少し引っかかている。

「自然に因果関係っていうのはありませんから」

家庭菜園の植物の背丈がなかなか伸びないんです、という参加者の悩みに答えたこの一言に、心当たりしかなかった。

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私が高校生の時、母親が大病をした。この薬をいれたら、この手術をしたら、こんな効果が期待できる。そうやって、医者の言う通りに同意書にサインする。でも、一向にそんな効果は出てこなかったり、発症の確率は低いと言われていた合併症で、もっと悪くなったりもする。その時、命は因果関係を求めるべきものではないと気付かされた。気付きたくなかったけど。

人の身体はよく分からないもので、因果関係は成り立つようで成り立たない。母の病は、原因はわからないけれど、一応の治療法はあるというものだった。この類の病気はありふれている。それなら大体、何をもって完治というのだろうか。

科学が進歩すればいずれ解明されると言われるかも知れないけど、そういう話ではない。原因もよく分かってもないのに、放射線を当ててみたり、体内に金属を入れてみたりする。そんな恐ろしいことしていいの?と感覚的に思った。因果関係という人が作り出した理論を、理解を超えた存在である人間の身体にまで持ち込んではいけないような気がした。人の身体を、解明すべき対象として捉えてはいけないような気がした。

でも同時にその時感じたのは、そうは言っても、命が救われるかどうかの局面で、そんな呑気なことは言ってられないよね、ということ。外科的アプローチで、人の身体を、手を加えるべき対象として扱わないと手遅れになってしまう。だから、人間の身体にそんなことしちゃっていいの?とどこかで恐怖や不信感を持ちながらも、医者にすがるような気持ちで、同意書にサインする。人の身体に手を加えてもいいよ、という証である医師免許をもたない私たちは、サインさえしてしまえば、手術室の前で今か今かと何時間も待つのみだった。高校から一目散に下校しては、この時間が流れる、という日が何日もあった。

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数年が経ち、私はカフェスローのイベントで、日々自然と対峙する生産者の話を聞いていた。自然は因果関係で成り立ってはいないという言葉に、母の大病に直面した当時の自分の感情を思い出した。自然が因果関係で成り立ってはいないのと同じように、自然の一部である人の身体もまた、因果関係では成り立ってはいないのだと思う。そう考えると、人は誰しもが、自分の一番近くにある自分の身体に、理解しようとしてもしきれないものを孕んでいることになる。人間には理解できない/してはいけないような、想像を超えた存在は、なにも地球の裏側の秘境にあるわけではなく、自分自身の身体、自分自身がそういう存在なのだと思う。

そうすると、農家と医者は、似たような仕事をしているように思えてくる。農家は、化学肥料や大きな機械で自然に手を加えれば、大きな収穫高や、それによる食糧不足の回避という成功を期待できる。でもそれは、残留農薬や土壌汚染の問題があるように、長期的に見れば成功とは言い切れないかもしれない。一方の医者は、放射線や精巧な金属で人間の身体に手を加えれば、患者の容態の回復という成功を期待できる。でもそれは、副作用や後遺症の問題があるように、長期的に見れば、成功とは言い切れないかもしれない。どちらも、因果関係では成り立ってはいない存在に、人間の考えた因果関係という理論で挑んでいる結果だからではないだろうか。

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そうは言っても、命が救われるかどうかの局面で、そんな呑気なことは言ってられない。「そんな呑気なこと」が書けたのも、幸い現在の私が、命がどうふれるかの局面にいると感じていないからに他ならない。ほんとうにその通りである。

でも、

そんな呑気なこと、今は言ってはいられないよね、でいつも済まされてしまう、この問題に、「今じゃない時間」は来るのだろうか。

因果関係では成り立っていないように思える存在に、人間が考えた因果関係をもって挑むことで、多くの命が救われている。人間は優秀である。でも、因果関係で立ち向かおうとしていること自体への疑問を投げかけた途端、人間は、成すすべなく、ただ待つのみの存在となってしまう。私が手術室の前で過ごしていたような苦痛の時間が、人間に訪れてしまうことを意味するのである。だからこそ、私は因果関係という人間のこじつけで片づけるな!とは言わない。農家や医者はやはり優秀である、と言わざるを得ないし、実際そうである。


政府やマスコミが盛んに発する「ワクチン接種」「エビデンス」というワードを聞きながら、「因果関係」を考えてみるこの頃である。


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